「災害列島と公共事業」(日本経済新聞)

 この秋、次々と日本列島を襲った台風による災害を契機に、与党・自民党では集票に繋がる「公共事業拡大論」が強まっているようです。以下の連載記事は、際限のない公共事業費の膨張を警戒し、予算の制約がある中でソフト面での対策強化が必要であるとしています。

◆2019年12月4日 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO52926990T01C19A2EE8000/
ー災害列島と公共事業(上) 勢いづく積み増し論 問われる検証と順位付けー

 令和元年の国土を立て続けに襲った台風の猛威は、日本が「災害列島」であることを強く印象づけた。与党では「国土強靱(きょうじん)化」を旗印に公共事業費の大幅な積み増しを求める声が強まる。人命を守る防災対策は欠かせないが、公共事業の「検証なき膨張」に陥る恐れも否めない。

 10月21日、自民党本部で開かれた台風19号非常災害対策本部の会合は白熱していた。「長期的な国土強靱化計画を考えるべきだ」「八ツ場ダムは間違いなく効果があった。利根川の堤防は決壊寸前だった」。議員からはダムなどのハード面の対策を称賛する声と一層の予算積み増しを求める意見が相次いだ。

 旧民主党政権は「コンクリートから人へ」をスローガンに公共事業の削減を進め、そのやり玉に挙がったのが群馬県の八ツ場ダムだった。だが、台風19号の通過後に八ツ場ダムが満々と水をため込んでいる様子が話題となり、その治水効果をたたえる声が広がった。

 国土交通省は利根川上流の7つのダム群が群馬県伊勢崎市の地点で水位を1メートル低下させたとする試算値を公表した。

 同市より下流の埼玉県久喜市の栗橋地点では、堤防が増水に耐えることができる水位まで残り30センチメートルに迫った。国交省出身で河川に詳しい自民党の足立敏之参院議員は11月5日の参院国土交通委員会で「明らかに洪水調節効果を発揮した」と力説した。

 だが、水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之共同代表は、栗橋地点での試算をもとに「八ツ場ダムがなくても中流域で氾濫する状況ではなかった」と分析している。

 そのうえでダムよりも川底の掘削の方が低コストで効果は大きいと主張する。嶋津氏は川の流量から政府が計画通りに掘削していないとみており、計画通りに掘っていればピーク時の水位は70センチメートル程度下がったと推計する。八ツ場ダムについて同氏が推計した17センチメートルを大きく上回る効果だ。

 こうした治水対策の効果やコストを巡る論議は始まったばかりだが、すでに与党内では防災を目的に掲げた公共事業拡大論が勢いづく。政府は発電用ダムなど既存インフラを治水に有効活用する方針だが、検証なき膨張を抑え込めるかは予断を許さない。

 国の公共事業費は1990年代、金融危機などによる景気の落ち込みを防ぐために膨張した。ピークは98年度の約14兆9千億円。19年度は約7兆円と半減している。

 財務省はこれまでの公共事業などの固定資産投資を欧米と比較したうえで「日本の社会インフラはほぼ出来上がりつつある」と主張し、予算拡大の主張をけん制する。

 一方、国交省は「地震や河川の氾濫が頻繁に起きる日本と欧米を比べることには無理がある」と反論する。実際に近年、河川の氾濫による被害の大きさを目の当たりにしたことで、公共事業の拡大を求める声が強まるのは自然な流れだった。

 もっとも、国と地方を合わせた債務残高は国内総生産(GDP)の2倍に達し、老朽化した既存インフラの維持・更新費も膨らむ。国交省は18年11月、維持・更新費について「今後30年間で194.6兆円」との推計を示した。平均で年約6.5兆円と国の公共事業費に近く、新たな事業に乗り出すことの難しさが浮き彫りになった。

 長期にわたって予算の制約が厳しいなかでは、より多くの人命を救うためにも、さまざまな防災対策の効果や優先順位を明確にする努力が欠かせない。

 首都大学東京の朝日ちさと教授は「平時のうちに非常時の事業評価や資源配分の枠組みを作っておく必要がある」と強調する。

◆2019年12月5日 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/nkd/industry/article/?DisplayType=2&n_m_code=081&ng=DGKKZO52971380U9A201C1EE8000
ー災害列島と公共事業(下)「ソフト防災」改善の余地 建設工事、人手も制約要因ー

 台風19号が通過した10月12日夜から13日未明にかけ、川崎市のJR武蔵小杉駅周辺の道路は軒並み冠水した。林立するタワーマンションの1棟は地下の電源設備の浸水により停電した。「こうなると分かっていたら購入をためらった」。住人からは恨み節も漏れる。

 川崎市は被害が想定される区域や避難場所などを示す洪水ハザードマップを作製していた。だが、不動産会社には購入者への説明義務が課されておらず、住民の認知度は低かった。土砂災害や津波については購入時に説明しなければならないのと対照的だ。

 台風で浸水被害があった他の地域の多くもハザードマップでリスクが示されていたが、損害保険ジャパン日本興亜の全国調査では回答者の約6割が自宅付近の危険性を確認していなかった。

 その中で東京・江戸川区のハザードマップは例外的に以前から話題になっていた。注目された理由は住民に訴えかける直接的なメッセージの数々だ。想定する最大規模の大雨で「区のほとんどが水没」すると明記した。人口密集地帯のために救助もしきれず「区内にとどまるのは危険です!」と呼びかけていた。

 この結果、約70万人の区民の意識は高まり、台風19号の上陸時は約3万5千人が小学校などに避難した。これまでになかった多い数字という。

 「100年に1度」などと形容されてきた大規模災害について、赤羽一嘉国土交通相は「毎年来ると思って対策を立てる必要がある」と訴える。ダムなどの大規模なインフラ整備に予算的な制約がある中で、住民の啓発や情報伝達の改善など「ソフト防災」にはまだまだ工夫の余地がある。

 防災への意識は地方自治体でも十分ではない。人口減少に合わせ、商業施設や住宅地を中心部に誘導するコンパクトシティー政策。その中心となる「立地適正化計画」を決めた269自治体のうち、住宅を集める居住誘導区域に災害リスクのある区域が含まれる割合は実に9割を超える。

 住民と向き合う自治体からは「昔からの市街地が浸水想定区域に含まれている」「強制的に移住させることはできない」といった声が漏れる。国土が山がちで住める面積が少ない日本ではやむを得ない面もあるが、頻発する異常気象に中央省庁は危機感を強めている。

 財務省は自治体の防災体制について「土地利用の規制や都市計画との連携が十分であるとは言い難い」と批判し、土地利用を所管する国交省も対策を練っている。

 防災インフラを建設する公共事業の制約は予算だけではない。建設業は人手不足と高齢化という難題を抱える。1997年に685万人いた就業者は直近で500万人を割り込み、55歳以上が2018年に35%と全産業平均の30%を上回る。

 建設業は時間外労働の上限規制の適用が猶予されてきたが、24年から対象となる見込みだ。公共事業を積み増そうと思っても、人手不足のために思うにまかせない事態が現実味を帯びている。

 災害に備えた工事が必要なのはダムや堤防といった大型施設だけではない。住民の避難生活が長期化するケースも増え、明治大学の飯田泰之准教授は「浸水に対応できる避難施設の整備や避難所の待遇改善も重要な公共投資だ」と指摘する。

 大型台風は日本の防災インフラの弱点を浮き彫りにしたが、対策につぎ込む予算も人手も限界がある。住民や行政各部門の意識を高め、総合力で挑むことが欠かせない。

 小川和広が担当しました。