八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

「いまさらダムなんて」 五木村民、思い複雑 「川辺川ダム」計画に翻弄

 国直轄事業である八ッ場ダムと川辺川ダムは、建設中止を政見公約に掲げた民主党政権時代に反対の道を歩むことになりました。ダム事業に関係する利根川流域都県が中止に反対した八ッ場ダムは建設されることになり、熊本県一県のみが関係した川辺川ダムは、その熊本県が球磨川流域の反対世論に推されてダムの白紙撤回を求めたことからストップがかかりました。それ以降、熊本県は川辺川ダムの水没予定地を抱える五木村の地域振興を支援し、水没予定地には観光施設ができ、観光客も増加しています。
 しかし、川辺川ダム計画をあきらめていないと言われる国土交通省九州地方整備局は、ダム事業の中止手続きを行っていません。被災者をよそに、この度の球磨川水害を機に川辺川ダム復活を求める声があがっています。

 五木村の人々の複雑な胸中を伝える地元誌の記事を紹介します。

◆2020年7月24日 熊本日日新聞
https://this.kiji.is/659217862959613025?c=92619697908483575
ー「いまさらダムなんて」 五木村民、思い複雑 「川辺川ダム」計画に翻弄 水没予定地には観光施設もー

 「いまさらダムなんて」。熊本県南部を襲った豪雨で甚大な被害が出た人吉市は、建設が中止された川辺川ダムの最大受益地とされていた。水没予定地を抱えていた五木村にとって、国のダム中止を受けて新たな村づくりを進める中、下流域で未曽有の水害が起きた。今後の治水協議ではダム議論が再燃する可能性もあり、村民たちの心中は穏やかではなく、複雑な思いが交錯する。

 「ダムの議論は当然出てくるだろう」。21日、人吉市の惨状を目の当たりにした元五木村職員の村口元吉さん(71)はこぼした。

 現役職員だった1998年ごろ、川辺川沿いの水没予定地から、高台の頭地代替地へ住民を移転させる業務に携わった。「多くの村民が苦渋の決断をして村外に出て行った」と振り返る。

  国は66年、ダム計画を発表。きっかけは、球磨川流域で63年から3年連続して発生した大水害だった。村は当初、村中心部が水没する計画に反発。反対運動も起きたが、村は「下流域のため」と、96年に本体工事に同意した。

 ところが2008年、下流域の首長の反対もあり、蒲島郁夫知事がダム計画の白紙撤回を表明した。09年、当時の民主党政権が建設を中止。村はダムによらない村づくりへの転換を迫られた。

 村口さんも頭地代替地に移り住んだ。村役場を退職し、今は地元の区長を務める。ダムに翻弄[ほんろう]された村や自身の歴史を踏まえ、「ダムの話が出ても、もろ手を挙げて賛成する人はいないだろう」。

 実際、近くに住む豊原袈年さん(74)は「何かあるたび、『ダムを造る』『造らない』と議論になるのはおかしい。今まで通り、ダムによらない治水を考えてほしい」と訴える。

 村は水没予定地に公園「五木源[ごきげん]パーク」のほか、屋外レジャーが楽しめる広場などを整備。観光客はこの10年で12万人から17万人近くに増え、「もう後には戻れない」との声も聞かれる。

 19年4月、水没予定地にオープンした宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI」営業支配人の福岩博之さん(57)は「ダムがあったとしても今回の水害を防げたかどうかは分からない」と強調。「ダム計画が凍結されたからこそ、できた施設。ダム建設には反対だ」と言い切る。

 ただ、豪雨災害を受け、蒲島知事は「ダムによらない治水を極限まで検討したい」とする一方、「どういう治水対策をやるべきか、新しいダムのあり方も考える」とも発言。県が治水対策の検証対象に、川辺川ダムの治水効果を含めることも判明した。

 同じ頭地代替地に住む北原束さん(84)は「ダムがあれば、多少なりとも被害を防げたかもしれない」。毎年、各地で豪雨災害が起きていることを踏まえ、「今は従来の河川改修だけでなく、ダムを含めたあらゆる手段を考えないと対応できない」と語気を強めた。

 木下丈二村長は「今は災害復旧の真っただ中。ダムについて予断を持って言える段階ではない」と説明。当面、流域自治体の議論の行方を静観する考えだ。(臼杵大介)