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「再始動 川辺川ダム」(西日本新聞連載記事)

 国の巨大ダム事業として八ッ場ダムと並び称されてきた川辺川ダムを巡る方針転換について、各紙が連載記事を掲載し、詳しい情報を伝えています。
 西日本新聞の連載記事「再始動 川辺川ダム」(上中下)を紹介します。

◆2020年11月20日
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/665840/
ー「犠牲に報いるため」人命と環境の両立 揺れた知事、「撤回」再びー

再始動 川辺川ダム(上)

 拍手も、どよめきもなかった。12年前にダム賛成・反対両派が埋め尽くした熊本県議会本会議場の傍聴席はがらんとしていた。「新たな流水型ダムを国に求める」。蒲島郁夫知事の表明の瞬間、報道カメラのシャッター音だけが響いた。

 「災害の大きさを、身をもって知った時だった」。知事応接室での記者会見で、蒲島氏はダムによらない治水の限界を感じた瞬間を問われ、「豪雨直後」と即答した。「これまで12年間使ってみんなで一生懸命考えたが、無理だというのが結論だった」

 ここに至るまでの蒲島氏の発言は揺れた。7月5日、被災地を視察した蒲島氏は「改めて『ダムによらない治水』を極限まで検討したい。私が知事である限りはそういう方向でやる」と述べ、翌6日に「新しいダムの在り方についても考える」と軌道修正。ネットで批判されることもあり、「知事は気にはする。世論というのは無視できない」。側近はこう打ち明ける。

 蒲島氏の周囲は急速にダム容認へと傾く。流域首長でつくる協議会がダムによらない治水の議論を公然と批判し、国は「川辺川ダムがあれば被害は減らせた」との推計を公表。包囲網は狭まった。

 県庁内でも「球磨川で有効な治水策はダム以外にない」と考える職員は少なくない。蒲島氏は、8月下旬から「川辺川ダムも選択肢の一つ」と公言するようになっていく。

 10月15日から計30回開いた意見聴取会。「知事にお願いして、民意を確認する『旅』に出てもらった」(田嶋徹副知事)。発言者は流域住民など467人。ダム容認の声もあれば、強い拒否反応もあった。

 民意は揺れ、割れる中、蒲島氏は「何げない日常や幸せを守ることが、なぜできなかったのか。この多くの犠牲に報いるために、私たちは何をしなければならないのか」。たどり着いた論理は「命と環境の両立」だった。

 12年前に脱ダムを宣言する前、国土交通省はダムの必要性を蒲島氏に直接訴えた。「仮に川辺川ダムを建設しないことを選択すれば、流域住民が水害を受忍していただかざるを得ないことになる」

 当時、県政策調整参与だった小野泰輔元副知事によると「白紙撤回の方針決定は表明の約1カ月前」。知事公邸や「秘密の部屋」に数人が集まり、脱ダムの論理を補強していった。「漏れたらつぶされる」。情報管理を徹底し、ダム推進派の自民党を出し抜いた。

 今回は事前に情報が漏れ、「川辺川ダム容認方針」は大々的に報じられた。「ダム屋の親分にも会いたい」。知事表明の数日前、県幹部は国会議員とのアポ取りをこう表現した。

 緊張感も高揚感もなく迎えた歴史的転換点。「この決断は、100年後の球磨川流域、さらには熊本県にとって、必要不可欠なものであったと振り返る日が来ることを確信しています」。蒲島氏は晴れ晴れとした表情だった。(古川努、綾部庸介)

   ◇   ◇
 川辺川のダム計画が再び動きだした。半世紀にわたって翻弄(ほんろう)されてきた流域住民の思い、復活した大型公共事業への政治・行政の思惑とは-。

◆2020年11月21日
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/666285/
ー環境変化「しょうがない」住民の「反対」のみ込んだ豪雨ー

再始動 川辺川ダム(中)

 谷あいに注ぐ日差しを浴び、川面は光り輝いていた。豪雨災害から4カ月半。川沿いには解体を待つ家が骨組みを残す。復興のペースは自然の回復力には及ばない。

 球磨川中流域、熊本県八代市坂本町の下鎌瀬集落。誰もが清流の恩恵を受けて育った。自宅の平屋が全壊した宮瀬勝士さん(65)は、被災してもなお「年齢を重ねるほど川がいとおしくなる」。片付けに追われ、県が開いた治水策の意見聴取会には参加しなかった。

 その聴取会で得た「民意」で決めたとする19日午前の蒲島郁夫知事の意向表明。上流の川辺川へのダム建設容認を宣言するインターネット中継の画面に目を凝らしたが、途中で離れた。「自分たちの声が聞こえているとは思えない」。ダム建設を巡る議論はどこか遠い。

 繰り返される氾濫に対し、流域では河道掘削をはじめ一部で対策を進めてきた。地元集落でも3メートルほど宅地がかさ上げされたものの、25軒のうち20軒が被災。「もう安全だと思っていたのは、油断だったのかもしれない」。不平、不満はのみ込むようにした。

