八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

渓谷の記憶 水底へ

 台風19号による大雨により、八ッ場ダムの貯水池は一日で満水近くまで水が溜まってしまいましたが、台風襲来直前、沈みゆく水没予定地の風景を惜しむ住民の声を新聞が伝えていました。

◆2019年10月12日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/ASMBC5SK6MBCUHNB011.html
ー渓谷の記憶、水底へ 八ツ場ダムー

 国が来春の完成を目指す八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)で試験貯水を始めて10日余り。かつてのJR吾妻線の橋が水没し始め、脇にあった旧国道145号の橋などの跡はすでに見えない。渓谷の記憶は水底に沈もうとしている。

 「もうここまでたまったのか」。ダム本体近くの川原湯地区で林業を営む美才治章さん(72)は11日、旧JR吾妻線の橋の様子に驚いた。数日前まで橋はくっきりと見えていた。かつて橋のそばには美才治さんの作業場があった。

 最盛期は20軒以上の温泉旅館が細い坂道に並んだ昔の川原湯温泉街は、客のげたが鳴らすカラコロという音が響いてにぎわった。消える風景に、「つい昔のことを思い出してしまうよね」と美才治さん。

 土産物店「お福」を営む樋田ふさ子さん(90)はダムの計画が浮上したのと同じ1952年に川原湯に嫁いできた。「寂しいね、人生を振り返るものがなくなっちゃう。昔の川原湯は味わい深い所だったよ」。夫の淳一郎さん(92)は「感傷的な気持ちになる」とつぶやいた。

 高台の代替地への移転後、温泉旅館は数軒しかない。住民も多くが去った。淳一郎さんは「もう私たちの出る幕ではないが、川原湯の今後が心配。明るくなってほしいけど、理想通りにいかないね」。

 国土交通省八ツ場ダム工事事務所は、8日からホームページで水位の公表を始めた。原則毎週火曜の午後2時に更新し、15日からは当日午前9時の水位を知らせるという。8日公表の水位は、1週間前の貯水開始時と比べて約20メートル上昇していた。(丹野宗丈)

◆2019年10月12日 読売新聞群馬版
https://www.yomiuri.co.jp/local/gunma/news/20191011-OYTNT50175/
ー鉄橋、渓谷沈みゆく古里 八ッ場ダム水位38メートル上昇ー

 来春に運用が始まる予定の八ッ場ダム(長野原町)で、水をためて安全性を確認する試験湛水たんすいが始まってから10日がたった。国土交通省八ッ場ダム工事事務所によると、11日午前9時の時点でダム本体付近の水位は今月1日の試験湛水開始前に比べて38メートル上昇。JRの旧吾妻線の鉄橋や渓谷の一部が水没し始め、住民は沈みゆく古里を複雑な表情で眺めている。

 試験湛水では、最高水位の標高583メートル地点まで水をためた後、最低水位の536メートル地点まで下げていく。水没予定地を望む八ッ場大橋から旧国道145号はもう見えず、橋の上流側にある鉄橋や橋もまもなく水没する見込みだ。

 地元の篠原敏敬としひろさん(60)は11日、「台風の後には景色が激変するかも」と八ッ場大橋を訪れた。変わりゆく景色を前に「悲しいともわびしいとも言えない、複雑な思いになる」と話した。

◆2019年10月11日 上毛新聞一面コラム 三山春秋
https://www.jomo-news.co.jp/feature/miyama/165943

▼「廃線を走る関東初の自転車型トロッコ」「ダム湖でバンジージャンプ」「県内初導入の水陸両用バス」…。来春に予定される八ツ場ダム(長野原町)の完成をにらみ、周辺ではさまざまなアクティビティー(遊び)が登場を待ち構えている

▼ダムを活用した観光を盛り上げようと、地元自治体はこうしたアクティビティーのほか、親水公園やキャンプ場、屋内運動場といった施設の整備を着々と進めている

▼来年4~6月に大型観光企画「群馬デスティネーションキャンペーン」が展開され、7月からは東京五輪・パラリンピックがある。本県に国内外から観光客が押し寄せるタイミングでダム観光が本格的に始まる

▼ダムが予定通り本年度中に完成するかは、1日に始まった試験湛水の結果次第だ。貯水位を上下させ、堤体や基礎地盤、貯水池周辺の斜面の安全性を確認する最終工程である

▼長期にわたる激しい反対運動から「東の八ツ場、西の大滝」と呼ばれた大滝ダム(奈良県)では、2003年の試験湛水中に大規模な地滑りが発生し、対策工事で完成が約10年も遅れた

▼国は地質情報や関連法令にのっとって貯水池周辺で地滑り対策を講じており、試験湛水中は巡視や機器の計測により異変がないかを見極める。ダムとの共生や活用に踏み出した地元住民が安心できるような結果を願う。
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写真下=水没予定地を走っていた吾妻線が廃線になった時は、別れを惜しむ人々がこの鉄橋(第二吾妻川橋梁)の上を行列をつくって歩いていた。鉄橋に並行して吾妻川に架かっていた八ッ場大橋は先に沈み、ガードレールが水面下に見える。鉄橋と八ッ場大橋がある地点は、国の名勝・吾妻峡の上流端。10月9日撮影。

以下の写真4枚は10月10日撮影。

写真下=第三吾妻川橋梁と千歳新橋。上写真の吾妻峡の上流端で吾妻川右岸(川原湯地区)に渡った鉄道と国道は、川原湯温泉駅を過ぎると再び、吾妻川の左岸側(川原畑地区)に渡った。昔の街道は左岸側を通っていたというが、川原畑地区のこの区間は地盤がもろく、地すべりなどがあっため、交通路が川原湯地区を迂回するようになったという。

写真下=2002年まで、左手の空き地に、水没地区の子どもたちが通う長野原第一小学校があった。沈みつつある吾妻川沿いの旧国道は川原湯や川原畑の子どもたちの通学路であった。