八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム建設再開決定に関する各紙社説

2011年12月28日

 さる22日に前田国交大臣が「八ッ場ダム建設再開」を表明して以来、新聞各紙は社説でこのニュースを取り上げています。
 それぞれの社説を読むと、それぞれの新聞社の姿勢がよくわかります。
 
 前田大臣の表明が行われた翌日23日。この日は政府民主三役会議が開かれることになっていました。日付が変わってすぐにネット上に掲載された読売新聞社説は、「八ッ場ダム建設再開」に抵抗した前原政調会長をこき下ろし、官僚の言いなりになった前田国交大臣の表明を「極めて妥当な判断」と高く評価する内容でした。↓
 http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20111222-OYT1T01309.htm
 八ッ場ダム 混乱と無策の果ての建設続行(12月23日付)

 その理由として挙げているのは、「八ッ場ダム建設が妥当」とした国交省関東地方整備局の検証結果と、「建設中止となれば、ダム観光で再生を図る計画も頓挫しかねないところだった」ダム予定地の状況です。
 八ッ場ダムを推進してきたお役所自らによるダム検証は、科学性、客観性を著しく欠くものとされていますが、この社説では、国交省に対する批判的な考察は一切ありません。
 また、八ッ場ダムが完成したとしても、「ダム観光で再生を図る計画」が成功する可能性は、客観的に見てないに等しいという厳しい現実がありますが、この社説では、現実を無視してばら色の夢をアピールし続けている国交省や群馬県の主張をそのまま流しています。
 読売新聞の社説に一貫して流れているのは、国交省に対する無批判な姿勢といえるでしょう。

 これと対極にあるのが、琉球新報の社説です。↓
 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-185616-storytopic-11.html
 「八ツ場ダム 政権担当能力はあるのか」(12月26日付)

 琉球新報の社説も、民主党政権を批判している点は、読売の社説と同じです。ただ、その批判は、民主党政権が官僚主導となっていることに対して向けられています。
 
 琉球新報と同様、愛媛新聞も官僚主導の河川行政を批判しています。↓
 
 http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201112257411.html
 八ツ場ダム再開 政権交代の意義は失われた(12月25日付)

 琉球新報も愛媛新聞も、政権交代によって河川行政の見直しが必要だという立場です。読売新聞には、そうした視点が欠落しています。マスコミと国交省の癒着は、八ッ場ダムをめぐる世論に大きな影響を与えてきました。重大な局面で国交省の暴走を後押しした今回の読売新聞の社説は、購読者が最も多い新聞だけに、一般国民の批判の矛先を国交省からかわす上で一定の役割を果たしたと考えられます。

 以下に、各紙の社説を転載します。

■2011年12月23日 読売新聞社説

 八ッ場ダム 混乱と無策の果ての建設続行

 建設中止か続行かを巡り、2年あまり迷走したあげくの決着である。
 群馬県の八ッ場(やんば)ダムについて、前田国土交通相がようやく建設続行を決めた。これを受け、凍結していた本体工事の費用を2012年度予算案に盛り込むことになった。
 治水や利水効果、事業費などの面で「建設は最良」とする国交省の検証結果を踏まえた決定だ。
 極めて妥当な判断と言える。
 約60年前に構想が持ち上がった八ッ場ダムは、利根川流域の洪水防止と関東圏の水源としての利用が目的で、総工費4600億円の国内最大級のダムである。
 民主党は「コンクリートから人へ」を掲げ、09年衆院選の政権公約(マニフェスト)に八ッ場ダムの建設中止を盛り込んだ。
 政権交代後、国交相に就任した民主党の前原政調会長が、マニフェストを理由に、地元との協議もなく強引に建設をストップしたのが迷走劇の発端だ。
 地元住民や関係自治体の反発を受け、10年秋には当時の馬淵国交相が中止を事実上棚上げした。その後、国交省が建設の可否を判断する検証作業を続けていた。
 民主党は代替案も示さず、歴代国交相は党内のマニフェスト至上主義に配慮し、結論を先送りしてきただけだ。これでは政治の怠慢以外の何物でもない。政府・民主党は、猛省すべきである。
 特に前原氏の責任は重い。
 建設中止の副作用が大きいことは明白だったのに、建設が妥当と結論付けた検証結果を最後まで受け入れようとしなかった。
 前原氏が「無理やり予算に入れるなら、党としては認めない。閣議決定させない」とまで述べたのは、行き過ぎだ。政権党の政策責任者の発言とは思えない。これ以上の混乱は避けるべきだ。
 地元は苦渋の決断でダム建設を受け入れ、水没予定地から大勢の住民が転居した。ダム建設が宙に浮く間、温泉旅館の休業が相次ぐなど新たな打撃も受けた。
 このうえ建設中止となれば、ダム観光で再生を図る計画も頓挫しかねないところだった。
 道路の付け替えなど関連事業に総事業費の8割がすでに投じられている。中止の場合、半分以上を支出した流域の1都5県に対し、政府が費用を返還しなければならなくなる問題もあった。
 マニフェストを作成する段階でこうした事情を十分考慮したとは言えまい。欠陥や誤算が判明すれば、柔軟に見直す必要がある。八ッ場ダムから学ぶべき教訓だ。(2011年12月23日01時38分 読売新聞)

