石木ダム用地 明け渡し期限 家屋撤去 代執行請求可能に

 長崎県の石木ダム事業では、ダム予定地に13世帯の人々が生活を続けていますが、長崎県は土地収用法に基づく強制収用の手続きを進め、今月18日にすべての土地と家屋が明け渡し期限を迎えました。
 「強制収用」はこれまで、ダム予定地住民が公権力に屈する原因となってきました。13世帯が結束して、強制収用の脅しに屈することなく徹底抗戦を宣言している石木ダムの住民運動は、わが国では前例のない展開です。明け渡し期限を迎えたことで、現地ではさらに住民と行政との緊張関係が高まっています。
 明け渡し期限を機に、新聞各紙が住民の暮らしと闘いを取り上げていますので、紹介させていただきます。
 石木ダム予定地を訪ねる人々誰もが驚くのは、この土地に住む人々が皆、生き生きとして魅力にあふれていることです。ふるさとの土を踏みしめて生きることがどれほど人間本来の生き方であるのか、「こうばる」の人々はその生きざまで私たちに教えてくれているようです。

◆2019年11月19日 長崎新聞
https://this.kiji.is/569333778349180001?c=39546741839462401
ー石木ダム用地 明け渡し期限 家屋撤去 代執行請求可能にー

  長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、物件を含まない土地が対象だった9月19日に続き、反対住民13世帯の家屋などの物件を含む土地が18日、土地収用法に基づく明け渡し期限となった。住民ら約50人は同日、同事業断念を求めた文書を県庁で平田研副知事に提出。明け渡しには応じない姿勢をあらためて示した。19日以降、県と同市は収用した全ての土地について家屋の撤去などの行政代執行を中村法道知事に請求することが可能となり、同事業は新たな局面に入った。

 同事業を巡っては県収用委員会が5月、地権者に全ての未買収地約12万平方メートルを明け渡すよう裁決。明け渡し期限は物件を含まない土地を9月19日、物件を含む土地を今月18日とした。これらの土地の所有権は既に住民側から県と同市に移っており、今後、全ての用地について行政代執行が可能になる。行政代執行に踏み切れば、国内のダム事業では初めてのケースとなる。
 一方、現場での連日の座り込みで工事が遅れているとして、県は近く、ダムの完成目標を2022年度から25年度に延期する方針を正式決定する見通し。延期で、県側は住民側との話し合いを進めたい考えだ。当初1979年度だった同事業の完成目標の延期は9回目になる。
 18日は住民ら約50人が県庁を訪れ、17日に同町内であった同事業反対集会での宣言文を提出。集会には県内外から約700人が参加した。住民側は近年の全国での水害発生を踏まえ、ダム建設ではなく河川改修をまずはやるべきだと主張し、「強制収用は県の恥」と非難した。平田副知事は報道陣に「(行政代執行は)あらゆる努力を尽くした後の選択肢として排除しない」と述べた。出張で不在の中村知事は「明け渡しがなされず、大変残念。事業への協力に応じてもらえるよう働き掛けを続ける」とのコメントを出した。

◆2019年11月19日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASMCL45DFMCLTOLB00J.html
ー「もう私の畑じゃなかね」 石木ダム予定地明け渡し期限ー

  長崎県と佐世保市が建設を進める石木ダムの水没予定地、同県川棚町川原(こうばる)地区が18日、土地の明け渡し期限を迎えた。県は19日から家屋撤去などの行政代執行(強制収用)が可能になるが、住民は立ち退きを拒む構えだ。中村法道知事は18日談話を発表し、引き続き住民に「事業への協力」を求めていく考えを示した。

 移転を拒む住民の一部と支援者ら約30人は18日、県庁を訪れ、前日の集会で採択した宣言文を平田研副知事に提出。今後も川原地区に住み続ける意思を示し、ダムの建設断念を求めた。

 上京中の中村知事は「いまだ明け渡しいただけないのは大変残念」とするコメントを発表。治水・利水面での事業の必要性を訴えつつも、行政代執行には言及せず「事業に協力してもらえるよう、働きかけを続けたい」とした。知事はこれまで行政代執行について「選択肢として排除しない」と繰り返してきた。だが当面は実施には踏み切らず、住民との話し合いを継続する方針だ。

