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「洪水が起きたからダム」は危険 まず科学的な検証を(毎日新聞、矢上衆院議員インタビュー)

 7月の球磨川水害について、矢上雅義衆議院議員への詳しいインタビュー記事を紹介します。
 矢上議員は球磨川水害の被災地である熊本4区選出の国会議員(立憲民主党)です。矢上氏は現在は人吉市在住ですが、人吉市の上流にある相良村の出身で、相良村長を務めたこともあります。相良村は川辺川ダムの建設予定地であり、矢上氏は熊本県選出の議員の中でも、特に川辺川ダム問題と関わりの深い国会議員です。
 当会では、2007年11月に群馬県高崎市で開いた集会で、相良村長であった矢上氏にパネリストのお一人として川辺川ダム問題についてお話しいただいたことがあります。

◆2020年8月21日 毎日新聞 政治プレミア
https://mainichi.jp/premier/politics/articles/20200820/pol/00m/010/003000c
ー「洪水が起きたからダム」は危険 まず科学的な検証を 矢上雅義・衆院議員ー

 今回の熊本豪雨災害の特徴は、短期間の増水で被害が一気に拡大したことだ。災害時には地元の熊本県人吉市の球磨川沿いの自宅にいた。7月3日午後10時ごろから雨脚が強くなりだしたが、それほど異常だとは思わなかった。翌4日の午前2時ごろに上流の市房ダムのサイレンが聞こえて危険を感じ、その後は1時間おきにスマートフォンで球磨川の水位の写真と動画を撮った。

 河川の水位は、水害時でも上下を繰り返しながら徐々に上がっていくものだが、この時は階段を上るように一本調子であがっていった。

 午前5時ごろに消防団が回ってきて避難の呼びかけがあり、午前7時前ごろから自宅近くの堤防を水が越えはじめた。私はビジネスホテルを経営していて4階に住んでいるが、午前8時ごろには1階が80センチ程度、浸水した。自宅は球磨川沿いではあるが、比較的高いところにある。人吉市ではかつて「昭和40(1965)年7月洪水」という水害があったがその時も浸水はしなかった。このためその時点で相当な被害が出ていると想像できた。後で聞くと低地では4メートル80ぐらいまで浸水したところもあったという。2階に逃げても、胸まで水が来て、鴨居(かもい)にぶらさがって助けを待ったという話も聞いた。

 また堤防が決壊したところや沿岸部では、水の勢いが強く、建物が残っているのに1階部分の窓が全部抜けてなくなってしまい、家の中にいながら流された人もいた。

 堤防が決壊したためというより、堤防の高さが間に合わずに水が堤防を越えたというほうが実態に近い。これまでの長梅雨や台風では河川の水位があがるまでに時間があったので、実際に被害が出るころには公民館などに避難していることが多かった。しかし今回は急激だったために、集落に何人残り、何人が避難したかという実態把握も困難な状況だった。50年に1度ではなく、100年に1度の水害だったのではないか。

 また、コロナ禍の影響で県外からのボランティアを受け入れていないために、人手が決定的に不足している。たとえば球磨村では300世帯以上の被災家屋があるが、ボランティアを割り当てると1日に8世帯分ぐらいにしかならないという。夏であることもあり、泥の悪臭がすごい。さらにカビが発生していて、コロナでない一般の伝染病の流行も懸念されている。泥を家から出すことができないだけではなく、タンスや畳を家の外に出す人手もない。

 PCR検査を無料で実施して県外からボランティアを受け入れるか、ボランティアではなく県内の建設業者などに依頼するしかない状況だ。

川辺川ダムにからむ感情論
 球磨川が氾濫したために、球磨川水系の川辺川ダムの計画中止が注目されているが、「洪水が起きたからダムが必要」と即断するのは危険だ。

 今は直接ダムの賛否の議論をするべき時ではない。どのような降雨量によってどのように被害が出たのかということを科学的、客観的に検証することから始めるべきだ。ダムの賛否は表向きは治水論であっても、あまりにも大きなお金が関わるために、応援団がつきすぎて議論がおかしくなる。

 ダム建設は経済的な効果をもたらすから、地元にはダムが欲しい人がいる。熊本県の蒲島郁夫知事が進めてきた「ダムによらない治水対策」がなかなか進まないのは、協力しない市町村長がいるからだ。それはダム建設を求める建設業者に市町村長が恨まれたくないためだ。

 巨大工事は社会的な感情論を抜きにすることはできない。地元を知らない人はなんとかなると思うのかもしれないが、きれいにリセットしない限り、どうにもならない。

 今回の災害での球磨川の水位上昇を前提として治水を考えると、ダムを造るにしても河川改修をするにしても大規模な工事と時間がかかる。ならばその間はどうするのか、ということを考えたほうがいい。

 堤防のかさ上げにも限界がある。同じ町内、同じ生活圏内でかまわないので、住居を危険箇所から移転させる「立地の適正化」が必要だ。人口減少と高齢化で空き家、空き地、耕作放棄地が増えている。それを利用して堤防を引いて河川敷を広くとり、河川の断面積を広くすればいい。

地域の疲弊をどうするか
 今回、被害が大きかった球磨郡のような地域では一度被災したら集落は元には戻らない。仮設住宅が村外にできてそこに移ってしまうともう村には帰ってこない。高齢者といえども産業の担い手なので、村長にしてみれば、被災後の対策をすればするほど人が減り、村が疲弊するという一番つらいことになっている。

 もっとも見方を変えれば、現在の高齢化率から言えば災害がなくても5年後には同様の問題に直面していたはずだ。これは日本中で起きることだ。その地方にあった、人数が少なくても効率の良い農林水産業を地場で育成し、人を吸収する力をつけていくしかないと考えている。