川辺川ダム計画議論再燃 再び揺れる熊本・五木村 九州豪雨(毎日新聞)

 一旦は中止とされた国の川辺川ダム計画が7月4日の球磨川水害以降、復活の兆しを見せています。
 川辺川ダムの建設予定地は熊本県相良村、水没予定地は同県五木村になります。地元の状況を伝える、それぞれの村長へのインタビューなどを毎日新聞が続けて報道しています。
 八ッ場ダムの是非が注目された2009年の民主党政権下では、ダム事業の継続を求める地元自治体(群馬県長野原町)の有力者らの発言がしばしば報道されましたが、実際には地元自治体の意見がダム事業の行方に影響を与えることはあまりなく、地元は国や県の決めたことに従わざるを得ないことが殆どです。

◆2020年9月1日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20200901/k00/00m/040/197000c
ー川辺川ダム計画議論再燃 再び揺れる熊本・五木村 九州豪雨ー

 7月の九州豪雨で氾濫した球磨川の治水対策として、旧民主党政権時代に中止された川辺川ダム計画の議論が再燃し、水没予定地だった熊本県五木村が揺れている。1966年の計画浮上以降、村を挙げての反対運動が起こったが、洪水に苦しむ下流域のため一度は計画を受け入れた。半世紀以上にわたって国策に翻弄(ほんろう)されてきた住民たちは、2カ月前の豪雨被害をきっかけに再び持ち上がったダム計画の議論を固唾(かたず)をのんで見守っている。

 「観光施設もやっと軌道に乗ってきた。今になってまたダムと言われても……」。水没予定地の代わりに、国が村内の高台に造成した「頭地(とうじ)代替地」に2001年に移転した頭地地区区長の村口元吉さん(71)は困惑の表情を浮かべた。長らく村職員として住民の移転業務にも関わった村口さんは「苦渋の選択で住民が村の内外に出て行った。国がダム中止を決めた時には『ではなぜ私たちは出て行かなければならなかったのか』と嘆く住民もいた」と回顧する。
 
 川辺川は球磨川最大の支流で、ダムが建設されていれば村の中心部の大部分がダム湖に水没するはずだった。水没地最大の住民団体が国と補償基準を巡って妥結した81年時点の村の人口は約3300人。このうち約4割が移転対象となり、蒲島郁夫知事がダム計画の「白紙撤回」を表明した08年には約1400人にまで減っていた。

 09年に旧民主党政権がダム建設の中止を決定すると、村は残った住民の生活を立て直すため川辺川の豊かな自然を生かした観光振興に取り組むことにした。水没予定地を国から借り受けて15年以降、多目的広場や宿泊施設、バンジージャンプなどを整備し、08年に約13万人だった観光客は19年には約17万人まで増えた。だが、当初の計画通りにダムができれば、これらは水没することになる。

 ただ、ダムに関する住民の意見も一様ではない。ダム計画に伴う移転先で民宿を営む女性(69)は、工事中止で建設関係者が激減し、観光客の宿泊も期待したほど増えなかったと嘆き「住民の移転はもう終えている。ダムができることで下流域の被害が小さくなるならいいと思うが」と語る。

 水没予定地から86年に同県人吉市に移った土屋貴資(たかし)さん(83)は、今回の豪雨で自宅の床上40センチまで濁流が流れ込み、腰までつかりながら避難した。「ダム建設が中止になった時は『代々守ってきた土地を手放した意味はなかった』と言葉にできないほど腹が立った」と土屋さん。一方で「ダムができていればこれほどの水は来なかったのでは」とも思い、ダム建設への賛否は決めかねている。その上で言う。「国や県の判断一つで、人の暮らしが変わってしまう。じっくりと考えてもらわんと困る」

 五木村役場では1日、国と県、村の幹部らが村の振興策を話し合う会議が開かれた。ダムの中止決定後、定期的に続けてきた会議だが豪雨後は初めて。終了後取材に応じた村議会の岡本正議長(74)は「水没予定地を活用した、ダムによらない村づくりをしてきたのに、それをまた潰されては困る」と強調。「(ダム建設は)受け入れられない。下流は下流の事情があるかもしれないが、五木は五木の事情がある」とダム論議の再燃に不快感を示した。

