八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム中止宣言から一年(その2)

 前原大臣が八ッ場ダムの中止を宣言してから一年。各紙の地方版が特集を組んでいます。
 東京新聞連載、朝日新聞群馬版、埼玉新聞の記事をこちらに転載してあります。↓
https://yamba-net.org/wp/modules/news/index.php?page=article&storyid=999

 読売新聞群馬版の連載記事と川原湯温泉の住民の声を伝える朝日新聞群馬版の記事を転載します。

◆2010年9月17日 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1284654677743_02/news/20100917-OYT8T00114.htm

「八ツ場中止」1年

[上] 寂れる川原湯 旅館休業、住民も転出ー

 「長期休業は本当に残念」「政府のやり方が憎い」――。

 八ッ場ダム問題に揺れる川原湯温泉(長野原町)。11月25日で休業する江戸時代創業の老舗旅館「高田屋」の豊田明美社長(45)は、宿泊客用のアンケート用紙に目を通し「この意見を国に届けたい」と声を絞り出した。

 1991年、先代から「もうすぐダムが出来るから修業をしろ」と言われ、広告会社を退職して家業を継いだ。ダム湖畔に移転後の経営を描きつつ、砂塩風呂や露天風呂などに投資。2005年頃まで売り上げを伸ばした。しかし近年は赤字が続いていた。

 昨年9月17日、前原国土交通相がダム本体の建設中止を表明した後、「さらなる長期化を覚悟し、休業を意識した」という。中止表明後の休業は老舗「柏屋」に次いで2軒目。最盛期で22軒あった旅館はわずか5軒となる。

 「がっかりした。何もないじゃない」。お盆過ぎの午後。ホテル「ゆうあい」の玄関で、茨城県から来た予約客のひと言に、経営する久保田賢治さん(75)は耳を疑った。
 40歳代くらいの男性はキャンセルを申し出た。久保田さんは、あぜんとしたが、草津温泉を紹介すると、男性は川原湯を後にした。
 「観光は『観(み)て光る』と書くが、観て暗いんじゃね。お客さんを責められないよ」と久保田さんはさみしそうに語った。

 かつて、そば屋などの飲食店、釣り堀、射的場などが立ち並んでいた温泉街。それが飲食店はすし屋と食堂の2軒だけに。
 01年6月に水没地の単価が決まり、その後、用地交渉が始まった。借地の住民らは、分譲価格が高額な代替地を敬遠して、町内外に転出し始めた。同年3月に176あった川原湯地区の世帯数は、今年3月時点でわずか56世帯だ。

 周囲は工事現場化し、ダンプカーが行き交い、重機の音がこだまする。「人間がいなくなるのは恐ろしいこと」と久保田さん。やまた旅館を経営する豊田拓司さん(58)も「好景気の時は四季を通じて客が入ったが、今は休みの方が多い。休業に追い込まれる可能性が高くなってきた」と弱気になっている。

 9月上旬。食堂「旬」に国交省の用地担当者が食事に訪れた。経営者の水出耕一さん(56)は「みんな代替地の移転先が決まっているのに、うちだけまだ。どこかないか」と尋ねた。返事は「期待に応えられる場所はありません」。
 ダムのため、町内の移転対象422世帯のうち、89・3%にあたる377世帯が3月末時点で移転契約済み。残る世帯の大半は川原湯と川原畑地区だ。

 川原湯地区の代替地は、温泉街と住宅のエリアに分かれている。商売のため温泉街に移転したいが、分譲価格は割高で、借地で補償が低い水出さんには厳しい。
 政権交代前の昨夏には、「(住宅街で)どこなら商売になるか」と国にあっせんを求めた際、観光客が足を運ぶダムサイトへの遊歩道の近くの区画を紹介されていた。

 しかし、それも政権交代のため、遊歩道の話は立ち消えに。「国は(代替地に移転すれば)、『今まで以上に商売になります』と言ってきたのに。約束を実行してほしい」と切実な思いを口にする。

