八ッ場ダム水没地、川原湯地区で浅間山大噴火犠牲の人骨出土(その2)

 八ッ場ダム水没地の川原湯地区上湯原では、ダム事業による4月からの発掘調査により、1783(江戸時代天明3)年の浅間山大噴火に伴う天明泥流の犠牲者の人骨3体が出土しました。

 天明当時の記録によれば、ダム予定地域では天明泥流によって多くの死者が出ており、大規模な発掘調査を広範囲に行う中で、遺骨が出土しないことが不思議だと言われてきました。
 これまで報道がきわめて少なかった八ッ場ダム事業による発掘調査ですが、ダム湛水開始が来年に予定される中、人骨出土というインパクトのある発見があり、昨日ようやくマスコミ向けの見学会が開催されました。

写真=人骨が出土した石川原遺跡。2018年7月9日、不動大橋より撮影。

 今回、人骨が出土した川原湯地区は、川原湯温泉があることで知られる集落です。
 川原湯地区では2015年、かつてJR川原湯温泉駅があった下湯原で人骨が出土していますが、天明泥流の犠牲者ではありませんでした。
http://www.gunmaibun.org/remain/iseki/hakkutu/2015/20150710-2.html
 群馬県埋蔵文化財調査事業団 下湯原遺跡 平成27年7月調査

 天明泥流による川原湯地区の死者数は、複数の古文書で14人と記録されています。

 下の画像=「内閣府 防災情報のページ 災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成18年3月 1783 天明浅間山噴火 第三章 復興への努力と災害の記憶  109ページ」より
 吾妻郡 川原湯村 石高73 被害石高64 死者14 
 

 このニュースについての解説は、こちらのページに掲載しています。
 https://yamba-net.org/42432/
 -八ッ場ダム水没地、川原湯地区で浅間山大噴火犠牲の人骨三体出土ー

 関連記事を転載します。

◆2018年7月9日17時3分 NHK前橋放送局
https://www3.nhk.or.jp/lnews/maebashi/20180709/1060002252.html
ー浅間噴火で被災か 3人の骨発見ー

長野原町の八ッ場ダムの建設予定地で、江戸時代に起きた浅間山の噴火によって
被災したとみられる3人の骨が見つかり、専門家は噴火の被害の大きさを裏付けるものだとしています。

人の骨が見つかったのは、長野原町の八ッ場ダムの建設予定地のうちダムの本体から
川の上流に2.3キロほど離れた場所です。
この地域では現在、発掘調査が行われていて、先月下旬までに江戸時代のものとみられる地層から
人の頭や足など3人の骨が見つかりました。
また、人骨に覆いかぶさるように住居の一部とみられる木材が見つかったほか、
近くではいろりやかまどの跡も確認されたということです。

県などによりますと、地層の年代や骨と一緒に見つかった住居跡の状況などから、
江戸時代に起きた浅間山の大噴火の際、大量の土砂などによって家ごと押しつぶされたとみられるということです。
県などは今後、より詳しい分析を行って、見つかった骨の性別や年齢などの特定を進めることにしています。

浅間山の噴火で被災したとみられる人の骨はこれまでに嬬恋村でも見つかっていますが、長野原町では初めてです。
県埋蔵文化財調査事業団の藤巻幸男副事業局長は「今回の発見で、
浅間山の噴火の被害の大きさが改めて裏付けられた。引き続き周辺の調査を続けていきたい」と話しています。

◆2018年7月10日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/culture/64741
ー江戸天明の泥流災害 物語る人骨出土 八ツ場ダム予定地の遺跡ー

  1783(天明3)年の浅間山噴火で発生した天明泥流で被災した石川原遺跡(長野原町川原湯)で、泥流の犠牲になったとみられる人骨3体が見つかったと、群馬県埋蔵文化財調査事業団が9日発表した。遺跡は八ツ場ダムの建設工事に伴い発掘された。天明の噴火の犠牲者が発見されるのは約30年ぶりで、ダム予定地では初めて。事業団は、吾妻川と利根川流域で1500人以上が犠牲になった泥流災害を物語る発見としている。

