野村ダムと鹿野川ダムの放流による肘川の水害(その4)

 愛媛県を流れる一級河川、肱川にある野村ダムと鹿野川ダムは、西日本豪雨の最中、7月7日にダムが満水となり、緊急放流を行った後、ダム下流の堤防が決壊し、逃げ遅れた8名の住民が亡くなりました。ダムを管理する国土交通省四国地方整備局は、避難指示のあり方などについて検証することになっています。

 水害発生後、ダム管理者やダムを擁護する立場からは、「ダムは洪水調節機能を発揮した」、「ダムは避難の時間を稼ぐためのものである」、「水害は想定外の大雨のせいである」という説明がなされ、避難しなかった住民や避難指示が遅れた下流自治体に問題があるとする意見が繰り返されています。

 被災当時の詳しい経過を伝える地元メディアによる下記の記事を見ると、「ダム管理者は、甚大な被害が出ると分かっていた、との立場だが、大洲・西予両市とも放流量と浸水被害の関係を示すデータを持っておらず、住民はさらに情報がなかった。」としており、ダム下流の自治体や住民がダムの危険性について認識していなかったことがわかります。
 こうした状況を生み出したのは、国土交通省がダム事業への流域住民の協力を取り付けるために、ダムの治水効果を過大にPRし、ダムの危険性に触れてこなかったからですが、犠牲者を出してなお、ダム行政が責任転嫁に終始する姿勢は変わっていません。
 

◆2018年8月5日 愛媛新聞
https://www.ehime-np.co.jp/article/news201808050039?sns=2
ー愛媛豪雨災害 ダム緊急放流 街覆う濁流目疑う 西予・野村 自治体、浸水規模見通し甘くー

 西日本豪雨で7月7日に異常洪水時防災操作を行った野村、鹿野川ダムの下流では浸水で8人が死亡し、多くの住民が取り残されて屋根の上で救助を待った。ダム管理者の国土交通省と自治体、住民の間で緊急放流の情報がどのようにやりとりされ、避難の呼び掛けや誘導は適切になされたのか。ダム管理者や西予、大洲両市の災害対策本部の当時の動きを検証した。

 西予市野村地域の象徴である乙亥会館が屋根を残して沈み、辺りを茶色い水が覆う。7月7日午前、市野村支所の職員が市災害対策本部に送った写真に、市の垣内俊樹危機管理課長は、信じられないと目を疑った。野村ダムの緊急放流による浸水被害は県も市も想定していなかった。現実に濁流を見るまでは。

 全国的に豪雨による災害が発生していた7日午前2時半、同省野村ダム管理所から市野村支所に「異常洪水時防災操作を午前6時50分ごろに始める予定」と通告があった。午前3時11分には「放流量は千トンを超える」と連絡を受けた。

 土居真二支所長は、直接現状を伝えようと本庁に向かう。午前3時半ごろから管家一夫市長や幹部職員ら約10人で協議し、避難指示を出すと決めた。発令のタイミングは早くとも午前5時ごろと設定。市危機管理課は「避難所準備や安全な誘導ができない状況で夜間に避難指示を出せば危険だと判断した」と説明する。

 当時、市幹部らは浸水被害が発生すると見通してはいたが、住宅の2階に達するほどの大規模な被害になるとは考えていなかった。県は野村地域を浸水想定区域に定めておらず、データがないため市もハザードマップを策定していない。市職員も何トンの放流があれば、どれだけ浸水するかは把握してなかった。

 野村ダム直下の野村地域では、ダム完成後の1987年に一部が浸水したが、以降は被害がなく、多くの住民が「ダムがあるから安全と思っていた」と語る。垣内課長は「避難を呼び掛けても川の水位を見た人が『まだ大丈夫』と思って逃げなくなるのでは」とも懸念していた。市によると、ダムの決壊を気にする住民の声が時折寄せられたが、国からの返答は毎回「決壊はない」だった。

 午前5時10分、避難指示発令。集まっていた消防団が河岸に近い場所から順に戸別訪問し、「今までにない放流量になる」と伝え、車両に乗せて高齢者らの避難を手伝った。中には避難を断る住民もいた。

 午前6時20分、ダムの防災操作が始まり、最大毎秒1797トンという過去最大の水が野村地区に向けて流れ出す。2階にまで泥水が押し寄せて、複数の住民が屋根に取り残された。

 犠牲者の遺族は「避難に取れる時間が十分でなく、ダムが放流すると分かった段階で避難の情報を出してもらえれば。街が浸水してしまうという具体的な情報が欲しかった」と訴える。