 一方、木下丈二村長(61)は「下流域では大変な被災をしている。(国、県、流域自治体による)検証委員会を聞きながら、村としての考えをまとめていきたい」と述べるにとどめた。【城島勇人、平川昌範】

川辺川ダム
 川辺川ダム計画は熊本県相良(さがら)村に国が約2650億円をかけて建設する巨大な多目的ダム計画。村中心部の大部分がダム湖に水没する上流の五木村で住民が長年反対運動を繰り広げてきたが、1982年に受け入れに転じた。しかし、環境破壊への懸念などから下流域でも反対の声が広がり、旧民主党政権による中止決定につながった。

 その後、国と県、流域自治体は「ダムによらない治水対策」を協議してきたが、意見が折り合わず、抜本的な対策が講じられないまま7月4日に九州豪雨が発生。蒲島郁夫知事は8月26日の記者会見で球磨川の治水対策について「川辺川ダムも選択肢の一つ」との見解を述べた。

 一方、「五木の子守唄」でも知られる五木村はダム建設中止後も過疎化と人口減少が止まらず、2020年7月時点で1040人にまで減っている。

◆2020年9月2日 
https://mainichi.jp/articles/20200902/k00/00m/040/104000c
ー川辺川ダム再燃「早く穏やかな山村に」 水没予定地抱える熊本・五木村長ー

 7月の九州豪雨で氾濫した球磨川の治水対策について、熊本県の蒲島郁夫知事が「川辺川ダムも選択肢の一つ」と発言したことで波紋が広がっている。川辺川ダム計画で多くの住民が水没予定地からの移転を余儀なくされた同県五木村では、蒲島知事が2008年に計画の「白紙撤回」を表明後、水没予定地に施設を整備するなどして観光客誘致に取り組んできた。五木村の木下丈二村長(61)が1日、毎日新聞のインタビューに応じた。【聞き手・平川昌範、城島勇人】
 
 インタビュー概要は以下の通り。

「半世紀以上も右往左往」
 ――知事の発言をどう受け止めているか。

 ◆(8月25日に開かれた国と県、流域12市町村による豪雨被害の)第1回検証委員会で、県も国も数字をいろいろ出した。それを踏まえての発言と思う。もう一点は、検証委には、川辺川ダム建設促進協議会に加盟する流域12市町村がそろい、「川辺川ダムを含む抜本的な治水対策を講じるべきだ」との促進協の決議文を「総意」として会長が読み上げた。それもあって知事の発言があったかなと思う。

 ――五木村長として難しい立場だと思うが。

 ◆非常に難しい立場かと思う。元々、五木村が1996年にダム本体の着工に同意した時に作った村の振興計画ではダムを前提とした村づくりを目指していた。それに沿った形で進めている中で、08年に下流域の首長と知事が建設反対を表明し、09年に民主党政権が建設を中止した。その後12年くらい、村とすれば軸足をどっちに置いているかは微妙だが、とにかく村の現状を踏まえた中で振興をやってきたのは事実。これは止めることはできない。

 ――両方の立場を突き詰めると、水没地を利用できなくなるなど矛盾が生じる。どう整理するのか。

 ◆予断を持ったことは言えない。検証委の結果としてダムが必要だということになれば、どういうダムで、どれくらいのものでということを踏まえて、その時に判断することだと思う。

 ――慎重な発言だが。

 ◆66年にダムの話が始まって、半世紀以上もいろいろな流れの中で村は右往左往しながら振興をやってきた。人口流出、産業形態の変化、経済停滞という流れがあり、高齢化率も上がってくる。これから先を見据えた村づくりをやっていくわけだが、現状あるものについて振興をやっていくというスタンスになる。