◎歯や頭蓋骨、大腿骨… 16~20歳以上か
 人骨は4~6月にかけて発見された。初めに、畑の跡周辺から骨盤の一部と左脚の大腿だいたい骨、脛骨けいこつ(3号人骨)などが出土。専門家の分析で人骨と判明した。16~20歳以上の可能性が高いという。

 泥流で倒壊した家屋の柱など部材を取り除くと、幅約12センチの頭蓋骨と歯の骨(1号人骨)が見つかった。約3メートル離れた場所から幅約17センチの頭蓋骨と下顎の骨(2号人骨)も出土した。2体の近くから足の骨も見つかっており、関連を調べている。3号人骨と同様に専門家の分析で、年齢や性別などを絞り込む予定。

 石川原遺跡は、噴火で浅間山北斜面に起きた大規模な土石なだれが吾妻川に流れ込み、泥流が北西方向から集落を襲った跡とみられる。2~3メートルの泥土に埋まっていた遺跡からは複数の屋敷跡が見つかり、建築部材下の人骨の近くにも民家の礎石やかまど跡が出土した。

 発掘担当者の斉藤利昭さん(60)によると、ダム周辺でこれまで100カ所以上を掘ってきたが人骨は出土しなかったといい、「(3体は)235年ぶりに見つかり、良かった。発掘の最終段階での発見に驚いている」と話した。

 天明の噴火を巡っては、79年に鎌原観音堂(嬬恋村鎌原)の石段下から、女性が老女を背負った状態の人骨2体を発見。87年にも観音堂近くの延命寺跡から男性の人骨1体が見つかっている。

 当時発掘を行った、村郷土資料館名誉館長の松島栄治さん(88)は頭から足まで完全な状態で発見された観音堂の遺体と石川原遺跡の人骨を比較。「観音堂の遺体は乾いた土砂に押しつぶされ、残った。石川原は水分を含む泥流だったため、遺体が移動し損傷した可能性がある。吾妻川流域での被害を知る上で貴重な発見」と話した。

◆2018年7月11日 読売新聞群馬版
https://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20180711-OYTNT50060.html
ー長野原の遺跡で人骨3体…天明の浅間山噴火被災かー

 八ッ場ダム建設に伴い、発掘調査が進んでいる「石いし川原かわら遺跡」(長野原町川原湯)から、1783年(天明3年)の浅間山噴火による泥流で埋まったとみられる人骨3体が出土した。県教育委員会と県埋蔵文化財調査事業団が9日に発表した。この噴火の犠牲者の遺骨発見は、1987年に嬬恋村で男性の骨1体が見つかって以来、31年ぶり。

 石川原遺跡は縄文時代や江戸時代などの遺構が重なる複合遺跡。2008年に発掘が始まり、今年4月から第6次調査に入っている。

 発表によると、人骨のうち1体は吾妻川の川床から約40メートル高い、噴火当時は畑だった場所から見つかった。左脚の太ももやすねなどで、16歳以上とみられる。この辺りでは川床から46メートルの高さまで泥流が達したとされる。畑の近くには泥流で倒壊したとみられる建物があり、この下からさらに2体が見つかった。1体は頭蓋骨と歯、もう1体は頭蓋骨と下あごの骨だった。

 天明の浅間山噴火では、吾妻川で大量の泥流が発生し、現在の長野原町の地域では約440人が亡くなったとされている。調査事業団は今後、専門家に依頼して、人骨の年齢や身長、性別などの解析を進める。

◆2018年7月11日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/ASL745QS5L74UHNB00N.html?rm=378
ー八ツ場ダム予定地、江戸期の人骨発見 石川原遺跡ー

  群馬県長野原町で建設中の八ツ場ダムの水没予定地で、人骨の一部が見つかった。県教育委員会が9日発表した。江戸時代の天明3(1783)年に起きた浅間山の噴火によって発生した「天明泥流」=KM=に巻き込まれて亡くなった人のものとみられる。八ツ場ダム予定地の遺跡から人骨が見つかったのは初めてという。

