ダムが止まるまち 八ッ場から(朝日新聞)

2009年9月27日 朝日新聞社会面より転載

ー細る集落 生活限界 400年の祭り参加者不足 「川辺川とは事情違う」-

 26日夜。八ッ場ダムの地元、群馬県長野原町の高山欣也町長は自宅居間のテレビを見つめていた。画面に、前原誠司国土交通相らが川辺川ダム(熊本県)の地元住民と話し合う様子が流れていた。

 「五木村は交渉失敗だよ。中止という結論ありきで来られて、一度でも応じれば、実績を作らせることになってしまう。おれたちは試金石じゃなくて捨て石にされたんだ」

 だが、前原国交相が、ダム事業中止後の補償のための新法を作る方針を打ち出したことを知ると、「こうも口にした。「二度と会わない、とは言っていない」「地元を納得させるための口実としか思えない」

 前原国交相が群馬入りしたのは3日前だ。現地住民は意見交換会への出席を拒否した。その日の午後9時すぎ。八ッ場ダム水没関係5地区連合対策委員会の関係者に一本の電話が入った。「意見交換会を拒否したのは賢明だった」と賞賛する内容だった。
 電話の主は、国土交通省の八ッ場ダム工事事務所の元幹部だった。「前原さんは切れ者。地元だけじゃなく、自民党とか群馬県とかと一緒にやらないと、とても(中止の白紙撤回は)できないよ」。そう知恵をつけられた。

 だが、ダム推進でまとまったように見えた地元住民にも、ほんの3日のうちに波紋が広がりつつある。

 前原国交相の視察から一夜明けた24日午後。八ッ場ダム広報センター「やんば館」に、ダム推進を堅持する群馬県の大沢正明知事や自民党の佐田玄一郎衆院議員(比例北関東)、自民、公明両党の県議ら約30人が顔をそろえた。

 「ダム地域住民との意見交換会」と銘打ったものの、地元側は町長や町議、連合対策委の役員らが大半。住民はほとんど集まらず、地元側は「連絡が行き届かなかった」と陳謝せざるを得なかった。

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 一方、最も水没世帯が多い川原湯地区で25日夜に開かれた総会には住民30人ほどが集まった。八ッ場ダム工事事務所の所長らが、中止の経緯や今後について住民の質問に答えたが、質問は、中止の場合の生活再建に集中した。

 「土地は今後も買ってもらえるのか」「国有地の管理はどうするのか」「我々のまちづくりプランはどうなるのか」「大臣は補償すると言っているが、対象は町か個人か」-。

 所長が答えに窮すると、住民側から声が上がった。
 「もうくたばっちゃいそうなんですよ。具体的な予定や考え方はないんですか」

 川原湯地区には、補償交渉が始まった01年には176世帯があったが、今では53世帯になった。役400年続いてきた伝統行事「湯かけ祭り」も参加者が足りなくなった。

 集落の成人男性が毎年、大寒の日におけを片手にふんどし姿で源泉の湯をかけ合う祭りに、今は八ッ場ダム工事事務所の職員も参加するようになっている。

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 26日、川原湯地区の山向かいにある川原畑地区の移転代替地。地元の川原畑諏訪神社に朝から住民約10人が集まった。夜に神社に集まって酒を酌み交わす秋祭りの日だ。
 地区に暮らすのは17世帯。01年には95世帯だったが、大半は代替地の完成を待たず、町外に出て行った。
 神社は、民家に先んじて06年にヘリコプターを使って移された。高台の境内からは、ダンプがせわしなく行き交う造成中の代替地がみえた。
 長野原町議会のベテラン議員で30年前から5回にわたり、川辺川ダムの現場を視察してきた冨澤吉太郎さん(69)は「五木村の集落がどうなったか関心はあるけど、こっちはそれどころじゃない」と漏らす。「川辺川は大半が代替地に移転済みだけど、こっちは代替地もできていない。移転せずに残れたとしても、水没するはずだった土地を国がどれだけ面倒見てくれるのか。本当に大変だよ」(菅野雄介、大井穣、木村浩之)