 水没予定地の川原地区では、監視のための「ダム小屋」に雨が降るこの日も、住民の松本マツさん(92)と岩永サカエさん(79)が詰めた。育てている野菜の成長ぶりに話が及び、松本さんが「もう国の土地。私の畑じゃなかね」と言うと、岩永さんは押し黙った。

 松本さんの孫の好央さん(44)は自宅隣の鉄工所で作業を続けていた。高校2年の長女晏奈さんに「19日には家を壊しに来るの?」と尋ねられ、「お父さんも、お母さんもいる。村の人たちもついている、心配いらない」と答えた。(原口晋也、小川直樹)

◆2019年11月17日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20191117/k00/00m/040/183000c
ー「裏切られた」長崎・石木ダム事業に徹底抗戦する住民の根深い行政不信ー

 長崎県川棚町で県と佐世保市が計画を進める石木ダム事業は18日、水没予定地の川原(こうばる)地区に住み続ける13世帯の土地・家屋の明け渡し期限を迎えた。19日以降、県は家屋から住民を排除する行政代執行が可能になるが、13世帯に立ち退きの意思はなく徹底抗戦の構えだ。国の事業採択から44年を経て、混迷が深まっている。【綿貫洋、浅野翔太郎】

ホタルが乱舞する豊かな町で700日続く座り込み
 数人の県職員が取り巻くように監視する中、仲間と腰を下ろした。今月13日、ダム建設に向けた県道付け替え工事の現場に岩本宏之さん(74)の姿があった。元町職員で13世帯約50人の住民の一人。2010年から工事の中断期間などを除き、座り込みは延べ700日以上に及ぶ。「代々住んできた土地に住み続けたいだけ」。言葉に力がこもる。

 初夏には無数のホタルが乱舞する川原地区。住民は米や野菜を作り暮らす。のどかな山村だが、約半世紀もの間、ダム建設を巡って翻弄(ほんろう)されてきた。

 「裏切られた」。岩本さんの県への不信感の発端は、ダム計画の予備調査のため1972年に県が住民らと交わした覚書の扱いだった。調査の結果、建設を進める際には改めて地元の同意を得るとの内容だったが、予備調査を終えた県は地元に諮ることなく計画を推進した。82年には機動隊を伴って強制測量に踏み込み、座り込む住民と衝突した。これを機に反対運動は先鋭化。住民は20年ほど前から玄関に「県職員お断り」の張り紙を掲げる。

「なぜ人口は減るのに、水需要予測は増えるのか」
 ダムの目的は佐世保市の水源確保や洪水対策。同市の人口は減るのに、なぜ水需要予測は増えるのか。小さな支流の石木川にダムを造ってどれだけ防災効果があるのか。岩本さんには不可解だが、それでも地区の54世帯は用地買収に応じて移転した。そして今度は残る13世帯が古里を追われようとしている。

 17日に川棚町公会堂であった「石木ダムを断念させる全国集会」。「脱ダム」を進めた嘉田由紀子・前滋賀県知事(現参院議員)らが講演し、岩本さんも腕組みして耳を傾けた。「県は約束は破るし住民をいじめる。悪いことをしていない俺たちに、出て行く理由はない」。代執行が現実味を帯びても、思いに揺らぎはない。【綿貫洋】

治水と企業誘致を挙げる推進側
 1975年に国に事業採択された石木ダムを巡っては県と住民との対立が続いてきた。

 県はダムが必要な理由に、たびたび渇水に見舞われた佐世保市の水道水確保と川棚町の治水対策を挙げ、他の手段より費用対効果が高いとする。地元県議は「企業誘致のためにも、給水制限が起きないような水の確保が必要だ」と強調する。

 一方、反対住民側は、人口減が進む佐世保市のはじく水需要予測を過大だと疑問視。治水面も河川改修で対応できるとしている。こうしたダムの必要性の論争に加え、過去の強制測量などで生まれた住民側の不信感が、問題を難しくしている。

