川原湯の温泉旅館休業

 かつては地域でもっとも栄えていた長野原町の川原湯温泉街は、ダム計画の歴史とともに苦難の歴史を歩んできました。すでに半数以上の旅館が撤退していますが、この3月、新たに有力旅館が休業するとの知らせに、川原湯温泉のファンは複雑な思いを抱いています。休業する柏屋旅館のご主人は、「半世紀以上かかって破壊されてきた地域が生き返るには、長い時間が必要だ」と仰います。ダムの犠牲が水没予定地にとってどれほど大きいものなのか、外部の人々は実際に目に見える形になって初めて気がつかされることが多いのです。

東京新聞群馬版2010年3月12日

ー八ッ場ダム問題、不況で 江戸期創業の『柏屋』休業へ 川原湯温泉の老舗旅館ー
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20100312/CK2010031202000152.html

 八ッ場(やんば)ダム建設中止問題で揺れる長野原町で、水没対象地区だった川原湯温泉にある老舗旅館「柏屋旅館」が、四月から休業することになった。長引く不況による利用客の減少とダム問題の長期化で代替地への移転のめどが立たないことなどが理由という。 (山岸隆)
 この旅館は江戸時代の創業で、収容客数は川原湯温泉最大の約百二十人。そばとクリ入り赤飯が名物で、同温泉を代表する旅館として知られている。

 休業について、旅館の豊田治明会長は「施設の老朽化が進んでいるが、ダムの建設と代替地での生活再建を前提にしてきたので、現在地で施設の改修に多額の投資はできない」と説明。時期は未定だが、移転先の代替地の完成後、営業再開を目指すという。

 川原湯温泉は一九八〇年代のピーク時には約二十の旅館が軒を並べた。しかし、相次ぐ休業や廃業で、現在営業する旅館は七軒に減少。豊田会長は「ダム建設の遅れと長い不景気で旅館や飲食店が減り、温泉街の活気が失われてしまった。先行きも見えない」と残念そうに語った。

 「ダムに沈む幻の温泉」として一時はブームを呼び戻した川原湯温泉。経営努力を重ねて頑張ってきた老舗旅館の休業の知らせに地元の観光関係者らはショックを受けている。

◆2010年3月16日 読売新聞群馬版より転載
ー八ッ場の老舗旅館休業へ、ダム中止表明後初ー
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100316-OYT1T00589.htm?from=main1

 八ッ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)の水没予定地にある川原湯温泉の老舗旅館の一つが、「生活再建の見通しが立たない」として、今月いっぱいで宿泊営業を休止する。

 前原国土交通相が昨年9月にダム建設中止を表明して以来、温泉旅館では初の休業宣言。「問題が長期化すれば衰退に拍車がかかる」と地元には不安が広がっている。

 休業するのは、明治以前の創業という「柏屋旅館」。24室で営業し、約120人を収容できる。温泉街の旅館は10年前の18軒から7軒に減り、最も大きい柏屋の宿泊客もピーク時の3分の1以下に減った。

 経営する豊田治明さん(74)は「中止表明から半年近くもたって何も進まない。代替地移転はいつまでも待たされるばかり。今のままでは赤字が続くだけで経営が成り立たない」と話す。日帰り入浴の営業は4月以降も続けるが、宿泊客を受け入れるには設備補修が必要で、経営的な余裕がないという。

 温泉街は数十メートル上に造成中の代替地に再建される計画で、約2年後には移転が始まる見通しだった。旅館関係者はダム湖による観光振興策を10年以上も練ってきた。柏屋も代替地に移転すれば営業を再開するつもりだが、豊田さんは「それまで生きていられるだろうか」と顔を曇らせる。

 ダム中止問題で脚光を浴びた昨年秋は観光客でにぎわったものの、その後、温泉街への客足は鈍い。川原湯温泉旅館組合長の豊田明美(あきよし)さん(45)は、「どの旅館も同じ苦境に直面している。次々に休業に追い込まれてもおかしくない」と心配する。