 人骨が見つかったのは石川原(いしかわら)遺跡で、代替地へ移転前の川原湯温泉街の西方の吾妻川とJR川原湯温泉駅に挟まれた約9万7千平方メートル。国土交通省八ツ場ダム工事事務所から受託した県埋蔵文化財調査事業団が4月から調査を続けている。

 県教委文化財保護課などによると、見つかったのは頭蓋骨(ずがいこつ)2点や下あご、左足の骨。泥流で倒壊したとみられる建物跡とともに4~6月に出土した。現状では3人分の可能性が高い。年齢、性別、身長などと併せて今後分析する。

 ログイン前の続き文化財保護課の担当者は「これまで八ツ場では、泥流による犠牲者の人骨は発見されていなかった。古文書の被害の状況が裏付けられた」と話している。

 石川原遺跡では天明泥流に埋もれた寺院や建物のほか、縄文、平安時代の竪穴住居なども多数発見されているという。遺跡の一般公開は予定していない。(寺沢尚晃)
     ◇
 天明泥流 1783(天明3)年5月(旧暦4月)から小規模な噴火を繰り返していた浅間山が、同年8月5日(同7月8日)午前10時ごろ激しく噴火。北斜面を流れ下った大量の土石なだれが嬬恋村鎌原の旧鎌原村を埋没させ、吾妻川に流入して泥流になったとされる。

 国の中央防災会議がまとめた「天明浅間山噴火報告書」などによると、火口から約34キロ離れた八ツ場ダム予定地付近には、波高50メートルを超す泥流が押し寄せた。下流域も含め約1500人が犠牲になったとされる。長野原町誌によると、うち計400人以上が町内の住民だった。天明クラスの大規模噴火は、700年に1度の割合で起きているという。

◆2018年7月10日 毎日新聞群馬版
https://mainichi.jp/articles/20180710/ddl/k10/040/076000c
ー235年前の浅間山大噴火で犠牲 倒壊家屋、人骨3体 泥流から逃げ遅れかー

  県埋蔵文化財調査事業団は9日、長野原町川原湯地区の石川原遺跡で、1783(天明3)年の浅間山大噴火に伴う「天明泥流」で倒壊した家屋の中から被災者とみられる人骨3体が見つかったと発表した。うち2体の頭蓋骨(ずがいこつ)などが現地で報道陣に公開された。浅間山大噴火に関連する犠牲者の発見は1987年以来約30年ぶり。【鈴木敦子】

 事業団などが今年4月から八ッ場ダム建設工事に伴う発掘調査を行っていた。

 今回、公開された人骨は6月26日に吾妻川から約100メートルにある集落跡で見つかった。

 1体は頭蓋骨と体(脚か腕)の一部、もう1体は頭蓋骨(下あごを含む)と下肢骨とみられる骨。いずれも歯が数本残っているが、年齢、性別、身長などは不明。

 深さ2~3メートルの泥流に埋もれる形で、まず倒壊した建物が見つかり、人骨はその建物内で体の一部が柱や板戸の下敷きになった状態で見つかった。床板などの下からさらに遺体が見つかる可能性もあるという。建物の敷地は約500平方メートルで一般的な家屋とみられる。

 もう1体は4月17日に、この2体から約25メートル離れた畑跡で見つかった。大腿(だいたい)骨を含む左足のみで、骨の状況から16~20歳以上の成人の可能性が高く、女性なら身長151センチ以上、男性なら153センチ以上と推定される。上流から流れてきた可能性もあるという。

 事業団の斉藤利昭専門調査役は「この地域の人は山の土砂崩れには慣れていたようだが、泥流は想定しておらず逃げ遅れた可能性がある」と話した。

 天明泥流による犠牲者はこれまでに嬬恋村鎌原地区(旧鎌原村)で4体が見つかっている。

 ■ことば

浅間山大噴火
 江戸時代後期の8月5日(旧暦7月7日ごろ)に起きた。爆発音が和歌山県内で聞こえたと古文書に記録されているほど規模が大きかった。その日のうちに浅間山の北斜面に溶岩や土砂が吾妻川に流れ込み、「天明泥流」と呼ばれる災害をもたらした。犠牲者は長野原町で約440人、吾妻川と利根川流域を含めると1500人以上という。