■2011年12月25日 愛媛新聞社説

 八ツ場ダム再開 政権交代の意義は失われた

 コンクリートから人へ―のスローガンは魅力満点。新鮮なマニフェスト(政権公約)に期待も大きかった。しかし現実は、迷走する素人芝居の政治でしかなかった。
 そんな民主党政権の末路を見ているかのようだ。
 政府はきのう、2012年度予算案に群馬県の八ツ場ダム本体工事建設費など56億円を計上した。国土交通省関東地方整備局の検証結果や、地元自治体の要望などに押されての工事再開決定である。
 子ども手当や高速道路無料化などに続き、またしてもマニフェストの撤回だ。最後のとりでともいえる八ツ場ダムの再開で、もはや政権交代の意義は完全に失われた。
 政治主導による大型公共事業見直しの放棄でもある。一体、何をしてきたのか。猛省を促すと同時に、再開に至る経緯の説明を求めたい。
 民主党は、ダム建設の中止を09年の衆院選でマニフェストに掲げて、政権交代。9月に、当時の前原誠司国土交通相が中止を表明した。
 しかしその後がいけない。地元との地域振興に向けた協議や、コンクリートに頼らない国土づくりの具体化など、実行しなければならない政策を軒並み先送りにした。
 結局、6都県が負担金の支払いを保留するなど、地域の混乱を呼んだだけだ。
 こうした迷走で堤防整備などが遅れれば、全国各地の流域住民の命にかかわる。ダム建設をめぐってはなお混迷が予想されよう。国にはまず、ダムを切り離した安全最優先の河川整備を促したい。
 そもそもダム中止は、地方を置き去りに巨大公共事業を押しつける国の手法を見直す契機となるはずだった。加えて、国と地方の関係を見直すための、政治主導の真価が問われる局面でもあった。
 しかし、全国で凍結されたダムについて是非を検証する「検討の場」の運営主体は、推進側の国交省や自治体。その結果を判断する有識者会議も、国交省の主催だ。
 とうてい民主的とは言えない、官僚支配の典型的な手法である。民主党に、真剣に巨大公共事業のあり方をチェックするという理念があったのか、はなはだ疑問である。
 政府・民主三役会議では、ダム事業中止の場合、地元の生活再建支援法案を次期通常国会に提出することを確認した。しかし順番が逆だ。ダム中止を言う前に、関連法の整備を行うべきであった。
 ダム再開決定は、国と地方の関係はどんな政権下でも是正されないという現実を、国民の前にさらけ出した。その意味で二重に罪深い。
 政権交代の意義を、民主党自らが否定している。もう一度、政治主導を示し、公共事業のあり方を直視せずして、政権の継続は許されない。

