7月の球磨川水害の後、急浮上した川辺川ダムを流水型ダムとして復活させる計画について、ダム建設に反対してきた大熊孝・新潟大学名誉教授の見解をメディアが取り上げていますので、お伝えします。
従来の貯留型ダムと異なり、流水型ダムは通常はダム堤体に開けられた穴を通して川の水が流れます。水がたまるのは洪水の時だけであるため、河川環境へのダメージを最小限にできるとして、現在、全国各地で建設されるダムは流水型を採用するケースが増えています。
同様のテーマに関する大熊孝さんの論考については、こちらのページをご参照ください➡「球磨川水害と川辺川ダムについての大熊孝さんの論考」
◆2020年12月24日 朝日新聞
ー2020年熊本豪雨 川と共に
模索 流水型ダムの実力は 新潟大 大熊孝名誉教授に聞く アユの生息に悪影響もー
貯留型ダムに比べ環境への負荷が少ないとされる流水型ダムだが、疑問を抱く河川工学の専門家もいる。長年、ダムによる治水の限界を訴え続けてきた大熊孝・新潟大名誉教授に聞いた。(聞き手・太路秀紀)
ー流水型ダムは環境に「優しい」のでしょうか?
「私は『そんなに優しくはない』と考える。一つは、アユなど魚の遡上や降下を妨げる点だ。確かに、ダム底部に穴が開いて魚類の移動は物理的に可能だが、実際にはダム堤体(本体)は厚く、穴には摩耗対策としてステンレスを張ることもある。こうしたトンネルが何十メートルも続くことになる。本来は、岩や石があり、よどみがあり、蛇行している川を上っていく魚たちが、そんなトンネルを上っていくだろうか。」
「適切に造った魚道であれば、魚が遡上している場面を見たことがあるが、流水型ダムトンネルを魚が遡上している姿を実際に確認したことはない。流水量の少ない時期にはトンネルの水位も低くなり、魚類の遡上は一層困難になる。」
ー土砂の堆積の問題はどうでしょう。
「流水型では洪水(大雨)も自然に流下するので、土砂がたまりにくいと言われる。だが、洪水時に水位が上昇してダム上流側に水がたまる湛水域ができれば、その端の部分では流速が急に落ちて土砂が堆積する。規模が大きく、洪水調節能力が高いダムほど土砂は堆積しやすくなる。」
「従来の計画から考えて川辺川ダムの場合、流水型ダムは今までにない巨大な規模になる。洪水が重なれば、湛水域内の上流に大量の土砂がたまり、洪水調節容量も減っていく。流れが通常に戻っても、たまった土砂から細かい粒子が下流側に流れ続け、濁った水が供給される」
「ダムによって大量の水が流れてこなくなる下流では、河床の砂利や小石が動かずに、古いコケがそのまま残る。生態系、特にアユに決定的な悪影響を及ぼすだろう」
ー新技術のゲート式でも問題は解決できないでしょうか。
「ゲート操作で穴からの放流量を増やすことができれば、土砂が多く流下する可能性はある。しかし、それでも洪水後の上流側に土砂が堆積する状況は変わらない。流水型に転換する場合、国がどういう計算でどれだけの堆砂容量を設定するかも注目すべきだ」
「従来の穴あきダムの特徴は、ゲート操作がないため、人為的なミスもないという点だ。ゲート付きなら、操作は難しい作業になると思われる。」
ー球磨川の治水はどうすべきでしょうか。
「流域の人たちが何を望むかだ。全国で、球磨川と吉野川(高知県、徳島県)ほど、住民が高い関心を寄せる川はない。流域住民の徹底した議論で結論を導き出してほしい」
◆2020年12月21日 日刊ゲンダイ
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/282821
ー河川工学の重鎮が警鐘「経済優先の自然観からの転換を」ー
大熊孝(新潟大学名誉教授)
今年7月、60人を超える死者、行方不明者を出した熊本豪雨。今回の水害は「人災」だと言われている。それは球磨川治水を巡って、同県の蒲島郁夫知事が2008年に川辺川ダムの建設を止めたからだ。蒲島知事は11月になって一転、建設容認に舵を切ったが、ダムを造れば「水害」を防げるのか。そんな単純な話ではない。「民衆の自然観を破壊してきた国家の自然観の見直しが必要」と河川工学の重鎮は警鐘を鳴らしている。