 4月から休業中の「柏屋」の豊田治明会長(74)は言う。「国は1年間、何もしてこなかった。住民の生活を優先してほしい。そうでないと、川原湯温泉は無くなってしまう」

◆2010年9月18日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1284654677743_02/news/20100918-OYT8T00050.htm

【中】転出者

ー8月上旬。中之条町で暮らす老夫婦と長女は車で25分かけ、長野原町川原畑地区の真新しい共同墓地に墓参りし、7年前まで住んでいた場所にも足を運んだ。八ッ場ダムの水没予定地にある。「何となく寄りたくなってしまう。習慣になっている」。左官業をしていた夫(76)はつぶやいた。

 約30年間暮らした白壁の木造2階建て住宅は今は更地に。「みんな顔見知りで、夏にはナスやキュウリをあげたり、もらったりした。中之条ではそんなことはない」。妻(73)は、さみしそうに語った。

 川原畑地区にあった自宅で記念撮影した家族写真に見入る男性。古里への思いが去来する(7日、中之条町で) 代替地の造成が進まず、「年を取ってから土地に慣れるのは大変」と2003年に転出した。3人の子どもを育てた家の解体作業を見守ったが、「知らない土地に行く不安で、泣いている場合ではなかった」と妻は打ち明けた。

 かつて、町を二分したダム建設。「あっちの家は賛成、こっちは反対といがみ合い、『あっちの店じゃ買い物してはいけない』なんてね。今も忘れない」と夫は振り返る。

 ダム建設は「国が決めたことだから仕方ない」と言い聞かせてきたのに、昨年9月17日、当時の前原国土交通相は「マニフェストに書いてあるから」と中止を表明。

 妻は「国は自分勝手」と吐き捨てる。「引っ越した人の気持ちは、しょうがないじゃ済まない。ダムを造らないなら、引っ越さなくて良かった。何のために故郷を捨てたのか」。悔しさは消えない。

    ◎   ◎ 

 長年ダム問題に苦しめられたうえに、中止表明で「ダム湖畔の温泉」という将来構想が宙に浮いた川原湯温泉街。6年前に渋川市に引っ越した篠原学さん(77)は「早く判断して良かった。川原湯に残っていたら、身動きが取れなくなっていた」と言う。

 温泉街で約45年間、酒や米、塩などを扱う「学酒店」を営んでいたが、ダム問題が長期化して転出が相次ぎ、「ここで商売はできない」と04年8月に店をたたんだ。

 長野原町内で移転対象の422世帯のうち、今年3月時点で238世帯が町外に転出した。中之条町や東吾妻町など近隣が多いが、店を継ぐはずだった長男(50)の再就職を考え、前橋市や高崎市に近い渋川市に決めた。

 長男も6年たった今春、前橋市の福祉施設の正社員になり、自分の生活は落ち着いたが、川原湯温泉街の苦境が気に掛かる。篠原さんは「ダムの検証作業といったって、すぐに答えが出る訳ではないでしょう。議論が長引くほど、苦しくなる。旅館さんが心配だ。配達で回っていた経営者の顔がいくつも頭に浮かぶ」と思いやる。

 かつて川原畑地区の区長を務めた中嶋廣文さん(76)は、25年間営業したドライブインを閉め、中之条町に引っ越して10月で5年になる。生まれ育った家の解体作業を涙で見守り、思いを断ち切ったはずだった。

 「ダムが出来るという前提で引っ越してきた。今さら出来ないとなると言葉で表すのは難しい。『ここに来て良かった』という風に解釈するようにしないと、悔しい」と自分に言い聞かせるように語った。

◆2010年9月19日
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1284654677743_02/news/20100919-OYT8T00042.htm

「八ッ場中止1年」【下】傷跡

 八ッ場ダムが建設される予定の吾妻川を見下ろし、切り立った山の中腹を縫うように真新しい道路が走る。長野原町の水没予定地の代替地同士を結ぶ、付け替え国道145号(10・8キロ)だ。

 8月20日には川原畑と林、横壁の各地区をつなぐ約3・9キロが暫定開通。湖面にかかる3本の橋のうち、初めて「湖面3号橋(丸岩大橋)」も通行可能になった。4月には、川原畑と東吾妻町の雁ヶ沢ランプ間の約3・6キロも暫定開通し、1年前に比べて道路整備は大幅に進んだ。