■2011年12月26日 琉球新報社説

 八ツ場ダム 政権担当能力はあるのか
 
 マニフェスト(政権公約)が骨抜きになっている。残るのは政治不信だけではないか。
 民主党は、マニフェストの目玉で「無駄な公共事業の象徴」としてきた八ツ場(やんば)ダムの建設再開を決めた。政権交代直後に一度は中止しながら、迷走した末の現行計画回帰だ。
 この間、治水、利水、コスト面から国土交通省関東地方整備局が八ツ場ダム計画を検証。「ダム建設が代替案より有利」との検証結果を示し、有識者会議が「適切」とお墨付きを与えた。
 しかし、検証の進め方は大いに疑問だ。事業主体の国交省が作業をリードし、洪水や水需要の想定も事業者側が立てる。中立であるべき有識者会議のメンバーを国交省が選び、会議は非公開だった。
 検証経過にも疑問が残る。第1に洪水を防ぐ治水の点から、根拠となる利根川流量の目標値が過大に設定されている、との指摘に十分答えたか。森林の保水力が増した点の検討も不十分だとの批判もある。
 第2に利水の点から、水の需要予測が古いデータに基づいている、との指摘に的確に答えたか。第3にコスト面。現行案はすでに約8割の事業を終えているため、河川改修などの代替案を一から始めるよりも「建設継続」のほうが安上がりになるのは当然だった。
 経過をたどれば、最初からダム建設が前提だと勘ぐられても仕方あるまい。検証手法は民主党が批判してきた「官僚任せ」そのものだ。仮に現行計画回帰が地元に歓迎されたとしても、透明性を欠き、説明責任を果たしていない政策決定の在り方は異様だ。国民は是非を、客観的に判断のしようがない。
 民主党は「コンクリート」(公共事業)から人々の暮らしに税金の使い道を変えると主張してきた。八ツ場ダム建設再開で、大型公共工事見直し路線は修正された。
 県外を公約しながら結局県内移設に回帰した米軍普天間飛行場問題、子ども手当、高速道路無料化、議員定数削減など公約が次々と廃止、凍結、先送りされている。その一方で政権公約になかった消費税増税が現実味を帯びる。野田佳彦首相は来年3月までに関連法案を国会提出する方針だ。
 民主党の政権公約がくるくる変わるたびに翻弄(ほんろう)されるのは国民だ。公約違反、国民への背信行為が後を絶たず、もはや政権担当能力に疑問符を付けざるを得ない。

◆2011年12月25日 京都新聞社説
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20111225_2.html

 -八ツ場ダム再開 古い河川行政に戻すなー

 無駄な公共事業の代表として、民主党が2009年の衆院選マニフェスト(政権公約)で建設中止を掲げた八ツ場(やんば)ダム(群馬県)の建設工事再開が決まった。

 「コンクリートから人へ」の理念はどうしたのか。あまりに明白な「変節」にあきれるしかない。

 前田武志国土交通相は「マニフェスト通りの結果が得られなかったのは残念だが、苦渋の決断をした。代替案のないまま中断するのはよくない」と説明した。

 すでに立ち退きを強いられた住民や流域6都県の反発は当初から予想されていたことだ。ダムに代わる地元振興策と治水策を示し、説得することこそ、政権党がなすべき一貫性のある態度だ。

 2年前に国交相として建設中止を宣言した前原誠司党政調会長が頑強に抵抗したが、最後は決定を政府に委ねて容認した。筋を通したかに見える前原氏だが、自らが決めた事業検証の手順を逆手にとられる形で建設再開に道を開いたことは大きな失策と言えよう。

 前原氏が設置した有識者会議の提言を受けて実施されたダム事業の検証は、国交省が実務を担い、コストの比較に重点が置かれた。その結果、すでに着工され、追加工費が少なくて済む既存事業の多くがコスト的に有利とされ、追認されたのは自然だ。こうした官僚主導の「検証」に基づく今回の再開決定は、民主党が目指す政治主導とは程遠いはずだ。

 今後の河川行政への影響も大きい。全国で見直し対象のダム事業83のうち「検証」が終わったのは八ツ場を含む20事業。中止は6カ所にとどまり、14カ所は継続となった。八ツ場を突破口に、未検証の事業についても継続方針が続出する可能性がある。

 国交省による「検証」には、今本博健京都大名誉教授ら河川工学の研究者らが異議を申し立てている。水需要の減少を無視しているうえ、局地的豪雨に対する効果は未知数というわけだ。自民党政権時代の政府答弁でも八ツ場ダムの治水効果は否定されている。

 こうした問題を認識していたからこそ、民主党は「脱ダム」をマニフェストに盛り込んだはずだ。公共事業は止まらない、という象徴的な意味での痛手にとどまらず、今回の決定が「治水はダムで」という古い河川行政に逆戻りさせるのろしとならないか、懸念する。

