八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

沈みゆく景色 記憶に 八ツ場ダム試験湛水前 予定地最後のツアー

 地元紙、上毛新聞が水没予定地最後の見学ツアーが開催されたことを伝えています。
 八ッ場ダムの試験湛水は今年度の下半期に行われ、来年度にはダムの運用が開始される予定です。10月にはダム貯水池周辺で地すべり等が発生しないかを確かめる試験湛水が開始されると言われています。

 記事では、「ダムに水をためて安全性を確認する試験湛水を前に、県内外から参加した34人が貴重な風景を目に焼き付けた。」と書かれていますが、「貴重な風景」についての具体的な記述はありません。記事に添えられた写真も、見学会の参加者の背後に聳える巨大なダム堤です。八ッ場ダムに沈む吾妻川の景観が間もなく沈むこの期に及んでも、具体的に書くことをためらう空気が新聞社にはあるのでしょうか。
右写真=水没予定地を流れる吾妻川(久森隧道付近)。吾妻川沿いの国道が廃道となった2014年11月18日撮影。

 明治時代の長野原町長であった浦野安氏は、水没予定地の林地区の出身で、漢詩を嗜む文化人でした。堂岩山や丸岩の聳え立つ景観を眺めて育った浦野氏は、「吾妻溪谷探勝記」(1936年)を残していますが、この著書で名勝・吾妻峡は国指定区間の上流(現在の水没予定地)も含めるべきだったとしています。

「(国の指定名勝・吾妻峡は)道陸神嶺の入口より川原畑の東端、八ッ場大橋に至る約十四、五町余の小区域を包含せるものなりき」
「何ぞ知らむ、之(八ッ場大橋)より更に西に遡れば奇勝絶景の多々ある事を。蓋し是れ新県道(旧国道)の開削全通せられざりし時代…」

 吾妻峡が国の名勝に指定された1935年当時は、国道は上流側まで通じていなかったため、文部省から派遣された学者も上流側をよく探勝することなく、現在、名勝に指定されている区間のみを吾妻峡としたが、これは「真に惜しむべき事なりき」と嘆いているのです。

 仮に、国指定名勝・吾妻峡が浦野氏の希望した通り、上流の久森隧道、川原湯岩脈、堂岩山、弁天橋、琴橋のあたりまで包含するものであったなら、これらすべてを呑み込む八ッ場ダムは、はたして建設されたでしょうか? 名勝の中にダムを建設するという暴挙が許されたのですから、いずれにしても八ッ場ダムは造られたのでしょうか?

◆2019年9月16日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/160083
ー沈みゆく景色 記憶に 八ツ場ダム試験湛水前 予定地最後のツアーー

 本年度に完成を控える群馬県の八ツ場ダム(長野原町)の湛水たんすい予定地を歩く「八ツ場ダム・エコツアー」が15日、道の駅「八ツ場ふるさと館」を発着点に開かれた。ダムに水をためて安全性を確認する試験湛水を前に、県内外から参加した34人が貴重な風景を目に焼き付けた。

◎県内外の34人が参加 「さまざまな思いがありダム完成」
 来月上旬に試験湛水が始まることから、湖底に沈む場所を歩く最後の機会となった。国土交通省八ツ場ダム工事事務所の許可を得て、吾妻川流域の湛水予定地と周辺の約10キロを休憩含め5時間半かけて歩き、ダム本体を間近に見上げた。

 同省職員と地元関係者がガイドとして同行し、ダムの機能や工事状況、水没地区の歴史・文化などを紹介。代替地に移転したJR川原湯温泉駅と温泉街を結ぶ町道川原湯温泉幹線街路の建設現場を見学し、水没する旧長野原第一小の跡地も巡った。

 多田悦子さん(70)=茨城県牛久市=と柳沢和香那さん(41)=吉岡町上野田=は親子で参加した。「美しい自然や故郷を失う地元の方々のさまざまな思いがあってダムが完成することが分かった」と口をそろえ、「さみしい気持ちもあるが、今後はダムができて良かったと思えるような、人が集う観光地になってほしい」と期待を込めた。

 ガイドを務めた地元出身の浦野安孫さん(70)=前橋市高井町=は「普段入れない場所で、橋や滝など懐かしい風景を確認できて良かった。八ツ場の歴史の中で失われてしまう部分にも思いをはせてほしい」と話した。

 国が無料で実施してきたダム工事現場見学会「やんばツアーズ」は、今月末で終了する。今後は同道の駅が発着点となるエコツアーに加え、来月から長野原観光協会も見学会を開始し、地元主体の有料ツアーに引き継がれる。道の駅では、近くの王城山や吾妻渓谷の紅葉を楽しむツアーを用意している。

—転載終わり—

写真下=黄色い重機の走る国道の下から吾妻川の河床に這い出すように伸びている臥龍岩。竜が天に上るように見える岸壁の昇竜岩と合わせて川原湯岩脈として1934年12月28日に国の天然記念物に指定されたが八ッ場ダムで水没する。
 「吾妻渓谷見て歩き」(浦野安孫、上毛新聞社、2014年)によれば、岩脈のある字名は久森(くもり)であったため、もとは久森岩脈と呼ばれていたが、観光資源として世に出すために川原湯の冠を被せる必要を感じた群馬県が、土地所有者(浦野氏)に了解を得て川原湯岩脈に名称を変更した。
国道の先に久森隧道、その背後に山懐にあった川原湯温泉(水没予定地)。2014年11月18日撮影。
〈文化遺産オンライン〉川原湯岩脈(臥龍岩および昇龍岩)