住民の涙の訴え直後にダム進める方針示した中村知事
 長崎県の中村法道知事は今年9月、約5年ぶりに反対住民と約2時間にわたり面会。涙ながらに建設中止を訴える声に耳を傾けた。だが終了後、すでに移転に応じた住民の存在も挙げて事業を推進する方針を示し溝は埋まらないままだ。

 行政代執行で住民を民家から引き離すことになれば、ダム建設では全国初。ただ中村知事は「行政代執行は最後の手段」と位置づける。県は9月、ダムの完成予定を25年度まで3年遅らせており、稼いだ時間で住民に理解を求める考えだ。ダム工事の差し止めを求める訴訟なども続いており、明け渡し期限後、ただちに代執行に踏み切る可能性は低いとみられる。

石木ダム
 長崎県と佐世保市が同市の水道用水供給や洪水対策を目的に石木川に計画する多目的ダム。総貯水容量548万トン、総事業費285億円。1975年度に国が事業採択した。当初は79年度の完成予定だったが住民の反対が強く、県は今年9月、9度目の工期延長で完成予定を2025年度に遅らせた。ダム本体工事はまだ着工していない。

◆2019年11月19日 長崎新聞
https://this.kiji.is/569330499597861985?c=39546741839462401
ー石木ダム事業 住民「力で奪うのか」 長崎県は繰り返し公益性主張ー

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、水没予定の川原(こうばる)地区で暮らす反対住民13世帯の土地の明け渡し期限となった18日、住民らが県庁を訪れ、建設断念を求めた。明け渡しには応じない姿勢をあらためて見せた住民ら。一方の県側は同事業の公益性を繰り返し、主張は平行線をたどった。「行政代執行にならないようにすることが大事」としながらも、行政代執行を選択肢から排除しない考えを示す県。両者の溝は埋まる気配はなく、混迷の度合いを深めている。

 午前9時半、マイクロバスで県庁に到着した住民らは一様に硬い表情だった。9月、約5年ぶりに実現した中村法道知事との面会では計画の見直しを求めて頭を下げたが、直後の会見で知事がダム推進をあらためて表明したからだ。後日、「生活再建や地域振興に誠意を持って対応する」として再度の面会を求める書簡が届いた。「こちらの話は聞かず、話を聞けというのか」。住民側はいら立ちを募らせていた。

 17日に同町であった反対集会で採択した宣言文を平田研副知事に手渡すと、土地収用法に基づき土地の所有権を失った住民の岩下和雄さん(72)が憤りをあらわに口火を切った。石木ダムの主目的である利水と治水の効果に疑問を呈し、事業継続を承認した県公共事業評価監視委員会についても「ダムを造りたい人たちだけを(メンバーに)入れて再評価した」と切り捨てた。
 「(治水面で)緊急性があるなら河川整備を先にやるべきだ」「石木ダムを造らないと治水効果は上がらない」-。約1時間の面会。治水一つとっても住民と県側の主張は、この日も最後まで交わることはなかった。
 18日は住民らが県と同市に工事差し止めを求めた訴訟の期日とも重なり、住民らは面会を終えた足で長崎地裁佐世保支部へ。住民の岩永正さん(68)は「県庁と裁判所で厳しい現実を感じた。県は本当に私たちの生活を力で奪い取るのだろうか」と行政代執行に警戒感をにじませた。「付け替え道路工事現場の騒音で目覚める日常に慣れてきているのが怖い。嫌なことが続くが、地元の住民は踏ん張って暮らし続けるしかない」。石丸穂澄さん(37)は自らに言い聞かせるように話した。

  午後5時前、住民らを乗せたバスが川原に帰着。それぞれが家路につき、夕食の支度や犬の散歩などの日常に戻っていった。岩本宏之さん(74)は「暮らしに変わりはない。ただ土地の所有権を失い、保険や行政の手続きなどにどの程度影響があるのかは気掛かりだ」とぼやいた。
 一方、「石木ダム建設促進佐世保市民の会」の寺山燎二会長(81)は「佐世保市民にとってダムは必要だということを理解してもらいたいが、私たちは静観するしかない」と淡々と語った。