 国交省は、凍結していた東京外郭環状道路(外環道)の建設工事を再開し、整備新幹線の未着工3区間の着工を認可する方針だ。これでは「コンクリートから人へ」どころではない。

 これ以上、時計の針を逆回転させてはならない。さもなくば、国民が政権交代で期待を託した民主党の存在意義が消えてしまう。

◆2011年12月26日 河北新報
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2011/12/20111226s01.htm

 -八ツ場ダム/思いつきが招いた公約違反ー

 「看板に偽りあり」というほかない。しかも、一度ならず二度、三度の商品偽装である。信用を失った商店はのれんを畳むしかないはずだが当面、営業を続けるという。

 政府・民主党が八ツ場ダム(群馬県長野原町)の建設継続を決定、2012年度予算案に本体工事費を計上した。09年衆院選のマニフェスト(政権公約)で「無駄な公共事業」の象徴として中止方針を示していた。

 どう強弁しようと、公約違反であることは明白である。政権交代の意義を否定するに等しい自殺行為だ。民主党政権は、正統性を問われる重大な局面に立たされたと言わざるを得ない。

 一方で有権者の歓心を買おうという限りにおいて、マニフェストが従前の「公約」と変わらない選挙戦術にすぎないことも浮き彫りになった。その策定過程や不履行となった場合の責任などを含め、見直しが必要だ。

 八ツ場ダムは1952年に調査に着手。地元の水没予定地の住民は激しい反対運動の後、代替地移転を受け入れた。

 政権交代後、国土交通相に就任した前原誠司氏はマニフェスト通り、建設中止を表明。ところが、事業推進を訴える地元や関係自治体から強い反発を受け、必要性を検証していた。

 「コンクリートから人へ」という民主党マニフェストの根幹をなす中止決定であったにもかかわらず、同党は当事者能力を欠いた対応を取り続けた。

 国交省関東地方整備局がことし9月、治水や利水面で「ダム建設が有利」とする検証結果を示したのを受け、国交省が選定したメンバーからなる有識者会議がこれを追認した。

 ダム事業は事業費ベースで全体の約8割まで進んでいた。この時点で事業主体に検証を委ねれば結果は明らかであり、もう一つの金看板である「政治主導」を放棄したと見られても仕方あるまい。

 民主党は昨年の参院選で惨敗。参院で野党が多数を占める「ねじれ国会」に苦しみ、子ども手当や高速道路無料化など主要政策で次々と廃止や凍結に追い込まれた。

 東日本大震災という予期せぬ一大事に直面して、マニフェストを見直すというのなら理解できる。だが、今回は震災と無関係なばかりか、河川工学の研究者らから疑問の声が上がる中での「事業中止の中止」である。マニフェスト策定の過程が、いかにずさんだったかを物語る。

 野田佳彦首相はおととい、12年度予算案に八ツ場ダム建設継続の費用が盛り込まれたことについて「苦渋の決断」と述べたが、首相就任後、この問題で指導力を発揮した形跡はない。

 国、地方を問わずマニフェスト選挙全盛だが、私たちは万能ではないと繰り返し主張してきた。党の地方組織などの意見を踏まえない「思いつき」が数多く含まれ、しかも実現しなかった場合、下野する覚悟もうかがえない。

 「不勉強」で済まされる問題ではない。首相は「苦渋の決断」とやらの内実を丁寧に説明すべきだ。

◆2011年12月25日 東京新聞 
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2011122502000041.html

 -政府予算案 消えうせた政権公約ー

 二〇一二年度の政府予算案が決まった。八ッ場ダムの建設再開が象徴するように民主党が掲げた政権公約は跡形もない。野田佳彦政権は増税に傾斜する前に、自らの約束をしっかり検証すべきだ。

 民主党のいいかげんさを一日に凝縮して見せられたような思いがする。前田武志国土交通相が八ッ場ダムの建設再開方針を明言すると、前原誠司政調会長は「閣議決定させない」と胸を張った。

 だが、翌日には言葉を翻し、一転して再開方針を容認した。前原氏の強気の背景には、閣議決定には「党の了承を前提とする」という野田政権が決めた大方針があったからだ。

 そもそも八ッ場ダムの建設中止は民主党が〇九年総選挙で掲げた政権公約の重要な柱である。今回のてん末は政権公約を守れなかっただけでなく、自分たちで決めた政策決定のシステムさえ守れないでたらめさを見せつけた。