 川原畑地区に住む男性は「下を走る現在の国道はくねくね曲がっているが、ここは目をつむっても走れるようだ。どこに行くにも時間が半分ぐらいで便利になった」と喜ぶ。「ダムだか無駄だか知らないが、生活再建さえできればいい」とさえ言い切った。
 しかし、ダム本体の建設が宙に浮く中、生活再建の先行きも不透明感はぬぐえない。

 「予算が満額取れて代替地の工事も本体工事も着工できます。協力をお願いします」。政権交代前の2009年3月末、川原畑地区の住民センターに集まる住民約15人を前に、国土交通省八ッ場ダム工事事務所職員は図面を指し示し、代替地の整備計画を説明していた。その勢いに、住民の将来に対する期待は膨らんだ。

 ところが、政権交代後、職員の説明はトーンダウンした。歯切れが悪くなり、「上と相談してから」と頻繁に口にするようになったという。
 元町役場職員の農業中島寛さん(63)は「生活再建をする条件で、ダムに賛成したのに遅れている。国は重点的に予算を付けて、短期間で進めてほしい」と訴える。

 中島さんは今年2月、長年住み続けた家を手放し、約200メートル離れた代替地に転居。周辺は付け替え国道も整備されてきたが歩道は未完成。近所には、同じ世代の遊び相手もおらず、小学2年の孫を隣の地区の友人宅まで車で15分かけて送迎するのが日課だ。

 新居は、ダム湖になるはずだった吾妻川の谷を見下ろす高台にあるが、対岸の川原湯地区の代替地に渡る湖面1号橋はまだ工事中。対岸に行くには、いったん下の国道まで急坂を下りて、再び上がる必要がある。冬場にはごみ収集車が坂道を登れないこともあり、「これが救急車だったら……」と心配は尽きない。

 中島さんの次女で会社員八木良子さん(35)も「ダムが出来なかった場合は、取り壊された家の跡がむなしく残るだけ。これが子どもの代まで続くのだろうか」と嘆く。

 一方、川原湯地区から町内に引っ越した小売業の女性(45)は「ダムを止めるのなら、余計な工事をしないで景観を残してほしい。何千年、何億年とかかって出来た景色でしょ」。ダム事業は、町に大きな傷跡を残したままだ。

 町の人口は、水没地区の土地の補償価格が決まる前の01年3月末の7232人から、今年3月末には6340人に減少。川原畑地区は、93世帯243人から20世帯62人に激減。送り盆の行事など地区に残る伝統的な祭りの存続も懸念されている。

 くしくも中止表明から1年の17日、菅改造内閣の布陣が決定。新国交相に馬淵澄夫国交副大臣が昇格したが、八ッ場ダムについては、中止路線を踏襲する考えを示した。

 高山欣也町長は「(馬淵国交相に)現地を見てほしいという声もあるが、検証結果を出してもらうのが先。将来が見えず住民の不安は高まっている」と危機感を募らせる。

 58年間にわたり、ダムに翻弄(ほんろう)され続けるこの町の将来像は、いまだ定まらない。
     ◎
 連載は、佐賀秀玄、武田潤、石川貴章が担当しました。

◆朝日新聞群馬版より転載 2010年9月18日

ー先見えず募る悔しさ 川原湯温泉街を歩くー
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581009180001

 政権交代直後に八ツ場ダム(長野原町)の建設中止が表明されてから17日で1年になった。ダム建設によって全戸が水没予定だった川原湯温泉街はどうなったか。現地のいまを訪ねた。(石川瀬里)

 しとしとと雨が静かに降り続く。訪ねた16日は平日のせいか、車がたまに通る以外は人通りもない。カーテンを閉めた土産物店や、古びた旅館がひっそりと建っていた。

 「もう生きる希望もなくなった。このままくたばってしまおうかと思っているの」

 女性(77)は左手で足をさすりながら力無く話す。温泉街の表通りから奥まったところにある民家で、息子夫婦と暮らしている。民家の周辺には、夏草に覆われた建物の跡が何軒も並ぶ。この10年で、500人以上いた川原湯の住民は170人以下になった。

