八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム予定地とマスコミ報道

 2009年の政権交代後、マスコミが押しかけた八ッ場ダム予定地ですが、喧騒は一年ほどで終わりました。
 今年もお盆休みには、近隣の軽井沢、草津温泉などには大勢の観光客が訪れ、アクセス道路は各所で大渋滞となりましたが、八ッ場ダム予定地の吾妻渓谷と川原湯温泉は閑散としています。
 ダム事業により、吾妻渓谷には両岸に二本のトンネルが掘られ、渓谷沿いの現国道と合わせて、三本の道路が並行して走っていますが、どの道路も空いています。特に、用地取得の難航により一部道路が完成していない付け替え県道は、利用者が少ないようです。
 川原湯温泉の移転代替地である川原湯地区の打越代替地は、この付け替え県道がメインロードとなります。八ッ場ダム計画では、ダム事業によって現在の川原湯温泉より少し高い位置にボーリングで掘り当てた新源泉を町道に沿ってつくる配湯管で代替地に運ぶことになっていますが、町道建設は用地取得の困難などによりメドが立たず、当面は水没予定地を通す暫定配湯管によってお湯を代替地に引くことになりました。
 当初は1990年代に出来上がるはずだった川原湯温泉の代替地は、今も完成していません。ダム事業と代替地整備の遅れに加え、代替地の分譲地価の高さ、温泉観光業の見通し、高盛り土の代替地の安全性など、温泉街の再建に不安を抱く多くの住民がこの間、川原湯地区から転出していきました。現在の世帯数は、1980年当時の四分の一以下に減っています。

 今朝の読売新聞群馬版には、地元がダム本体の早期着工を願っているという大きな記事が掲載されました。
 この記事では、
 ・八ッ場ダムは水質の悪さや水位の変動によりダム湖観光が成り立つ条件を備えていないこと、
 ・地域はダム計画により衰退の一途を辿っており、国や群馬県が地元に約束したダムと共存する地域の繁栄は自公政権時代に空手形となっていたこと、 
 ・道路などのダム関連事業は予算のかなりの部分を使い果たしているものの、いまだに工事難航箇所が各所にあり、関連事業完了のメドが立っていないこと、

 などの重要な事実がスッポリと抜け落ちています。

 読売新聞は自公政権時代は、八ッ場ダムが抱える様々な問題を取り上げていたのですが、政権交代後、八ッ場ダムを”政争の具”として捉える視点が前面に出るようになり、自公政権時代のままダム事業が進められていれば、地元は救われたという論調が繰り返されています。こうした記事では、ダム推進を願う地元住民の声がいつも取り上げられ、地元のためにダムが必要だという世論作りに貢献しています。昨年12月23日の社説では、国交省の八ッ場ダム事業継続を支持することをいち早く表明しており、この論調が社の方針であることは明らかです。

 しかし、ダムは地元のために造られるのではありません。マスコミではダム賛成派の住民が前面に出されるために、地元は八ッ場ダムに反発する一般国民から批判されがちですが、ダム事業の恩恵を受けているのは、ダム利権に群がる政官財の利権構造です。地元には当然のことながら、故郷をダムに沈めてほしくないと思いながら、声を出せずにいる人々もいます。
 多くの住民が故郷を捨てていく中、様々な事情によって地元に残った住民の中には、ダム事業に将来設計を重ねたがために、人生を狂わされた人々もいます。しかし、苦悩の中にある住民の生活の安定を、いつになったら実現するかわからないダム湖観光に委ねるのは、あまりに無責任というものです。中立公正を標榜する報道機関であれば、行政が具体的な生活再建の支援に乗り出さない問題をこそ取り上げるべきです。
 マスコミの偏向報道は、原発問題でも指摘されていることですが、八ッ場ダム問題においてもますます顕著です。

◆2012年8月19日 読売新聞群馬版
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1333380292056_02/news/20120819-OYT8T00017.htm

 -再建へ本体着工待つー

 八ッ場ダム(長野原町)

 ダムは、関東地方で死者1100人など大被害をもたらした1947年のカスリーン台風を受け、利根川下流の被害を軽減するために計画された。先祖からの土地や家、約800年の歴史を持つ川原湯温泉も水に沈むため、町には激震が走り、賛否で割れた。

 ターニングポイントは、80年。溝が埋まらない国と地元の間に立った県が、水没地区も分散せずに高台の代替地に移転できることなどを盛り込んだ生活再建案を提示し、次第に「条件付き賛成派」が多数を占めていった。

 ダム本体とは別に、現地では生活再建事業の工事が行われている。今年3月時点で、付け替え国・県道は22・8キロのうち20・1キロ(88%)、付け替え鉄道は10・4キロのうち7・7キロ(74%)まで進んだ。ダム湖にかかる3本の橋のうち2本は供用が始まった。残る「湖面1号橋」も橋脚まで出来、2013年度末の完成予定だ。

 水没住民が移転する代替地の整備も進む。川原湯温泉が移る打越代替地には、現温泉街から源泉を引き上げる「配湯施設」も建設され、移転準備を進める旅館もある一方、もう1か所の上湯原代替地は造成が遅れ、再開のめどが立たない旅館もある。

 高山欣也町長は「湖があれば、草津町や嬬恋村に向かう観光客も立ち寄る。旅館が本当に再建できるのはダムに水がたまってからだ」と、ダム本体の早期着工を訴えている。

「移転後の素晴らしい景色早く見たい」

 源頼朝が発見したと伝えられ、ひなびた雰囲気あふれる川原湯温泉。真冬に下帯姿でお湯を掛け合い、無病息災と平穏無事を祈る「湯かけ祭り」も有名だ。

 かつて20軒以上あった旅館は休業や廃業が相次ぎ、営業しているのは5軒だけだが、源氏の紋所「ササリンドウ」を掲げた共同浴場「王湯」や「聖天様露天風呂」でも入浴を楽しめる。

 JR川原湯温泉駅の「観光駅長」を務める金子典子さん(55)=写真=「川原湯温泉のお湯は体が温まり、肌荒れもきれいになります。10月下旬から11月中旬にかけては吾妻渓谷の紅葉がとてもきれいです。温泉街もダム湖畔に移転すれば、景色は素晴らしいでしょう。早く自分の目で見てみたいです」

 ■メモ■ 八ッ場ダム 洪水調節や水道、工業用水の供給、発電が目的。完成後のダム本体の高さは116メートル。ダム湖は吾妻川に沿った細長い形状で、貯水量は東京ドーム約87個分相当の約1億750万立方メートル。事業費約4600億円。工期は1967年度~2015年度だが、再検証もあり、3年遅れの18年度の完成見込みだ。

 ~~~転載終わり~~~

【参考】
●八ッ場ダム建設再開決定に関する各紙社説
https://yamba-net.org/wp/modules/news/index.php?page=article&storyid=1501

●五木の里より 八ッ場ダム 読売社説への疑問
http://fromitsuki.exblog.jp/17427489/

●ちきゅう座 内外知性の眼―時代の流れを読む
http://chikyuza.net/modules/news1/article.php?storyid=793