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集落水没でも犠牲者ゼロ 元船頭、未明の決断(熊本・人吉)

 相次ぐ洪水の発生で、各地で凄まじい水害が起きていますが、そうした中で地域の人々が自らの命を守ったケースが報道されています。
 どこにいても水害にあう可能性はあります。避難の状況、効果的な安全対策、水害の実相は、多くの教訓を私たちにもたらしてくれます。

◆2020年7月21日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200721/k00/00m/040/224000c
ー集落水没でも犠牲者ゼロ 元船頭、未明の決断 警報前に住民たたき起こす 熊本・人吉ー

 九州豪雨で球磨川が氾濫し、20人が亡くなった熊本県人吉市で、川を知り尽くした元ベテラン男性船頭の呼び掛けにより市の指示を待たず住民が水没前に避難して、人命被害を免れた地区があった。男性は、堤防が決壊した中神町大柿(おおかき)地区の町会長、一橋(いちはし)国広さん(76)。「川に生かされてきたが、球磨川に優しいイメージはない。自然を恐れ、危機意識を持たないといけない」と警告している。

 一橋さんは、日本三大急流の一つで「暴れ川」の異名を持つ球磨川名物、川下り船の船頭を2009年まで23年間務めた。記録的な豪雨が同県南部を襲っていた4日午前2時ごろ、勢いを増す雨脚に「降り方がおかしい」と感じた一橋さんは、地域の自主避難所となっている集会所に向かい、受け入れ準備を始めた。

 現役の船頭時代から増水時に川の水位を目視で測る習慣があったが、暗闇では見えず、川の水位観測データがリアルタイムで分かる国土交通省のサイトを確認した。すると、球磨川の水位は10分ごとに10センチ上昇し、3メートルを超えても同じペースで上がり続けていた。

 「これはただごとではない」。長年の経験からそう判断した一橋さんは、人吉市が全域に避難勧告を出す約1時間前の午前3時ごろ、呼び出した町内会の班長3人と手分けして、約50世帯70人が住む大柿地区全ての家を回り、住民をたたき起こした。時折稲光が闇夜を照らす雷雨の中、平屋の集会所では浸水が避けられないとみた一橋さんは、川の反対側にある市の指定緊急避難場所「中原コミュニティセンター」へ逃げるよう指示。同時に市の防災担当者に電話して近くの小学校も開放させた。

 大柿地区の竹細工職人、大柿長幸さん(68)は、家の窓ガラスをたたく激しい音と「避難しろ! 水が来るぞ!」と叫ぶ一橋さんの大声で目を覚ました。「鬼気迫る声色」のただならぬ様子に表へ出ると、既に水は駐車した車のタイヤの半分の高さに届き、見たことのない速さで増していた。車に飛び乗り、センターへ避難した。

 住民や自分の家族を避難させた後、一橋さんも「橋桁すれすれ」まで水が達した橋を車で対岸に渡り、センターへ逃げた。地区内の大部分が避難し終えたのは午前5時ごろ。市全域に避難指示が出たのは同15分だった。一部が逃げ遅れ、ボートなどで救助されたが、住民は全員無事だった。

 国交省九州地方整備局によると、大柿地区では球磨川左岸の堤防が約10メートルにわたって決壊した。豪雨当時の水位は一時、堤防より高かったとみられ、水没した同地区の田畑や住宅地側から川に向かって戻る大量の水により決壊した可能性があるという。

 センターに避難して難を逃れた大柿さんの自宅は、2階の天井近くまで水没した。球磨川流域でこれまで戦後最大とされてきた「昭和40年7月洪水」(1965年)の発生時の被害は20~30センチの床上浸水だった。大柿さんは「こんな被害は初めてだ。もし一橋さんが起こしてくれなかったら、私はここにいない」と声を震わせた。

 多くの住民が「町会長の判断のおかげ」と口をそろえる。だが、一橋さんは「皆の協力なくして全員を助けることはできなかった」と取り合わず、次の災害に備えて住民の緊急連絡先台帳の整備を進めながら、濁流にのまれた地区の復旧作業に奔走している。【中山敦貴】

—転載終わり—

上記の報道にある被災地(人吉市中神町大柿地区)の堤防決壊について、国交省OBが現地調査の結果を伝えています。

◆2020年7月29日 日経XTECH
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01360/00030/?n_cid=nbpnxt_twbn
ー見えてきた球磨川「逆越流」のメカニズム、気候変動時代の典型洪水かー
                        安田吾郎 一般財団法人水源地環境センター