球磨川の清流、再び我が手に 全国初、挑んだダム撤去

 日経新聞が熊本県の荒瀬ダムの撤去を「平成の記憶」として取り上げました。
 
 熊本県が1955年、水力発電を目的として球磨川に完成させた荒瀬ダムは、流域住民の長年の運動が実を結んで、2012年度から撤去工事が始まり、今春撤去が完了しました。ダム先進国である米国では、それまでダム建設を主導してきた行政のトップが1990年代に「ダム建設の時代は終わった」と宣言し、各地でダムの撤去工事を行っています。わが国では荒瀬ダムが国内の本格的なダム撤去第一号ですが、その後撤去されるダムの予定がなく、いまだにダム事業が全国各地で推進されています。
 荒瀬ダムの撤去によって、球磨川の河川環境は改善し、漁業資源の回復にも大きく貢献していることから、ダム撤去という選択が経済的な面から見ても合理的な選択であったことは明らかです。
写真右上=球磨川では漁業だけでなく、川下りやカヌーなど、観光資源として清流が活用されている。

 日経新聞の記事では、「蒲島郁夫熊本・熊本県知事は2008年、荒瀬ダムの存続を宣言したが、翌年の政権交代で、当時の前原誠司国土交通相が10年1月、ダム継続に必要な水利権について「地元漁協の同意がなければ同年3月で失効する」と表明し、知事も水利権更新を断念せざるを得なかった。」と書かれていますが、正確ではありません、

 ダム撤去を可能としたのは、蒲島知事の前任の潮谷義子・前知事がダムの撤去を前提として、水利権の許可期限が2010(平成22)年3月31日の到来をもって失効するようにしたからです。

★参考 「藤本発電所(荒瀬ダム)の水利使用に関する現況について」(国土交通省九州地方整備局 平成22年2月28日)
 http://www.qsr.mlit.go.jp/n-new/h21/100301/index2_3.pdf

 これにより、水利権の更新は不可能となり、漁協の同意を必要とする新規の水利権取得しか荒瀬ダムを撤去しない方法はなくなりましたが、球磨川の漁協が荒瀬ダムに反対していましたので、蒲島知事は撤去を選択せざるをえなくなくなりました。したがって、たとえ政権交代がなくても、潮谷・前知事が敷いた路線は生き続け、荒瀬ダムは撤去されることになっていたのです。

 熊本県では蒲島知事の時代になってから、球磨川支流で国交省九州地方整備局が進めていた川辺川ダム事業が休止されましたが、これも流域住民の運動と潮谷前知事の敷いた路線が実を結んだものでした。現在、球磨川流域では瀬戸石ダムの撤去運動が進められていますが、蒲島知事はダム撤去に対して後ろ向きです。
写真右上=流域住民が撤去を要望している瀬戸石ダム。
 

◆2018年7月29日 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO33338220U8A720C1960M00/
ー球磨川の清流、再び我が手に 全国初、挑んだダム撤去 ー

 熊本の山あいを縫う球磨川の渓流が、エメラルドグリーンに輝くみなもに木々と陽光を映し出す。右に左にうねる急流が岩にはじけ、勢いよくしぶきを上げた。夏真っ盛り、名物のアユで船ははち切れんばかりだ。

 「ダムがあったときはしょうゆを垂らしたような濃い茶色の水。夏場はどぶのように臭った」と、熊本県八代市坂本町の住民自治協議会の元会長、森下政孝さん(77)。「子供の頃は本当にきれいな川だった。ウナギをたくさん捕って小遣いにした。今はそんな昔の川に戻りつつある」

  清流がよみがえったのは、県営荒瀬ダムが撤去されたためだ。戦後の電力需要に応え、1955年に完成した貯水容量約1千万立方メートルのダムは、半世紀にわたり2万世帯分の電力を九州電力に供給してきた。

 一方でダムの稼働は周辺住民の平穏な日常を脅かした。「家が揺れて眠れない。一度泊まってみてください」。川沿いに住んでいた山下みどりさん(75)は振動や浸水被害に悩まされ続けた。窮状を訴えても県の担当者は口をつぐむだけ。結局、自ら高台に引っ越すしかなかった。流れはよどみ、汚濁もひどかった。

■政治の荒波が翻弄
 九州他地域での発電が増えてきたこともあり、旧坂本村議会は2002年(平成14年)9月にダム継続反対の意見書を可決。同12月には当時の潮谷義子知事が全国初のダム撤去方針を表明した。

 ところが政治の荒波がダムを翻弄する。次の蒲島郁夫知事は08年、前知事の方針を翻し存続を宣言。撤去費が当初試算の約60億円から100億円近くに膨張していた。「財政難なのに使えるダムを巨費で壊すなんて」(熊本県)というわけだ。

 存続するかにみえたダムの運命をさらに一転させたのが、翌年の政権交代だった。09年衆院選で民主党政権が誕生すると、当時の前原誠司国土交通相が10年1月、ダム継続に必要な水利権について「地元漁協の同意がなければ同年3月で失効する」と表明。漁協はダム撤去を訴えて同意を拒み、知事も水利権更新を断念せざるを得なかった。

 最終的に国の財政支援も決まり、12年に日本初のダム解体がスタート。工事は5年余をかけ今年3月、ついに完了した。

■若者が町おこしに挑む
 効果はてきめんだ。県の環境モニタリング調査では、水流の回復でアユやハゼなどの魚類や、カゲロウなどの水生昆虫が増加。アオコが浮き環境基準を満たさなかった水質も改善した。流域住民も「今の川なら泳ごうかなって気になる」。

 清流をテコに若者が町おこしに乗り出す動きも。大学院でダム撤去に伴う環境変化を研究していた溝口隼平さん(36)は「現場を見たい」と地元に移住。リバーガイドとしてラフティングを観光の呼び水にと奔走する。

 人口3600人余の坂本町で65歳以上の人は5割を超す。1尺(約30センチ)もの体長で知られる球磨川の「尺アユ」も、ピーク時年5千万匹というかつての漁獲にはほど遠い。高齢化と過疎化の中、地域振興のハードルは高い。それでも「川の恵みを経済力に変え、サステナブル(持続可能)な地域に」(溝口さん)と、関係者の鼻息は荒い。

 ダム撤去という全国初の大仕事の次は、平成の先を見据えた地域再生への挑戦。清流が運んできた活力に、全国から関心が集まる。(江里直哉)

■専門家「地域の財産生かし『ダム後』の価値を」
 公共事業推進の行政と、反対派の対立の膠着――。そんな構図で語られがちなダム事業。だが荒瀬ダムが解体にまで至ったことを、大本照憲熊本大教授(河川工学)は「ただ壊すだけでなく『自然に戻す』という目線があった点が奏功した」と指摘する。
 京都大防災研究所の角哲也教授は「ダムの役割と撤去の経済的合理性が綿密に議論され、住民に選択肢として示されることが重要だ」と話す。荒瀬ダムもこの点は不十分だったという。
 荒瀬ダムは「脱ダム」を加速するのか。角教授は「単純な解体を目指すのではなく、球磨川のアユのような地域の財産との兼ね合いをしっかり考え、『ダム後』の新たな価値を生み出す議論を進めるべきだ」と訴える。