八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム堤体打設、今月12日に完了見通し、秋に試験湛水開始

 今朝の上毛新聞の一面トップに、八ッ場ダムの堤体打設がほぼ完了したことを伝える記事が掲載されています。
 昨年11月の時点で、コンクリート打設は9割に達していると報道されましたが、このたび事業者(国交省関東地方整備局)から関係都県も参加する打設完了式典が6月12日に開催される予定であることが明らかにされたようです。

 記事では、コンクリート打設の開始は2016年6月とされていますが、3年前の6月に開始されたのはダム堤の手前につくられた減勢工部のコンクリート打設でした。堤体部のコンクリート打設が本格的に始まったのは2016年秋です。
 それから約2年半、夜は巨大ライトで谷間を煌々と照らし、24時間態勢で工事を進め、工期内(2020年3月末)のダム完成を目指しているのですが、試験湛水は秋に開始されるとのことですから、予定通りダムが完成するかどうかは、まだわかりません。

 記事の最後に「八ツ場ダム水没関係五地区連合対策委員会」委員長の言葉が紹介されています。ここで登場する桜井武氏は、1954(昭和29)年から20年間、ダム予定地のある長野原町の町長を務めました。
 八ッ場ダムはダム予定地を流れる吾妻川が酸性河川であることから、1952年に計画が発表されたものの、一旦は計画が白紙になった過去があります。その後、草津白根山麓で試みられた中和事業の道筋がついた1965年に、ダム計画は復活しました。1952年の時点では、水没予定地域の住民が一丸となってダム反対を訴えたとのことですが、1965年の時点では、事前に根回しが行われ、有力者の多くがダム容認に転じていました。

 桜井氏は地元選出の福田赳夫衆院議員の後援会の吾妻連合会長を務めており、町民の先頭に立って八ッ場ダムを推進しました。当時、水没予定地住民の大半はダムに反対しており、町議会も反対派が多数を占め、桜井氏の姿勢は厳しい批判を浴びました。
写真右=展望台・八ッ場見放台より5/22撮影。
1974年、長野原町は入院中の桜井町長が引退直前、国の名勝・吾妻峡の現地点での調査実施について、建設省に同意文書を送ったとされる。

 病に倒れた桜井氏に代わって町長となったのは、八ッ場ダム反対期成同盟の委員長であった川原湯温泉、山木館の当主、樋田富治郎氏でした。1974年4月の町長選は投票率が95.41%を記録し、住民による反対運動の盛り上がりは頂点に達したといわれます。しかし、それから16年の樋田町政の間に、長野原町は国と群馬県の切り崩しにより八ッ場ダムを受け入れ、現在に至っています。
写真右=昭和4年に建設され、昨年12月まで使われてきた長野原町の旧庁舎。2019年4月24日撮影。

 三世代にわたって町民を翻弄してきた八ッ場ダム。武氏が引退した1970年代半ばとは、町の様相は一変しています。
 この間、ダム予定地域には水没住民の犠牲の見返りとして、ダム事業で各所に地域振興施設や道路、下水道、公園等々が整備されてきました。「八ツ場ダム水没関係五地区連合対策委員会」の桜井芳樹委員長が語っているように、ダム完成後の長野原町は「周辺施設の維持管理など」の課題と向き合っていかなければなりません。

◆2019年6月1日 上毛新聞 
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/politics/135617
ー八ツ場ダム 堤体打設工事 12日に完了見通し 秋に試験湛水開始ー

  群馬県の八ツ場ダム(長野原町)の建設事業で、ダム本体のコンクリート打設が12日にも完了する見通しとなった。国土交通省八ツ場ダム工事事務所と清水・鉄建・IHI異工種建設工事共同企業体(JV)が同日、打設完了式典を開く。ダムは秋から始まる試験湛水たんすいを経て、来年3月に完成する予定。計画発表から約70年が経過したダム建設事業は、総仕上げの段階に入る。

◎完了の日 国や下流都県参加し式典
 コンクリート打設は2016年6月に始まり、24時間態勢で堤体を造ってきた。現在、コンクリート打設はほぼ完了しており、高さ116メートルの完成に近い形を見ることができる。大型クレーンや工事用の足場が徐々に撤去され、遺跡の発掘調査が行われている。

 式典はダム右岸側の川原湯湖畔公園駐車場で行い、国や県、下流都県(埼玉、東京、千葉、茨城、栃木)、地元などの関係者が参加し、コンクリート打設完了という大きな節目を祝う予定。

 コンクリート打設が終わることについて、萩原睦男町長は「ダム完成がいよいよ迫ってくるという実感が湧いてきた」と述べ、「今後はダムを利用した地域の活性化について、町民と共に考えていかなければいけない」と語った。

 八ツ場ダム水没関係五地区連合対策委員会の桜井芳樹委員長は「かつて町長を務めた祖父がダム問題を巡り苦労する姿を見てきたので感慨深い。これからが本当の正念場。周辺施設の維持管理など、課題を解決していきたい」と話した。

【八ツ場ダム建設関連事業の経過】
1952年 国が八ツ場ダムの調査に着手
 86年 工期を2000年度、事業費2110億円とする基本計画告示
2001年 国交省と水没5地区が用地買収価格などの補償基準に調印
 04年 事業費を4600億円に増額
 08年 工期を15年度までに延長
 09年 前原誠司国交相(当時)が建設中止を表明
 11年 前田武志国交相(当時)が建設再開を表明
 13年 工期を19年度までに延長
 14年 本体工事に着手
 16年 ダム本体のコンクリート打設開始。事業費を5320億円に増額
 17年 ダム建設に伴う国道、県道の付け替え工事が完了し、全線で開通
 18年 ダム湖予定地の上流に長野原町役場新庁舎と住民総合センターが完成
 19年6月12日 ダム本体のコンクリート打設が完了し、式典が開かれる

◆2019年6月5日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASM644D6SM64UHNB004.html
ーコンクリートの打設 八ツ場ダムで完了へー

 国が今年度中の完成を目指す八ツ場(や・ん・ば)ダム(長野原町)の本体工事で、コンクリート打設が近く完了する。4日開かれた県議会産経土木常任委員会で、県が明らかにした。県などによると、水をためてダム本体の強度などをチェックする「試験湛水(たん・すい)」を秋から実施した上で、来春以降ダムとして利用される予定。
 12日には現地で、県内外の自治体関係者や関係住民らが参加し、国土交通省などが打設完了の記念式典を開く。
 八ツ場ダムの計画は1952(昭和27)年に立案された。地元の激しい反対運動や民主党政権による建設中止の表明と撤回などを経て、2015年1月に本体工事が始まった。重力式コンクリートダムの本体は堤高116メートル。利水と治水、発電の多目的ダムとなり、東京ドーム87杯分に相当する約1億750万立方メートルの総貯水容量を見込んでいる。(寺沢尚晃)
—転載終わり—

写真下=ダム堤の上流側には、ダム建設前につくられた仮締切の小ダムや仮排水トンネルの吞み口が残されている。吾妻川の水は濁っており、ダム湖の水の色も予想図に描かれているような青い色にはならないと予想される。

写真下=ダム堤の上流側には、名勝・吾妻峡の十勝の一つに数えられた白糸の滝が滝壺とともに姿を留め、多くの観光客が美しい景観を眺めるために訪れた滝見橋の橋桁がまだ残されている。