 垣内課長は市の対応を振り返る。「豪雨の中、夜間の避難は危険だったと思う」。夜明けを待って避難指示を発令したが、ダムの防災操作開始までには約1時間。消防団が各戸に避難を呼び掛けた。それでも5人が亡くなった。「これ以上何ができたのか」。天を仰いだ。その目は少し潤んでいた。

 管家市長は31日、野村地域の被害に「私を含め多くの人が、ダムが守ってくれるという安心感を持っていた」との認識を示し、避難について「呼び掛けの在り方を考えなければならない」と述べた。

【危機感の共有 不足 識者指摘】

 西日本豪雨で野村ダム(西予市)・鹿野川ダム(大洲市)が異常洪水時防災操作の2時間以上前に両市へ通知し、異常な放流量になると予告していたのに、なぜ下流で大勢が逃げ遅れ8人もの犠牲者が出たのか。

 「自治体に危機感や切迫感が十分伝わっていなかった」。徳島大環境防災研究センター長の中野晋教授(地域防災学)は公表されたホットラインのやりとりなどから分析する。「ダム管理者は操作や放流量など最小限のことは伝えた。だが、自治体にはどれだけ放流すれば、どの地域がどれだけ浸水するかなど、具体的イメージがなかった」

 近年、災害時に関係機関のトップらが直接やりとりするホットラインの整備が進んだ。今回の放流でもダム所長や市長らは情報交換していたが、危機感の共有に至らなかった。

 ダム管理者は「甚大な被害が出ると分かっていた」との立場だが、大洲・西予両市とも放流量と浸水被害の関係を示すデータを持っておらず、住民はさらに情報がなかった。関係機関は4月に洪水対応の演習をしていたが、関係者は「シャンシャン会議のようだった」と振り返っており、中野教授は「平時のコミュニケーションに大きな問題があった」とみる。

 大洲市は、ダム管理者が示した放流量ではなく肱川の水位で判断し、避難指示はダムの防災操作開始5分前になった。西予市は「夜間の避難は危険」との理由で、防災操作を始める約1時間前の午前5時10分に避難指示を出し、それまで放流の危険性や避難情報を住民に伝えていなかった。

 夜間避難で犠牲者が出た例が実際にある中、西予市の判断について、京都大の今本博健名誉教授(河川工学)は「市は現状だけでも伝えるべきだった。ホットラインの内容を公開し朝に避難すると伝える方法もある。判断ミスだ」と考える。

 兵庫県立大の室崎益輝教授(防災計画学)は「放流は大量の水が一気に流れ、下流に人がいれば死者が出かねない。自治体は避難状況をダム管理者に伝え、ダム管理者は原則、避難完了を確認してから放流しなければならない」と強調。今回、ダム管理者と自治体の間で避難完了のやりとりはなかった。

 国交省は今月、両ダムの警報の表現を「厳重に警戒してください」から「ただちに命を守る行動を取ってください」などと試行的に見直した。室崎教授は「緊迫感や重大性を伝えるため防災操作に関しては時間を示して避難しなければ死ぬかもしれないと放送すべきだ」と提言。「一人残らず確実に伝えるのが必要。一軒一軒バスで回る方法もある」とし、西予市野村地域などで消防団が行った戸別訪問を評価した。

◆2018年8月6日 FNN PRIME
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180806-00010010-fnnprimev-soci
ー西日本豪雨から1か月 ダム放流と肱川氾濫…住民のための検証を【愛媛発】ー

 「あと5分遅かったら死んでいた…」
「逃げるのに必死だった。あと5分遅かったら死んでいた…」

7月7日早朝、愛媛県西予市野村町で肱川が氾濫した。川の水は瞬く間に溢れ住宅や商店街を濁流が呑み込んだ。車も家も押し流され、中には家の屋根の上にかろうじて避難し、救助を求めた人もいた。

 私たちがその現実を知ったのは氾濫から数時間後、SNSを通じて住民が撮影した動画からだった。土砂崩れで取材班が現場に入れず、その動画を使って視聴者に被害の現状を伝える形になった。

今回の西日本豪雨で、愛媛県では死者26人、安否不明者2人(8月4日時点)という過去にない甚大な被害が出た。災害が少ないと言われる愛媛県ではこれまで経験したことがない被害だった。

その被害の1つは肱川の氾濫。肱川は愛媛県西部を流れる県内最大の1級河川で、肘を曲げたように蛇行している姿からその名がついたともいわれている。過去に氾濫を繰り返した歴史があり「暴れ川」とも呼ばれる。この肱川で今回、8人が死亡する過去にない被害を出した。その要因はダムの放流にある。

