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川原湯温泉「柏屋旅館」の解体作業始まる

 川原湯温泉街の柏屋旅館の解体作業が始まったとのニュースが群馬版の各紙面で報じられています。
 川原湯温泉街の坂道の一番上にある柏屋さんは、戦後の高度成長期、女将さんの大活躍で、川原湯で最も収容人数の多い宿として隆盛を誇ってきたことが知られています。

 若女将さんが川原湯の情報などを発信しておられる人気ブログでは、柏屋さんの古いパンフレットの写真なども掲載されています。
 http://blogs.yahoo.co.jp/wxxgy952

◆2011年11月16日 読売新聞群馬版 
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/news/20111115-OYT8T01253.htm

 -再起胸に旅館「柏屋」解体 八ッ場ダム水没地再開の日は未定ー

 八ッ場ダムの水没予定地、長野原町の川原湯温泉でまた一つ、老舗旅館が姿を消す。最大収容人数(150人)を誇った「柏屋」が15日、国との移転補償契約に基づき、取り壊し準備に入った。豊田幹雄社長(45)と若女将(おかみ)の香織さん(38)は、ダムが出来れば湖畔になる移転先での再開を期すが、代替地の工事は遅れている。夫妻は不安を抱えたまま、由緒ある看板を下ろした。

 柏屋はダム中止騒動の影響で「先行きが見えない」と昨年4月から宿泊営業を休業していた。

 2009年秋の政権交代後、川原湯温泉街で7軒営業していた旅館は5軒に減少。柏屋の隣の「高田屋」も4月に更地になった。

 柏屋ではこの日、新館の内装解体に着手した。建物自体を取り壊すのは年明けの予定という。幹雄社長は「めそめそしていても仕方がない。看板にも2、3年、休息してもらい、次へのステップにしたい」と前向きに語った。

 代替地が完成していない状態での取り壊しについては「不安だが、民主党政権で今後、どうなるか分からない。補償をもらえるうちに契約し、資金を蓄えたかった。世間にも上(代替地)の新しい場所で再開するというアピールになるし、野田首相や前田国交相に『早くしてくれ』と訴える狙いもある」と明かした。

 柏屋は江戸末期に創業。1950年築の木造3階建て本館とその後に建て増しした鉄筋4階建て新館に30室を備え、ピーク時には年間約2億円近い売り上げがあった。しかし、近年はダム問題の影響などで観光客が減り、赤字経営が続いていた。宿泊営業をやめた昨年4月以降は、不定期に日帰り入浴客を受け入れながら、蓄えを切り崩す日々だった。

 今後、代替地に温泉と介護の混合施設を営む青写真なども描いているが、移転予定のJR川原湯温泉新駅付近は、用地交渉の難航などで整備が遅れている。

 昨年5月に幹雄社長と結婚し、女将修業中の香織さんは「何年先に旅館ができるかわからず、将来の話が夢物語のようで、すごく歯がゆい」と打ち明けた。

◆2011年11月16日 東京新聞群馬版
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/20111116/CK2011111602000081.html

 -川原湯温泉 老舗旅館「柏屋」取り壊しー

 八ッ場(やんば)ダム(長野原町)が完成すれば水没する川原湯温泉街で、江戸期に創業し、昨年四月から休業していた同温泉街最大規模の旅館「柏屋」の解体工事が十五日、始まった。 (伊藤弘喜)

 「次の旅館のどこかに飾りたいね」。本館の玄関前とロビーに飾られていた「柏屋旅館」の看板二枚を名残惜しそうに外すと、豊田幹雄社長(45)と妻、香織さん(38)はうなずき合った。

 この日は業者が内装をはがす作業に着手。年明けに新館を取り壊し始める。一月に開かれる恒例の奇祭「湯かけ祭り」の間は本館の外観を残すが、三月末にすべて更地にする。

 柏屋は江戸末期の創業。一九五〇(昭和二十五)年に会社となり本館(木造三階)を改築。昭和五十年代、本館につながる新館(鉄筋四階)を建てた。両館合わせて客室が三十室、延べ床面積が二千四百平方メートル。最大百五十人が宿泊できる規模を誇り、団体客でにぎわった。豊田社長は「小学校から帰るとフロントで芸者さんが三味線を持って座敷に上がる準備をしていた」と懐かしむ。

