ダムが洪水を引き起こす(北海道・沙流川水害訴訟)

 アイヌの聖地を沈めて建設された北海道の二風谷ダムは、1998年に運用が開始されたものの、すでに総貯水容量の43%が土砂で埋まっています。洪水を防ぐはずのダムが、逆に洪水を引き起こしているとして、下流の住民らは新たな国のダム計画(平取ダム)に反対しています。
 ダムの治水効果は限定的で、「想定外」の豪雨の場合、災害をさらに大きくすることすらありますが、国交省は「未曾有の豪雨」は「予見不可能」として非を認めていません。

◆2011年6月27日 朝日新聞北海道版
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000001106270005

 -洪水なぜ 続く闘い 沙流川水害訴訟-

■一審 住民側勝訴、国は控訴

 8年前の沙流(さる)川洪水は国に責任があると日高町の住民たちが訴えた国家賠償訴訟は今年4月、一審・札幌地裁で原告側が勝訴した。河川管理者の北海道開発局が水門を閉めずに操作員を避難させたことが違法だと判決は認定した。国相手の水害訴訟で住民側が勝訴するのは近年極めて珍しい。

《沙流川総合開発》 苫小牧東部大規模工業基地(苫東)の工業用水確保のため、二風谷ダムと支流の額平(ぬかびら)川に平取ダムを建設しようと、82年に工事に着手した。だが、石油ショックなどで苫東は破綻(はたん)。ダムの主目的は「洪水調節」「水道水供給」「発電」などに変更。二風谷ダムは98年に運用を開始。平取ダムは民主党政権の成立で本体工事の入札は凍結され、調査や付け替え道路の工事などを続けている。現時点での総事業費は1313億円。計画当初の540億円の2倍以上に膨らむ。

■住民 水門閉じず逆流
■ 国 予見不能の豪雨

 国は札幌高裁に控訴した。控訴理由書はまだ出ておらず、北海道開発局は「係争中」を理由に朝日新聞の取材に応じていない。

 2003年8月9日。台風10号の豪雨が続いた。日高町の富川地区に住む中村正晴さん(68)は、不安になって自宅裏の堤防に何度も上り、沙流川本流の水量を見守った。シシャモ料理が名物のすし店を構え、ここで40年以上暮らす。富川地区は2年前にも浸水で大きな被害が出ていた。

 富川地区には細い支流が3本あり、沙流川本流との合流点にそれぞれ水門がある。夜11時ごろ、支流につながる排水溝からゴボゴボという水音がしてきた。本流から支流に逆流する兆しで、以前の水害時にも聞こえた。支流の水門を閉めてくれと消防署に頼みに行くと、「開発局の仕事だ」と言われた。

 やがて雨はやみ、星が見えた。だが、本流は勢いを増す。水門を閉めなければ増水した本流から支流に逆流し、あふれる――そう感じた中村さんは、水門を閉めてくれと操作員に頼んだ。しかし、操作員は「開発局の指示がない」と2度断り、自らは開発局の指示でほどなく避難した。

 午前2時、サイレンが鳴り響く。日高町が住民に避難勧告を出した。午前4時ごろに避難先から戻ると一帯は浸水し、乳牛がプカプカ流れていた。

 日高・十勝を中心に死者・行方不明者11人、農地や家屋などに総額1千億円を超える被害が出た。富川地区では55ヘクタールが冠水した。

 中村さん方では何カ月分もの食材を保管していた冷凍・冷蔵庫やボイラー、製氷機などが水没した。

 被災した十数世帯が「被害者の会」を結成。05年1月、うち9人が原告となり、計約9千万円の損害賠償を国に求めて提訴した。「開発局は上流の二風谷(にぶたに)ダムが豪雨で決壊しそうになったため放流した。それなのに支流の水門を閉じずに操作員を避難させた。このため本流から支流に水が逆流し、洪水になった」と主張した。

 国側は、水害は逆流によるものではなく、主に支流の氾濫(はんらん)で起きた▽たとえ逆流があったとしても「未曽有の豪雨」で予見不可能――などと反論した。

 今年4月28日、札幌地裁の橋詰均裁判長は「水門操作員を住民より先に任務から離れさせる理由があったとは到底認めがたい」と判断。逆流も認め、浸水は予想・回避できたと認定した。ただし、支流でも一定の規模で氾濫(はんらん)があったとして逆流による損害分を算定し、賠償額こそ3190万円としたものの、国の主張をことごとく退けた。

 舞台は高裁に移る。「また裁判が何年も続く。国には心底がっかりする。弱い者いじめだ。相手はお役所だから毎年のように担当者が変わる。こっちは毎年、年食ってく」。中村さんはため息をつく。

■二風谷ダム 原因か

 実は水害の真の原因ではないかと中村さんや原告弁護団の市川守弘弁護士(札幌弁護士会)が考えているのが二風谷ダムの存在とその「一気放流」だ。国のダム建設構想が明らかになったのが1971年。地元アイヌで地権者の萱野茂・元参院議員(故人)らが反対したものの、ダム本体は94年に完成し、96年4月から貯水を始めた。

 萱野氏らは土地収用取り消しを求めて提訴。札幌地裁は97年3月、アイヌを初めて先住民族として認め、土地収用とダム建設の事業認定を違法としながら、ダムが完成していたため収用取り消し請求は棄却した。

 運用開始からわずか10年で、二風谷ダムには約1300万立方メートルの流砂が堆積(たいせき)し、貯水容量の4割近くを失った。当初予想の100年分の2倍以上もの量だ。03年8月の豪雨では砂だけでなく、5万立方メートル以上の流木がダム湖を覆った。

 ダム建設のために木が伐採された。地盤は弱くなって地滑りを誘発。土砂や倒木がますます流れやすくなり、水質も悪くなった。豪雨の翌朝、ダム湖を埋めた流木もその帰結だ。なのに、さらに上流に平取(びらとり)ダムを造ろうとしている国は許せない――40年以上も沙流川を見つめてきた中村さんの信念だ。(本田雅和)