国土交通省東北地方整備局は鳴瀬川総合開発事業の一環である鳴瀬川ダム建設にこのほど着手しました。
全国の河川に2500基ものダムが建設され、もうダムの適地は残されていないと言われながら、40年も前に計画され、必要性の希薄なダム計画が止める手立てのないまま、次々と着工されていきます。
最近の報道は、ダムができることによる弊害について、ほとんど触れることがなくなりました。鳴瀬川ダムは国の事業ですが、全国紙では取り上げられていないようです。
◆2022年6月13日 河北新報
ー宮城・鳴瀬川ダム、40年越し「着工」 2036年度の完成目指すー
東北地方整備局鳴瀬川総合開発工事事務所は11日、鳴瀬川ダム(宮城県加美町)の工事用道路の建設に着工した。県が筒砂子(つつさご)ダムとして予備調査に着手してから40年以上が経過し、実際の工事が始まった。
工事用道路の整備始まる
鳴瀬川ダムは、国の鳴瀬川総合開発事業として新設する治水、利水、発電の多目的ダム。県の漆沢ダム(同)を国管理の治水専用に改修し、一体的な治水を目指す。総事業費は約1450億円。今後は鳴瀬川ダム本体工事着工などを経て、事業全体で2036年度の完成を目指す。
現地の加美町漆沢地区で行われた着工式には、関係者約50人が出席した。鳴瀬川総合開発促進期成同盟会会長の伊藤康志・大崎市長が「世界農業遺産の大崎耕土は東北有数の農業地帯で、利水、治水の対策が求められてきた。一日も早い完成を」と祝辞を述べた。
鳴瀬川ダムは鳴瀬川支流の筒砂子川に建設する。ダムの高さ107・5メートルは県内最大で、総貯水容量は4560万立方メートル。コンクリートと現地で採取した砂利を固めて築く新工法「台形CSG」を採用する。
漆沢ダムは県が1981年に建設した多目的ダムで、総貯水容量は1800万立方メートル。新たな放流施設を整備して治水専用にする。既存ダムを洪水調整専用に改修するのは全国初。
流域では、県が79年に筒砂子川で筒砂子ダムの予備調査を開始。その後、国の補助事業になり、建設段階に進んだが、県は2002年に財政難を理由に一時事業休止にした。
10年には国のダム事業見直しの対象になった。13年、鳴瀬川総合開発事業として筒砂子ダムと漆沢ダムの一体整備が決まった。筒砂子ダムは20年に鳴瀬川ダムに名称変更した。
鳴瀬川ダム着工までの経緯
1979年 県が筒砂子ダムの予備調査を開始
84年 筒砂子ダム、計画調査着手
89年 筒砂子ダム、建設段階に移行
92年 国が鳴瀬川総合開発事業(田川ダム)調査着手
2002年 県、財政難で筒砂子ダム事業の一時休止を決定。地元の反発を受け、調査は継続
10年 国と県が、鳴瀬川総合開発と筒砂子ダムの事業検証を開始
13年 国は有識者会議の検討を受け、鳴瀬川総合開発と筒砂子ダムの事業を統合し、継続決定。田川ダムは建設中止。
17年 鳴瀬川総合開発調査事務所が工事事務所に組織改編(調査段階から建設段階へ移行)
20年 8月 ダム名称を鳴瀬川ダムに変更
21年 9月 国と地権者が損失補償基準で協定書締結
22年 6月 鳴瀬川ダムの工事用道路着工
県財政難で一時休止、事業見直し対象にも
鳴瀬川ダムは、予備調査着手から40年以上経過してようやく着工した。加美町の地権者約150人は、長らく将来の見通しが立たないまま、進む過疎に直面してきた。
漆沢、門沢、小瀬の3地区の地権者でつくる鳴瀬川ダム補償対策地権者会連絡協議会。会長の高橋太治さん(79)の手元には歴代の県、国の担当者の名刺の束がある。「県の所長は18人も変わった。ダム視察に何度も行き、東北のダムはほとんど見た」と振り返る。
転機は何度も訪れた。県は財政再建を理由に2002年に事業を一時休止。「コンクリートから人へ」を掲げた当時の民主党政権の下、10年には公共事業再検証の対象になった。高橋さんは「本当にダムができるのか。人生設計に関わるので、地権者には強い不安があった」と語る。
漆沢地区は山形県と接する山間地で、高橋さんは森林整備や酪農で生計を立ててきた。合併して加美町が発足した03年は62世帯234人が住んでいたが、現在は43世帯104人と半減した。
今後、地区の水田約20ヘクタールはダム建設の残土置き場になる。高橋さんは「建設終了後に再び耕す人はいるのか。地域の未来が見える振興策を形にして残したい」と一層の過疎化を危惧し、国、町と交渉を続ける。
加美町は、ダム建設に伴う町有地の損失補償で得る資金で基金を創設し、地域振興策に活用する計画だ。猪股洋文町長は「ダム完成まで待てない。水辺のアウトドア拠点としての整備や、周辺のダムを巡るダムツーリズムを推進したい」と過疎対策を急ぐ考えを示す。