あの豪雨の中で何が起こっていたのか?
ダムを管理する国土交通省四国地方整備局によると、豪雨に備えて鹿野川ダムで7月3日から、野村ダムで4日から事前放流を始めていた。事前放流はダムの洪水調節容量を予め増やしておく措置だ。

鹿野川ダムは洪水調節と発電を目的としたダム、野村ダムは洪水調節に加えみかん畑への灌漑用水や活用水を目的としたダムで、事前放流は利水者の理解を得た上での異例の対応として行われた。これによりダムは通常の1.5倍に貯水容量を増やしていたが、想像を上回る事態がこのあと起きた。

野村ダムは記録的な豪雨によって徐々に水位を増していく。四国地方整備局は7日午前2時30分、「このままだとダムが溢れる」と判断し、ダムへの流入量と同じ量を放流する「異常洪水時防災操作」を、午前6時50分から行う見通しを西予市野村支所に伝えた(操作開始はこのあと6時20分からに変更される)。

連絡を受けた西予市の管家一夫市長は市幹部と協議し「避難指示」を出すことを決めたが、「避難所の準備や、夜間で安全な避難誘導ができない」との理由から、住民には午前5時以降に発令することにした。西予市は異常洪水時防災操作による放流で住宅の浸水は予想していたが、具体的にどの程度まで浸水するか想定はできていなかったという。

午前5時10分、西予市が避難指示を出し防災無線等で避難を呼びかけたが、取材によると多くの住民が「雨で防災無線の音が聞こえなかった」「防災無線は聞こえたが、いつもの放流と同じだと思っていた」などと証言し、そこまでの非常事態が迫っていることは伝わっていなかった。

そして午前6時20分、野村ダムの「異常洪水時特別操作」が始まり、最大で毎秒1797トンという安全とされる放流量基準の6倍もの水量が一気に野村の街を襲ったのだ。逃げる間もなく住宅の2階まで濁流が押し寄せ、過去にない甚大な被害をもたらした。

野村ダムの放流で当然、下流にあるもう1つのダム、鹿野川ダムへの流入も一気に増えた。午前7時35分には鹿野川ダムも異常洪水時防災操作による放流が始まり、最大で毎秒3742トンという、安全とされる放流基準の6倍もの水が下流の大洲の街に流された。

4600世帯が浸水し、大洲市も過去に経験をしたことがない甚大な被害になった。

取材を通して被災地からは「ダムの放流による人災だ」という声を聞く。

この指摘に対し四国地方整備局は7月11日の記者会見でこう説明した。
「今回の洪水でダムは洪水調節機能を発揮している。(今回の操作は)関係機関も同意した操作規則に基づくもので、被害が発生した直接の原因は計画を上回るような豪雨があったということ」

2つのダムは数日前から事前放流で洪水に備え、西予市と大洲市には「異常洪水時防災操作」の可能性を早くから伝えていたと、対応に問題はなく「ダムが豪雨を受け止めた」と強調した。さらに担当者は、あの時点で野村ダム、鹿野川ダムで異常洪水時防災操作を行えば、今回のような甚大な浸水被害が起こることは「分かっていた」と、当然のように口にした。

伝えられなかった危機感
なぜその危機感が住民に伝えられなかったのか?

西予市は住民への避難勧告を夜が明ける午前5時10分に発令した。それまでの間に「町が水に浸かるほどの放流になる」という危険な状態を伝えることはできなかったのか。甚大な被害がわかっていた四国地方整備局、そして通報を受けた西予市はマニュアルを超えた対応で住民に命の危険を知らせることはできなかったか。

実際、行政防災無線等でわずか1時間余りの間に周知するのは困難だった。「もう少し早く異常事態だと伝えていてくれれば」と悔やむ声も聞かれる。

高度なシステムやマニュアルがあってもそれを使うのは“人”。今回、野村地区で人の命を救ったのは、1軒1軒地域を回って住民を車に乗せて避難所に連れて行った地元消防団の行動だった。

今回の被害を受けて四国地方整備局は有識者による「検証の場」を設け調査を始めたほか、西予市や大洲市でも避難勧告の出し方などについて検討を始めている。こうした場での検証が行政の報告書だけに終わらず、住民の命を守る運用になることが何よりも重要だ。

家族や生活を失った被災者の1人は「記録的豪雨は防げなくても、避難していれば命は守れた」と言う。被災者たちは同じ思いを持ちながら、豪雨から1か月を迎える。

(テレビ愛媛 報道制作部長 片上裕治)