◆2019年11月14日 長崎新聞
https://this.kiji.is/567511901425173601?c=39546741839462401
ー川原は今 石木ダム用地明け渡し期限・上 <日常> 「奪われない」信じてー

 長崎県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設事業で、家屋など物件を含まない土地が対象だった9月19日に続き、水没予定地の川原(こうばる)地区に暮らす反対住民13世帯の家屋を含む土地の明け渡し期限が今月18日に迫った。住民が立ち退かない場合、県は家屋の撤去や住民の排除などの行政代執行も選択肢から除外しない構えだ。重大な局面にある集落を訪ね、日常の断片を集めた。

 虚空蔵山から陽光が差し、川原に朝が来た。あちこちに「ダム反対」の看板が立つ谷あいの通学路を、ランドセルを背負った小学生たちが元気に歩いて行く。
 13世帯の中で、ダム本体の建設予定地に最も近い場所に住む岩下秀男(72)、久子(71)夫妻は、毎朝午前8時ごろに自宅を出る。向かう先は、ダム建設に伴い県が進める付け替え道路の工事現場。平日の午前中、住民や支援者ら20~30人で現場に座り込み、抗議する。
 県が付け替え道路工事に着手した2010年3月から続く。当初は現場入り口前に陣取り、業者が入るのを阻止してきたが、県側が未明に資材や重機を搬入したため、座り込みも現場内に移った。それから2年以上がたつ。
 JR九州の運転士だった秀男は10年ほど前に退職。定年後の生活はダム反対運動が中心になった。趣味の植木に精を出したり、町外に住む子や孫の顔を見に行ったり、やりたいことはたくさんある。夫婦で「旅行に行きたいね」と話していたが、実現できないまま、定年後に取得したパスポートは期限切れになろうとしている。
 表向きは平穏だった10年弱。しかし付け替え道路の工事は着実に進み、土地収用法の手続きで今年9月、すみかの土地の所有権は奪われた。自分たちを「元地権者」と呼び始めた報道を見ると、やり場のない怒りが込み上げてくる。
 今月7日、県の幹部が突然現場を訪れ、話し合いに応じるよう住民らに呼び掛けて回った。「勝手に土地を奪っておいて『今後の生活を話し合おう』と言われても、応じられるわけない」とあきれる。思い返せば、いつも力ずくだった。「強制測量(1982年)も、事業認定申請(2009年)も、脅しさえすれば、こっちが屈すると思っている」。このまま強引に本体工事を進め、日当たりが自慢のわが家に、巨大な堰堤(えんてい)が影を落とす日が来るのだろうか。「『出て行かんあんたらが悪い』とでも言うみたいに」と不安そうにつぶやく。
 それでも、自分たちを「不幸」と哀れんだりはしない。「取りあえず元気に生きてるし、毎日仲間とも会えるから。今を幸せと思わなくちゃ」と久子は気丈に笑う。土地の所有権はなくなっても、この場所での平穏な暮らしは決して奪われることはないと信じている。=文中敬称略=

◆2019年11月15日 長崎新聞
https://this.kiji.is/567872887226401889?c=39546741839462401
ー川原は今 石木ダム用地明け渡し期限・中 <居場所>  ここにまだ住んでいるー