◆2010年3月24日 朝日新聞群馬版より転載
「【八ツ場よ!】 国信じ、振り回され」
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581003240001

 3月末で休業する柏屋。川原湯温泉で最大規模の旅館だが、移転代替地の造成は遅れ、再開の見通しはたっていない=12日
 八ツ場(や・ん・ば)ダム建設で水没予定の長野原町で、29日から休業する老舗(しにせ)の柏屋旅館。かつてダム反対運動の先頭に立った旅館主は、政治の波にもみくちゃになり、ダム本体着工を目前にした中止の動きに「将来が見えない」と漏らした。最盛期に20軒以上あった温泉旅館は、4月から6軒になる。(木村浩之、菅野雄介)

 川原湯温泉街の坂道を登り切った源泉近くに柏屋旅館はある。鉄筋コンクリート4階建てで、約30部屋あり、100畳の大広間や30畳の中広間2室もある。江戸時代の創業と伝えられ、川原湯で最も大きな旅館だ。

 柏屋旅館会長の豊田治明さん(74)が、母が切り盛りしていた旅館で働き始めたのは、高校卒業後の1954(昭和29)年。ダム計画が伝えられて2年後だ。

 ダム計画はいったん立ち消えになり、高度経済成長で観光客が押し寄せた。旅館に加え、芸者置屋や土産物屋、飲食店、演芸場が軒を連ねた。柏屋旅館は団体客を大勢呼び込み、木造3階の本館の増改築や鉄筋の新館建設と、次々に規模を広げた。

 65年、ダム計画が再燃する。豊田さんらは「温泉街を守りたい」と反対期成同盟を結成した。

 当時、町は、自民党の大物代議士の争いに巻き込まれていた。福田赳夫、中曽根康弘の両氏がトップ当選を争った中選挙区制の旧群馬3区で、条件付き賛成派は福田氏を、反対派は中曽根氏を頼った。中曽根派県議の誘いに応じ、反対期成同盟のメンバー102人が自民党に集団入党したこともあった。

 しかし中曽根氏が首相になってもダムは止まらなかった。首都圏の利水と治水のためとの国の説得に折れ、ダムを受け入れた。約20年に及んだ闘争で、「国とケンカしたって勝てねえ」と痛感した。ダムは2000年には完成するはずだった。

 工期は2度延長され、完成予定は15年延びた。自民党政権は用地交渉や工事の難航などと理由を並べた。国を信じて、一日でも早い生活再建を願うしかなかった。

 川原湯地区は全戸水没するが、高台の代替地では広い道路や駐車場ができる。旅館主らは建物の雨漏りがひどくなっても、代替地に移るまでと我慢してきた。柏屋旅館も従業員寮の売却などで経営難をしのいできた。

 01年まで毎年20万人以上いた同温泉街の観光客は、08年には12万人を切っていた。

 やっとダムの本体工事が始まると思った矢先、昨年の総選挙で八ツ場ダム中止を掲げた民主党が大勝。前原誠司国土交通相は就任直後に中止を明言した。

 ダム中止をめぐる議論は進まない。代替地の造成工事も遅れ、いつ完成するのか、見通しは立っていない。

 豊田さんは休業を決断し、2月、従業員約10人に解雇を伝えた。代替地に移ったら旅館を再開したいという。

 旅館近くの高台で、旅館の歴史を見続けてきた樹齢100年を超すという梅の古木が、今年も白い花を咲かせた。梅の木も代替地に移植するつもりだ。
 一方で民主党県連は、移転せずに現地での再建を国交相に提言している。「どうやったら現地再建できるんだ。反対していた時も、いまも、政治に振り回されてばかりだ」

 01年に176世帯508人が山の斜面にひしめいていた川原湯地区は、すでに50世帯を切っている。この間、10軒の旅館が休廃業した。