 ダム建設にはずっと反対だったが、住民みんなで、ダム湖の湖岸になる山を切り開いた代替地に移り住むことにした。「新しい川原湯」をつくるのが夢だった。

 だが、ダムも代替地も完成は遅れた。古くなった自宅の建て替えもままならないまま、待たされ続けた。

 1年前、国土交通相に就任したばかりの前原誠司氏がダム建設中止を表明したのを聞いて、肩の力が抜けた。この1年間、何を考えるのも嫌になった。「お先は真っ暗だ」

 町によると、川原湯では政権交代後、2世帯7人が転出。55世帯165人になった。うち47人が65歳以上だ。

 女性は足が悪く、つえをついて歩いている。住み慣れた場所を離れるのはつらい。「みんなどんどん年をとる。早いうちに先が見えればいいが……。もう生きていてもしょうがないよ」

 温泉街の坂道を上がると、旅館「柏屋」が見えた。玄関の前に、「日帰り入浴800円」の看板が立つ。温泉街で最も大きな旅館だったが、今年3月末に休業。日帰り入浴の客だけを受け入れている。

 2機あったエレベーターは、メンテナンス代がかかるため1機を使用停止に。それでも、1カ月に電気代など30万円近く経費がかかる。客室の畳や冷蔵庫などを県内の同業者に譲り始めた。日帰り入浴の平日の利用客は2~3人、休日は10人ほどだ。社長の豊田幹雄さん(44)は「やればやるほど赤字だよ」。

 6月に嫁入りした若おかみ、香織さん(37)は「大臣はひざ詰めで話を聞く、と言っていたのに、ぱったりと騒ぎもなくなってしまった。悔しいですよね」。

 柏屋の隣に、老舗(しにせ)旅館の「高田屋」がある。社長の豊田明美(あき・よし)さん(45)は「ダム中止と言ってから生活再建案も出さず、ほったらかし。住民は精神的な痛手を負っている」と憤る。

 旅館は11月25日で休業する。先行きが見えないなか、建物の老朽化などで見切りをつけた。8人の従業員は解雇せざるをえない。豊田さん自身も、休業後の身の振り方は決まっていない。代替地の近くで旅館を早く再開させたいが、めどは立たない。

 大臣が代わっても、民主党政権が続く限りはダムはできないと感じる。「民主党には、国民をこれだけ苦しめているという自覚を持って欲しい」と訴えた。

 温泉街の入り口に戻ると、この春に始まった湖面1号橋の橋脚の基礎工事現場が見えた。夏の余韻を残す濃い緑のなか、掘り返された茶色の地肌が目立った。

 地元は建設を国交相に直訴した。民主党県連が、橋の建設費52億円は他の生活再建に回した方がいいと建設に反対したからだった。

 しかし、建設が決まった時の喜びはいまはない。その後も先行きの見えない日々が続く。この日、1号橋が話題に上ることはなかった。

 菅改造内閣の国土交通相に馬淵澄夫国交副大臣が就任した。八ツ場ダムの地元、長野原町の高山欣也町長は17日、「(事業継続か中止かを判断する)検証作業を予断を持たずに引き継いでいただけるものと期待している」と述べた。

 外相に就任した前原誠司前国交相について高山町長は、「(中止表明の)責任をまっとうしてもらえず残念」と話し、新大臣が地元住民と話し合う意向を示したとしても、「政府が中止の方針である限り、話し合うことはない」とくぎを刺した。

 大沢正明知事は馬淵国交相の就任について「大臣という立場で、一日も早く、(八ツ場ダムの受益者の)1都5県知事や地元のみなさんの声を聞いていただくとともに、深刻な現地の状況を把握していただきたい」とコメント。

 「県としては引き続き、関係都県の知事と連携して、八ツ場ダム建設事業の中止撤回と生活再建関連事業の推進について、強く政府に求めていきたい」と訴えた。