 お気に入りのミュージシャンのポスター、何度もページをめくった絵本、捨てられない少女雑誌の付録、色鮮やかなキャンドル-。とりとめない思い出と大好きなもので満たされた、小さいけど大切な居場所。「確かに、私の場所のはずなんだけど…」。県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの水没予定地、川原(こうばる)地区の住民、石丸穂澄(37)は、住み慣れた自室でため息をついた。
 高校卒業後、軽躁(けいそう)と抑うつを繰り返す双極性感情障害と診断された。何度か実家を離れて生活したがストレスによる嘔吐(おうと)や不眠に悩まされ、結局は川原に戻った。窓の外に緑が広がり、耳を澄ませば小川のせせらぎが聞こえる。何の変哲もない谷あいの集落が、かけがえのない居場所だと悟った。
 2010年3月、ダム建設に伴う付け替え道路工事が始まり、「平穏な暮らしが脅かされている」と初めて感じた。ダムについて調べ、川原の豊かな自然や多様な生態系、素朴な生活をイラストや漫画にしてネットや冊子で発信するようになった。
 「生きものの気配にあふれ、人と人が温かくつながる川原が、私にはどうしても必要」。切実な思いを絵筆に込め、古里の豊かさと美しさを表現してきた。住民の生活を追ったドキュメンタリー映画の公開や川原地区への著名人の相次ぐ訪問、県に公開討論会を迫る市民運動の活性化など、人々の共感は着実に広がった。だが一方、土地収用法に基づく手続きは冷徹に進み、自宅を含む全ての土地が収用された。
 9月、土地の権利を失う最後の日、5年ぶりに実現した中村法道知事との県庁での面会で、これまで描いてきたイラストを掲げ、「私たちの大切なものを壊さないで」と訴えた。帰宅後、疲れて泥のように眠り、夜になって目が覚めた。1人で夕食を取っていると「もうすぐ私たちの土地じゃなくなるのか」と寂しさに襲われた。土地の権利が消滅した午前0時、短文投稿サイトに素直な気持ちを吐露した。「0時過ぎた…。もう わたしのものでない わたしの土地… ここにまだ 住んでいるわたし…」
 しばらく絵が描けずにいたが最近、また少しずつ描き始めた。「結局、やめられない。執念なのか。悪あがきなのか」と笑う。私はまだ、ここにいる。美しい古里はまだ、ここにある-。自らに言い聞かせるように、絵筆を握る。
=文中敬称略=

◆2019年11月16日 長崎新聞
https://this.kiji.is/568262891949966433
ー川原は今 石木ダム用地明け渡し期限・下 <団欒> ありふれた営みが力にー

 一つ屋根の下で、3世代7人が、温かな料理が並ぶこたつ机を囲む。県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダムの水没予定地、川原(こうばる)地区に暮らす炭谷家の食卓は、いつもにぎやかだ。学校や保育園での出来事を楽しげに話す3人の孫たちに、家長の猛(69)が目を細める。長男夫婦の潤一(38)と広美(34)は、はしゃぐわが子を時折たしなめながら、箸を動かす。
 これまで毎日のように繰り返された夕げのひとこま。土地収用法に基づく手続きで、7人が暮らす土地の権利は9月に消滅し、今月18日には明け渡し期限が迫るが、「地域も、生活も変わらず残っている。行政代執行で家が壊されるなんて、想像できない」と潤一は話す。
 憤りはある。家に伝わる過去帳には1753(宝暦3)年から先祖代々の名が記されている。260年以上、連綿と守りつないできた土地。それが、県収用委員会から「一方的に」裁決書が送り付けられ、いとも簡単に奪われてしまった。大地を駆け、川で泳ぎ、生きものと触れるのが大好きな子どもたちに、今の状況を伝えるのは親として苦しい。
 土地の権利を失う最後の日、5年ぶりに実現した中村法道知事との県庁での面会には、子どもたちも参加した。小学3年生の長女、沙桜(さお)(8)は前日、一人悩みながら知事宛ての手紙を書いていた。「お家がなくなったらいやです。こうばるのみんなや動物もいなくなったらいやです」。素直な気持ちを懸命につづり、大きな声で読む練習もした。
 面会では途中で泣きだしてしまい、ほとんど言葉にならなかったが、最後まで読み上げた。震える娘の肩を抱きながら、潤一は「子どもなりに今の生活を大切に思っている」と感じた。
 広美は、面会の場に子どもたちを連れて行くのを最後まで悩んだ。「子どもを利用している」と誤った印象を持たれないか心配だったからだ。泣きながら手紙を読む娘の姿は大きく報道され、「大丈夫?」と気遣う人も、「何で子どもを」と眉をひそめる人もいた。今は後悔していない。ただ、娘の必死の訴えにも、終始うつむき、目を合わせようともしなかった知事の態度が悔しかった。
 「向き合いたくないんじゃないか」と潤一は突き放す。明け渡し期限が過ぎても、にぎやかな家族の食卓は変わらず続くだろう。ありふれた日々の営みこそが、どんなに大きな権力にも負けない力になると思っている。=文中敬称略=