新刊『流域治水がひらく川と人との関係 2020年球磨川水害の経験に学ぶ』

 昨夏の球磨川水害に関する新刊のご案内です。著者は国が進めようとしている「流域治水」を滋賀県知事として先駆けて実践した環境社会学者の嘉田由紀子さん(参院議員)です。

出版社(農文協)のホームページより

 『流域治水がひらく川と人との関係 2020年球磨川水害の経験に学ぶ』 嘉田由紀子 編著
 発行日 2021/11
 出版 農山漁村文化協会(農文協)
 定価2,420円 (税込)

 2009年に政権交代を果たした民主党政権は、政権公約(マニフェスト)に「八ッ場ダムと川辺川ダムの中止」を掲げました。両ダムは国直轄の東西ダムの代表格で、ムダな公共事業のシンボルとされました。
 その後、八ッ場ダムは関係一都五県がダム建設を要望し事業は続行、2020年3月にダムが完成しました。
 一方、川辺川ダムは流域の自治体が中止を求め、政権交代前に熊本県が白紙撤回を表明し、ダム以外の治水をめざすことになりました。しかし、国交省九州地方整備局は川辺川ダム計画の廃止手続きを取らず、同局と熊本県によるダムによらない治水の議論は具体的な成果を見出せぬまま、球磨川水害をむかえました。

 ダムを建設しなかった球磨川水系の大水害を機に、両ダムは再び対比されることになります。球磨川水害の前年、2019年の東日本台風では、貯水を開始したばかりの八ッ場ダムが満水となり、利根川本流では大きな被害がなかったからです。利根川支流の吾妻川に建設された八ッ場ダムが利根川本流を守ったわけではありませんが、両ダムの単純な対比はダムのPRには効果的でした。
 国土交通省は球磨川流域の被災地が復興に苦しむ中、昨秋には熊本県知事の協力を得て、球磨川の最大支流である川辺川のダム計画を復活させ、今年に入って、球磨川治水に関する基本方針、整備計画の改定作業を進めています。流域の市民団体からは、当事者である住民の声を国の治水対策に反映する仕組みがないことを訴える発信が続いています。被災者でダム建設を望んでいる人はほとんどいない、ということです。

 依然として、ダム建設を最優先とする国の治水政策。水害現場の具体的な事例をもって、その危うさを照らし出す本書が、今後の治水対策の議論に一石を投じることになればと思います。示唆に富む中島岳志氏の書評も併せて紹介します。
 

◆2021年12月25日 毎日新聞 今週の本棚
https://mainichi.jp/articles/20211225/ddm/015/070/025000c
「中島岳志・評 『流域治水がひらく川と人との関係』=嘉田由紀子・編著」 

水と住民との近しい関係、取り戻そう
 2020年7月に、熊本県球磨川流域で起きた水害では50人が溺死した。前滋賀県知事で参議院議員の嘉田由紀子は、環境社会学者としての知見をもとに、現地調査を実施。当事者の地元住民と共に溺死者一人ひとりの死亡要因を解明し、被害構造に迫ることで、被災減少政策の提案を行う。本書はその過程で開かれたシンポジウムの記録をもとに、「流域治水」のあり方を提言している。

 嘉田らの調査によると、20人の溺死者を出した人吉市では、球磨川本流の水位上昇前に支流が氾濫し、街中水路が溢(あふ)れることで溺死者が出た。支流上流の山林崩壊により、大量の土砂と木材が流れ込んだのだ。国や県の報告では、支流の氾濫は球磨川からのバックウオーターとされている。バックウオーターとは、支流が増水した本流にせき止められ、水位が上昇する現象である。しかし、今回のケースでは、バックウオーターが起きる前に、支流は氾濫しており、説明がつかない。

 熊本県は水害後、川辺川ダム建設の方向へと舵(かじ)を切ろうとしているが、嘉田は「今回の溺死者精査の結果、川辺川ダムがあったとしてもそれにより救われた命はごく少数といわざるを得ない」とする。

 調査に加わった地元の当事者が口をそろえて指摘するのが、人工林の皆伐やシカの食害による山の荒廃だ。支流の上流の山の手入れがいきわたらず、各所で大規模の崩落が起きた結果、水が一気に流出し未曽有の被害となった。森林の保水力の喪失が原因として大きく、山地全体の保全こそが喫緊の課題だという。

 そこで提示されるのが「流域治水」という考え方である。河川工学を専門とする島谷幸宏は、従来の治水手法と折り合いをつけ、発想の転換の必要性を説く。

 降った雨が一気に流出しないために、「土の下方向への浸透を利用」する。遊水地のように、表面に水をためる。もし、川から水があふれても、道路を少し嵩上(かさあ)げすることで氾濫流をコントロールし、住宅への水流を防ぐ。樹林帯(水害防備林)の活用によって氾濫流を弱め、流木を止める。そして、なるべく危ない土地に住まないよう政策的に誘導する。対策は近視眼的で単眼的であってはならない。常に上流から下流まで広域を見渡し、総合的・複合的な手法を使ってアプローチしなければ、気候変動に対応できない。

 嘉田は、戦後の新河川法の導入によって、河川の管理を行政に委ねる仕組みが定着し、住民から水が遠い存在になってしまったことを問題視する。かつては、住民が水流のことをよく知り、社会的に管理する体制が整っていた。しかし、国や地方行政による堤防補強・治水ダム工事などに委ねた結果、施設依存意識が強くなり、伝統的な備えの意識が弱体化していった。

 嘉田は、水を近い存在に取り戻し、流域住民が楽しみながら水との共生に取り組む仕組みを提案する。それは山や川といった自然を、私たちの日常生活の中に取り戻す思想実践に他ならない。

 無名の先祖たちが積み重ねてきた経験値や暗黙知の中には、重要な英知が存在する。死者たちからの無言の贈与を受け取り直すことで私たちは新しい時代を切り拓(ひら)いていくことができるのだろう。本書は治水という領域を超えて、大きな視座を提起している。(東京工業大教授・政治学)