――洪水で甚大な被害が出たものだから、川辺川ダムが一転、建設の方向となりました。
流域住民は球磨川をどんな川にしたいのでしょうか。水害には遭いたくない。でも、豊かな自然の川は残したいと思っている。
■人為的なゲート操作など嵐の現場ではできない
――そこで自然にやさしい「流水型ダム」(穴あきダム)ならば、いいんじゃないかと蒲島知事は言っています。
穴あきダムは、底部に洪水を流すための穴があるダムです。普段は水がその穴を流れますが、洪水となり、流し切れなくなると、次第に貯水位が上昇します。そうなると圧力がかかり、放出量も増え、自然に洪水調節が行われます。しかし、川辺川ダムは今までにない巨大流水型ダムになります。穴の大きさ、長さとも従来とはケタ違いになる。魚類への影響は避けられず、堆積物の量も増える。砂礫が流れなくなり、瀬や淵が破壊され、川の生態系が変わり、川辺川だけでなく、本川の球磨川も死の川になる可能性があります。さまざまな洪水流出のパターンを計算してみると、固定した穴では貯水容量がすぐ満杯になるケースがあります。それを防ぐには、ゲートをつけて穴の大きさを調節する必要があります。しかし、これでは人為操作が不要という穴あきダムのメリットがなくなってしまいます。人為的なゲート操作は大変難しいのです。
――コンピューターで制御できないんですか?
私は博士課程の時に、前橋にある建設省(当時)利根川ダム統合管理事務所に3カ月ほど実習に行き、薗原ダムで洪水調節のゲート操作に立ち会ったことがあります。その時、こんな恐ろしい仕事には就きたくないと思いました。緊急放流しなければならない段階というのは、風も雨もすごくて、ダムの水面は波打っています。水位は機械的に平均値が表示されますが、嵐の現場では変動しますから、とっさの判断は難しい。緊急放流すれば下流では一気に水があふれる。死者が出たこともあります。人が亡くなれば、操作担当者はそれを一生背負って生きていくのです。
――蒲島知事はダム中止と建設で揺れましたね。
08年に川辺川ダム建設は中止にしたけど、そのあと天草の路木ダムについては賛否の議論があったのに建設しました。阿蘇の外輪山に造っている立野ダム、これも穴あきダムですが、熊本地震の際に工事中のトンネルが土砂で詰まってしまいました。地質的に危ないから中止にできたのに蒲島さんはしなかった。きちんとした自然観があって行政をやっているとは思えません。
もともと我々は氾濫しやすいところに住んでいる
――こうして毎年のように水害が起こると、やっぱりダムは必要なのではないか、と思いがちですが。
日本全国に洪水調節用のダムは約580基あり、そのうち40基が現在、建設ないし計画中ですが、ダムはかなり上流域に造られます。ダムに集まる水はその上流ですから、流域全体の中でダムが支配できる割合はそもそも小さく、豪雨の時に役立ったかどうかを検証することは難しい。
――19年の台風19号の際には八ツ場ダムのおかげで助かったといわれました。
国交省が詳しいデータを公表していないので、机上の計算ですが、八ツ場ダムが水をため込んだことによる下流域での洪水低減効果は、利根川が平野に流れ出す伊勢崎市で水位にすると、たかだか40センチです。この時の洪水位は堤防の天端までまだ3メートル以上の余裕がありました。それで「首都圏を氾濫から救った」というのは大げさすぎると思います。
――18年の岡山・真備町などが中心的被害を受けた洪水も悲惨でした(死者226人)。
小田川の破堤氾濫で4600棟が浸水し、51人の死者が出ています。そのうち42人が住居内の溺死で45人が65歳以上のお年寄りでした。あそこはもともと一面田んぼでした。氾濫しやすいところを開発した。その時、住宅購入者に氾濫しやすいことを知らせようともしなかった。住んでいたのは僕と同世代の70、80代です。一生懸命働いて、やっと家を建てたのに、水害で寝たきりのまま溺死した。どんな思いだったでしょう。
――昨今、水害が頻発しているのは温暖化の影響だと思いがちですが、違うのでしょうか?