 再開を決めた最終局面で登場した「官房長官裁定」なるものも、一読して国民にはさっぱり分からない。ようするに政権が国民に顔を向けていないのである。

 そんな一夜のドタバタ劇を演じて八ッ場ダム再開を決めた一方、政府予算案はといえば、一般会計が九十兆三千億円、復興予算を別枠の特別会計にして三兆七千億円、さらに基礎年金・国庫負担割合の引き上げに伴う財源二兆六千億円は直ちに財源手当てを必要としない交付国債で賄った。

 全部合わせれば九十六兆円を超える過去最大の規模である。税収は四十二兆円しかなく、歳出の半分にもならない。借金が税収を上回るのは三年連続だ。

 こうした数字だけを見れば、日本の財政は持続不可能に見える。だから歳出の無駄を切り詰め、行政の効率化を図り、なにより経済成長を促すように「国のかたち」を変えていく必要がある。

 民主党もそう考えたからこそ二年前に「脱官僚・政治主導」「地域主権」を掲げて総選挙を戦い、政権を握ったのではないか。それはどうやら期待外れだった。政権交代から三回目になる予算案をみる限り、改革の約束はほごにされてしまったからだ。

 特別会計と合わせた予算組み替えができないのに、子ども手当を試みて失敗し、議員定数削減や年金制度改革、国家公務員総人件費の二割削減も先送りである。国家公務員の冬のボーナスは逆に前年度を上回った。それで消費税引き上げでは納得できない。

◆2011年12月24日 毎日新聞
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/archive/news/20111224ddm005070051000c.html
 -八ッ場ダム建設 政権交代の旗はどこへー

 八ッ場(やんば)ダム(群馬県)の本体工事経費が来年度予算案に計上されることになった。政権交代によって凍結された本体工事は、建設再開に向けて動き出す。

 公共事業に組み込まれた利権の構図を解体するというのは、国民が民主党に期待したことだった。その象徴が八ッ場ダムだったはずだ。政権交代を訴えて掲げた旗を民主党は降ろすことにならないか。

 人口の減少に伴い水需要は増えない。水害対策の面でもダム以外の選択肢もあるのではないか。そうした問題意識から、いったん始まると工事費が膨らんでいくダム建設に対し民主党は見直すことを公約した。

 そして政権交代が実現し、国土交通相に就任した前原誠司氏は、八ッ場ダムの本体工事の建設中止を表明した。

 八ッ場ダムの建設には当初、住民の多くが反対だった。しかし、代替地転居を受け入れ、道路の付け替えなど周辺整備を行い、本体工事の事業執行を待つばかりとなっていた。そのため前原氏の中止発言に地元は猛反発した。

 また、共同事業者である東京、埼玉、千葉などの都県知事も建設中止に反発した。中止となった際には負担金を返却するよう求めた。

 長年にわたって八ッ場ダム建設に関わってきた人たちが突然の計画変更に反発するのは当然だろう。しかし、ムダな公共事業を抑制していくことも、財政が危機的状況にある日本にとって欠かせない課題だ。全国83のダム事業の検証はそうした事情もあって始まった。

 八ッ場ダムの検証作業も、費用対効果の観点から客観的に実施されるべきだったが、事業を推進してきた関東地方整備局の結論は、代替案よりダム建設が最も安く治水効果が見込めるとの判断だった。国交省の有識者会議もこれを追認した。

 はじめに結論ありきという、政権交代前の手続きが復活した形だ。民主党の政調会長に転じた前原氏は、この結論に強く反発したものの、押し切られる形で本体工事費の来年度予算案計上を容認した。

 この過程で野田佳彦首相が指導力を発揮した様子はうかがえない。民主党が唱えた政治主導の姿がすっかり消えてしまった格好だ。

 「コンクリートから人へ」。民主党が政権獲得に向けてマニフェストに掲げた大きなスローガンだったが、この調子だと他のダム工事も建設継続の流れが定着することになりかねない。

 八ッ場ダムに限らず民主党の公約は総崩れ状態だ。もはや政権交代の正当性すら問われる事態に至っていることを民主党は自覚すべきだ。