 そこから上流へ40キロ。西南戦争の翌年、1878年から続く人吉市中心部の球磨焼酎蔵元「渕田酒造場」。製造設備が水に漬かった社長の渕田将義さん(63)は、過去4回の被害を乗り越えた創業地からの移転を決めた。街から明かりや人影が消えるのは忍びない。だが今回の氾濫は想像を超えた。

 不安はあった。幼少期に比べ、川底は年々土石がたまって浅くなっていた。「できる対策をなんで進めなかったのか」。足元の基礎的な対策を欠いた行政への不信は拭えず、「ダムができても水害は防ぎきれない」と言う。聴取会にも足を運んだが、ダムありきで進んでいると感じただけだった。

 蒲島知事は意向表明で、意見聴取を通じて自身が感じ取ったという流域住民の川に対する「深い愛情」について触れた。特に印象に残ったのが「球磨川は悪くない」「清流を守ってほしい」と語る姿だと話し、命と環境の両立との考え方を導いたとした。

 共鳴する流域住民もいる。川から約500メートル離れた自宅が初めて浸水したことで治水に関心を持った人吉市中心部の城本雄二さん(71)。新聞の切り抜きや資料を集めたファイルは6冊に及ぶ。環境負荷が小さいとされる「流水型ダム」なら多くが受け入れられると考え、町内会長を務めるエリアや周辺を回り、集めた51世帯分の署名を県に提出した。

 流水型ダムという人の知恵で生み出した新たな構造物を配することで「人命と自然の調和を目指してほしい」と願う。犠牲を無駄にしてほしくはない、と考えるからだ。

 アユ釣り客向けの宿を営む母を失い、知事の言葉をしっかり聞きたいと思っていたという球磨村の平野みきさん(49)。「ダムには反対だったけれど、環境が変わってきたのならしようがない、と自分を納得させています」。やむなく受け入れた住民は相当に多い。 (梅沢平、中村太郎)

◆2020年11月22日
https://www.nishinippon.co.jp/item/n/666535/
ー防災大義、消える脱ダム 災害頻発で勢いづく公共事業ー

 再始動 川辺川ダム(下)

 戦意ゼロの「敗北宣言」が時の流れを感じさせた。熊本県が川辺川にダム建設を容認する方針を固めたことが伝わった12日、かつて民主党に所属した立憲民主党の中堅議員は「もう行革っていう時代じゃないですから」とつぶやいた。

 2009年9月に発足した民主党政権は「コンクリートから人へ」を掲げた。当時の前原誠司国土交通相は就任会見で「公共事業見直しの『入り口』」として、熊本県の川辺川ダムと群馬県の八ツ場ダムの中止を宣言した。代替の治水案を持たないままの「見切り発車」だった。

 行き詰まりは必然だった。八ツ場ダムは2年後、民主党政権が自ら中止を撤回し、建設を再開した。球磨川流域で国や関係自治体が追求した「ダムによらない治水」でも、国交省が示す代替案は「過大で非現実的」(流域首長)なものしかなかった。

 そこに起きた豪雨被害。立民議員は「毎年のように大規模災害が発生し、犠牲者が出る。『対策事業は必要ない』なんて言えるわけない」とうなだれる。

 20日午後、国交省大臣応接室。流水型ダムの建設を求める熊本県の蒲島郁夫知事に、赤羽一嘉国交相は「全面的に受け止めたい」と即答した。思惑は明らかだ。官僚たちは口をそろえる。「ダム事業が再開できるこの機会を逃すべきではない」

 公共事業は長らく「悪者」だった。過大な需要予測や巨額の事業費が批判を浴び、小泉純一郎政権が削減を進めた。民主党政権が追い打ちをかけ、2000年代初頭に当初予算で9兆円超あった国の公共事業費は4兆円台に落ち込んだ。

 転機は政権交代で訪れた。安倍晋三政権は「国土強靱(きょうじん)化」を打ち出し、公共事業費はここ数年、約6兆円が続く。「国土強靱化」の緊急対策は本年度末に3カ年の期限が切れるが、自民党は来年度以降の5カ年で15兆円規模を投入するよう政府に求めている。

 頻発する異常気象と災害の激甚化が、ダムをはじめとする公共事業に追い風を吹かせる。「国土保全には当然、必要な額だ」と国交省幹部の鼻息も荒い。

 コロナ禍。公共事業が復権したその時代も、急速に逆回転している。

 公共事業費に限らず、安倍政権下ではアベノミクスがもたらした税収増を再投資する形で財政支出を膨らませてきた。だがそうした前提条件はコロナ禍で崩壊した。待ち構えるのは深刻な税収不足だ。

 「想定外の自然災害に脅かされる『命』を守るための公共事業だと強調されると、異論を挟みにくい。本来は人口減少が進む中でダム建設の費用対効果をどう考えるのかといった、多角的な検討がなされるべきだ」。五十嵐敬喜・法政大名誉教授(公共事業論)はそう指摘する。

 政府は治水効果に限界があることも認めつつ、ダム建設へと突き進む。「ないよりも、あった方がいいという政治判断」(国交省職員)が、国の懐事情や世論の変化で行き詰まることはないのか-。

 20日、国交省でダム建設のお墨付きを得た蒲島知事が興奮した声で言った。「(国は)普通は『聞き置きます』とかなのに、答えをいただいた」(鶴加寿子)