 客足はバブル末期の九〇年ごろにピークを迎え、その後は落ち込んだ。老朽化が進んだが、ダムの建設と代替地での生活再建を想定し改修しなかった。

 赤字が続く中、昨年一月、父親の治明さん(76)と相談し、休業を決意。同十二月に国交省と移転補償契約を交わした。

 移転先の上湯原代替地は「新川原湯温泉駅」が建設される。駅から近く、高齢者に使い勝手のよい新たな旅館を思い描くが、造成が遅れているため、計画が立てられない。

 いまも往時の客から宿泊の問い合わせが入る。豊田社長は「ここはダムによって終わり、新しい所で再開するとアピールしたい。国はダム建設を早くしてほしい」と焦りを募らせる。

◆2011年11月16日 朝日新聞群馬版
http://mytown.asahi.com/gunma/news.php?k_id=10000581111160001

 -川原湯最大の旅館「柏屋」取り壊し作業開始ー

 八ツ場ダムができれば水没する長野原町の川原湯温泉で最大の旅館だった柏屋で15日、取り壊し工事が始まった。社長の豊田幹雄さん(45)、香織さん(38)夫妻は、温泉と介護施設を融合させた旅館の再開に向けて一歩踏み出した。

 幹雄さんによると、柏屋は江戸末期の創業で、木賃宿だった。1950年に本館を建て、本格旅館に。父の治明さん(76)が75年過ぎに拡張し、収容人員は150人に増えた。「栗赤飯の宿」と親しまれた。

 ダム問題で、住民の意見が割れた川原湯。町は85年に建設を事実上受け入れた。バブル経済が崩壊し、柏屋の客も91年ごろをピークに減り続けた。

 2009年9月、前原誠司国土交通相(当時)が中止を宣言。ダムの行方が分からなくなり、父子で相談し、「赤字を増やすより体力を温存しよう」と昨年4月から休業している。

 幹雄さん夫妻は、15日が婚姻届を出して、ちょうど1年半。節目の日に、半世紀以上使ってきた「電話九番」と書かれた木製看板を取り外した。木造3階の本館と鉄筋4階の新館は2400平方メートルと大規模なため、取り壊しは来年3月までかかる。1月20日に行われる「湯かけ祭」までは、本館の外観を残す予定だ。

 幹雄さんは、新しいJR川原湯温泉駅近くの先祖伝来の土地で、旅館を再開させる計画だ。母の節子さん(75)の介護経験から、「これからの時代は旅館だけでは厳しい。温泉と駅に近い長所を生かしたい」という。

 JRの付け替え工事は用地買収で難航し、新駅開業の見通しは不透明だ。だが幹雄さんは「めそめそしていられない。俺たちは踏み出した」。香織さんも「伝統は踏襲しながら、新しい柏屋をつくって、この看板を掲げたい」と述べた。

 治明さんは言った。「もう少し早くこの日を迎えられたら良かった。これからは息子夫婦の時代だ」(小林誠一)

◆2011年11月16日 上毛新聞 
http://www.jomo-news.co.jp/news/a/2011/11/16/news02.htm

 -川原湯温泉の「柏屋旅館」移転で解体始まる・長野原ー

 八ツ場ダムの水没予定地、長野原町の川原湯温泉にある休業中の老舗旅館「柏屋旅館」(豊田幹雄社長)が15日、国土交通省との移転補償契約に伴い、旅館の解体工事を始めた。

 初日は作業員が客室の畳を外したり、館内の備品を処分する作業をした。豊田社長(45)は妻の香織さん(38)とともに、正面玄関に掲げていた「柏屋旅館」の木製看板を取り外した。来年3月末までに更地にして国交省に引き渡す。

 柏屋旅館は高台の代替地へ移転を希望している。しかし、国の造成事業が遅れているため、新しい旅館の建設を始められるのは早くて2、3年先の見通し。

 豊田社長は「自分の代で看板を外すのは心苦しいが、必ず旅館を再開し、再び『柏屋旅館』の看板を掲げたい」と決意を語った。神奈川県から2010年に嫁いできた香織さんは「柏屋の歴史の重みを実感している。それを踏襲しつつ、どう新しいスタートを切るか、気を引き締めたい」と話した。

 創業は江戸時代末期。1950年ごろに木造3階建ての本館を建築、高度経済成長や温泉ブームに合わせ、幹雄社長の父、治明会長(76)と母、節子さん(75)の代で事業を拡大した。鉄骨4階建ての新館を合わせた収容人数150人は川原湯温泉で最大規模を誇った。名物のくりの赤飯とそばが評判だった。

 2009年9月、当時の前原誠司国交相がダム本体工事の中止を表明したことで、事業計画が描けなくなった。長引くダム問題で、十分な設備投資もできず、10年4月に旅館は休業に追い込まれた。

 最盛期に約20軒の旅館があった川原湯温泉は、今は5軒が営業するだけ。現地に残っている旅館のほとんどが代替地移転を計画している。