それもあるでしょうが、もっと根本的な問題があります。我々が住んでいる平野はもともと氾濫によって造られたところです。そのことを無視して都市開発し、住民が被害に遭っている。ちょっと前まではハザードマップすら公表されていなかった。
――低いところにお年寄りの施設もありました。
球磨川洪水で14人が犠牲になった特養の千寿園ですね。球磨村は平地が少なくそこに立地するしかなかった。しかし、危ないのであれば、あふれた水の勢いをそぐための「樹林帯」をつくる、お年寄りは2階に住んでもらうなど当たり前のことができていなかった。16年の岩手・小本川の氾濫の時も、もともと河川敷の1階建ての老人ホームで9人の犠牲者が出た。対策を何もしていないんです。
■日本人の「自然との共生」という概念が消滅しました
――自然災害は土木で克服できると思っているのでしょうか。
「本家の災害」「分家の災害」という概念があります。日本人は縄文時代から1万年以上、災害を経験してきました。江戸時代末期の人口は3000万人くらいです。その頃までに立地していた家は、災害を意識して土地を選んでいる。いわゆる本家があるところで、そこはめったに水害に遭わなかった。その後、人口が4倍になっていく。もともと氾濫していたところにも家を建てざるを得なくなってきた。そういうところがなんの備えもなしに、被害に遭う。これが分家の災害で、人災というしかない。武蔵小杉も多摩川が蛇行した跡ですよ。
――自然を畏れ逆らわず、共生するのではなく、自然克服、開発優先できたツケですか。
日本人が元来持っていた自然観は「自然との共生」でした。しかし明治以降、近代的な科学技術思想が導入されると、自然を人間に対立する存在として捉え、自然をコントロールし、災害は可能な限り撲滅し、恵みは徹底的に収奪していくようになった。自然と共生していく民衆の自然観は明治以降の150年間でほぼ消滅しました。それが昨今の災害を激化させている要因ではないでしょうか。昔は日本人は自然を壊してまで生きていくことは「うしろめたい」ことだという自然観を持っていました。家を建てる時には水害に遭わないかをチェックし、いざとなったら逃げることを考え、舟を用意していた。今はダムさえ造れば、川の氾濫はコントロールできると過信しているのではないですか。
――自然との共生に否定的な考え方は経済最優先、その裏には土木利権もちらつきます。菅政権に近い竹中平蔵さんは過疎地のインフラ整備や行政サービスを続けるのは非効率だから、住んでいる人を都会に移せばいい、と主張していましたね。
そういう形での人間存在はあり得ないと思います。水や石ころから生物まで全部が関係しあった自然の中に私たちの命があると思います。その自然の中にはウイルスも細菌もいる。そういうものとの関係性の中に我々人間がいて、自然に抵抗力がついたりする。それがコロナ禍におけるファクターXかもしれませんね。
▽おおくま・たかし 1942年生まれ。東大工学部卒、新潟大教授を経て名誉教授。専門は河川工学・土木史。2014~19年、新潟市潟環境研究所長。「社会的共通資本としての川」(宇沢弘文氏と共編著)など著書多数。「洪水と水害をとらえなおす 自然観の転換と川との共生」で20年、毎日出版文化賞を受賞。