「八ッ場ダム、今春稼働 胸の内、水に沈め再出発」(毎日新聞)

 八ッ場ダムは3月末に完成し、ダム事業は節目を迎えます。
 八ッ場ダム事業では、水没住民がダム湖周辺に大規模造成された代替地に集落ごとに集団移転することになっていましたが、代替地の整備が遅れ、分譲価格が高額であること、当初計画では2000年度に完了するはずだったダム事業が長引き地域の将来が見通せないことなどから、多くの住民が転出し、かつて地域経済の核であった川原湯温泉は衰退しました。
 以下の記事が紹介している、「完成を待ちわびていたわけじゃない。これからこの街がどうなっていくのか……」、「ダム完成は終わりではなく、生活再建のスタート」という住民の言葉から、現地の複雑な状況が伝わってきます。

 新聞サイトには、現地の写真特集が掲載されており、4分余の動画も見られます。

◆2020年3月28日 毎日新聞 東京夕刊
https://mainichi.jp/articles/20200328/dde/012/040/005000c
ー八ッ場ダム、今春稼働 胸の内、水に沈め再出発ー

 「完成を待ちわびていたわけじゃない。これからこの街がどうなっていくのか……」

水没した旧川原湯温泉で育ち、長く飲食店を営んできた水出耕一さん。ダム右岸に移住しオープンした「キッチン赤いえんとつ」命名の由来となったストーブの前で「ダム完成は終わりではなく、生活再建のスタート」と語る=20年3月

 群馬県長野原町に国が建設中の八ッ場(やんば)ダムが完成し、31日から運用を開始する。ダム水没地から代替地に移ってレストランを経営する水出(みずいで)耕一さん(65)は複雑な思いを語る。完成までに費やされた68年間で、地元住民は度々翻弄(ほんろう)されてきた。

 水没した旧川原湯地区に10歳から住み、温泉街で約30年、飲食店を営んだ。店は観光客のほか、夜には地元客でにぎわった。かつては飲食店が20店舗ほどあったが、代替地ではわずか3店舗。地区住民も最盛期の約200世帯から現在は約4分の1にまで減った。

 昨年10月1日、完成前の安全性確認のために水をためる作業「試験湛水(たんすい)」が始まった。3カ月以上かけて満水になる予定が、2週間後の台風19号に伴う記録的豪雨で最高水位に達した。ついこの間まで過ごした場所があっという間に水没したのを目の当たりにして、息をのんだという。

  1952年に建設計画が持ち上がって以来、地元住民は反対運動を続けたが、計画が止まらないことに疲弊し、2001年に国提示の補償基準に調印。その後、09年に民主党政権がダム建設中止方針を打ち出すも、結局、11年末に建設再開を決定する。この間、くしの歯が欠けるように住民が去って行く中、水出さんは迷った末、踏みとどまり、代替地へと移った。

 ダム湖の出現で変貌した地域と閑散とする新しい温泉街。生活再建への思いは切実だ。「ダム完成で終わりではない。移転前と同様に川原湯を盛り上げる『人』がほしい」と話す。

 だがその萌芽(ほうが)はある。創業360年の老舗旅館「山木館」の養子で15代目の樋田勇人さん(25)は新型コロナウイルス感染拡大で宿泊客が遠のく中でも奮闘。「ダムを巡るさまざまな歴史を乗り越えて、川原湯をPRしたい」。現在はレストランを経営し、4月末に新たな宿泊施設をオープンさせる予定の樋田省三さん(55)も「川原湯の若い世代を応援し、ともに頑張る」と意気込む。ダムと共存する温泉街の新たな歴史が始まる。<写真・藤井太郎 文・菊池陽南子>(すべて群馬県長野原町で撮影)