◆2018年7月10日 東京新聞群馬版
http://www.tokyo-np.co.jp/article/gunma/list/201807/CK2018071002000167.html
ー江戸時代・浅間山噴火の死亡人骨 長野原町で3体出土ー

  長野原町の八ッ場(やんば)ダム工事に伴って発掘調査している県埋蔵文化財調査事業団は9日、川原湯地区の石川原遺跡で江戸時代の1783(天明3)年に発生した、浅間山の噴火による泥流で死亡した人骨が3体出土したと発表した。天明3年の噴火犠牲者の人骨が出土したのは約30年ぶり。約2メートル積もった水分を含む泥流が偶然「真空パック」に近い良好な状態となり、人骨を保存したとみられる。 (菅原洋)

 遺跡は八ッ場ダムのほぼ中央部にある水没予定地。JR吾妻線の川原湯温泉駅北側の段丘地に位置する。

 発掘した住宅の敷地面積は約五百平方メートル。横約一二・五メートル、縦約六・三メートルの母屋跡があり、六月下旬にその南東側で二体の人骨が出土した。北西へ約百メートルの吾妻川から泥流が押し寄せ、母屋一帯にいた二人が建材に押しつぶされた状態で見つかった。圧死か窒息死したとみられる。

 「1号人骨」と名付けた一体の頭蓋骨は長さ約十二センチ。多くの部分が残り、近くに数個の歯や人とみられる二本の骨もあった。横向きに倒れた状態だった。

 1号人骨から約三メートル東側では「2号人骨」と名付けたもう一体が出土。長さ約十七センチの頭蓋骨は押しつぶされた状態で、そばに下顎の骨もあった。西側へ約一メートルの場所には、2号人骨の下肢骨とされる骨も出た。二体は同じ家系とみられるが、いずれも性別や年齢などは不明だ。

1号人骨の近くで出土した2号人骨の頭蓋骨(青い棒の先)。下方が下顎骨とみられる=いずれも長野原町で

 四月中旬には、二体から北東へ約二十四メートル離れた場所で数本の骨が出土し、調査の結果、左脚などの人骨と判明し「3号人骨」と名付けた。十六~二十歳以上で、身長は一五〇センチ台とみられる。3号人骨と他の二体との関係は不明。

 泥流に伴う死者は長野原町で約四百四十人とされ、全体では千五百人以上と推計される。嬬恋村の旧鎌原村一帯では人骨が、一九七九年に三体、八七年に一体が出土している。

 事業団は九日、報道関係者向けに現地を公開。担当した斉藤利昭専門調査役は「八ッ場ダムの工事では、百数十カ所の遺跡を掘ってきたが、犠牲者の人骨は出ず、(この地域の)被災者は無事だったと感じていた。人骨を見たときは、まさかここで、と驚いた。人骨が出てしまったのかという思いだ」と複雑な心境を漏らした。

◆2018年7月10日 産経新聞
https://www.sankei.com/life/news/180709/lif1807090012-n1.html
ー八ツ場ダム建設予定地から江戸時代の人骨 浅間山噴火で犠牲かー

  群馬県は9日、八ツ場(やんば)ダム(同県長野原町)の建設予定地にある遺跡で、江戸中期の1783(天明3)年に起きた浅間山噴火の泥流に巻き込まれたとみられる人骨を発見したと発表した。

 泥流では1500人以上が死亡したとされ、長野原町に隣接する浅間山の麓の嬬恋村では昭和54(1979)年の調査で3体、62(1987)年には1体の犠牲者とみられる人骨が発掘された。長野原町で犠牲者とみられる人骨が見つかったのは初めてで、噴火被害の大きさがうかがえる。

 県によると、遺跡の倒壊した民家跡から2体分の頭蓋骨などを発見。畑の跡から左足の骨も見つかった。県は今後、年齢や性別などを調べる。

 遺跡は利根川支流の吾妻川に近く、泥流に埋もれた建物や道などが発掘されている。県はダム建設に伴い、平成6(1994)年から周辺を調査している。31(2019)年度のダム完成は予定通りとしている。