 ――村長の発言によっては、村民の中にも異論が出る。

 ◆いろんな村民感情があってしかり。議会の対応も出てくると思う。とにかく検証結果が出ないと踏み込んだ発言は難しい。

年内の結論「当然かなと」
 ――国策で村がダムに沈むという苦難の歴史がある。ダムの要不要とは別に、何を考えてほしいか。

 ◆元々は戦後の電力不足の中でダム計画があった。村内で建設が計画された下頭地(しもとうじ)ダムには、村民こぞって反対した経緯がある。その中で63、64、65年と3年続いた大災害で、下流域を含めて治水ダム計画がスタートした。当然、流域はダム建設を望んでいるし、国、県も一緒だと思う。

 ――国策がコロコロ変わることで村民の暮らしが脅かされる。

 ◆いやあ、これだけは。(09年に民主党政権の前原誠司)国土交通相が村に来て「ダム中止」を言った。(ダム建設が)住民に対する国の約束事と捉えれば、軽々に(転換してしまう)大きなこういう事業のあり方というのは、どうかなと思った。しかしながら、こうやって人が暮らしているので、振興については前に向かって進んでいくというのが五木の姿勢だ。早く穏やかな一つの山村として暮らせる村になりたいというのが村民の思い。そういう状況を願っている。

 ――いつも下流の意向でダム建設が決まったり、白紙になったりする。今回も年内に検証結果が出る見通しだが、今後の方向性に、どれだけ五木村の声が反映できると思うか。

 ◆それはその時の社会の流れがそうなった。私たちは村の歴史の中でも重大な決断として、96年にダムの本体着工に同意した。それから20年近く紆余(うよ)曲折があった。毎年、小さい子も生まれて、高齢者も増えて、「村民がちゃんと暮らせるように滞りなくやっていこう」ということでこれまで取り組んできた。検証委の結果が示された時に、村民も含めて、私も議会もこれから先の振興については再度、いろんな方向から考えるべきだと思う。

 ――7月の豪雨から半年もしないうちに、ダムを巡る方向性が転換するかもしれない。スピードが速すぎないか。

 ◆下流域の皆さんにとっては、村や町の再生は治水の議論がセットでないとなかなか進められない。ハード整備も、鉄道も下流の商店街も、治水の議論とこれからの街づくりがセットでないと、議論に踏み込んでいけない。知事が検証委で年内に結論を出したいというのは当然かなと思う。

◆2020年9月3日 
https://mainichi.jp/articles/20200903/k00/00m/040/200000c
ー川辺川ダム議論再燃に不快感 元本体建設予定地の熊本・相良村長「まずは現実的対策を」ー

  九州豪雨で氾濫した球磨川の治水対策について、支流の川辺川ダム計画でダム本体の建設予定地だった熊本県相良村の吉松啓一村長(66)が2日、毎日新聞のインタビューに応じた。蒲島郁夫知事が2008年に計画の「白紙撤回」を表明した背景には、相良村の当時の徳田正臣村長らが建設に反対していたことがあった。20年3月に就任した吉松村長は、村が要望してきた堤防のかさ上げなどの対策が進まないままダム議論が再燃していることに不快感を示し、「まずは現実的対策を」と訴えた。【聞き手・平川昌範】

 ――村の被害状況は。

 ◆川辺川と球磨川本流との合流地点周辺で、特に大きな被害が出た。球磨川の水位が高くなり、川辺川の水が流れていかずにあふれる「バックウオーター」が起きたと見ている。堤防を越流し、水田や家屋、小学校も水につかった。多くのボランティアに来てもらい、非常に助かった。

 ――復旧について課題は。

 ◆(村の要望で実施されてきた)河川の掘削はだいぶ効果があったが、(県に)希望しても、できるのは一部だ。堤防のかさ上げは実施されていない。(地区を堤防で囲む)輪中堤(わじゅうてい)も議論されたが実現していない。下流では(川幅を広げる)引き堤や住居のかさ上げが進められているが、相良村では実施されておらず、遊水池もできていない。

 ――今回の災害を受け、蒲島知事が「川辺川ダムも選択肢の一つ」と発言した。

 ◆ダムがあれば効果があった、なかったという議論の前に、まず現実的なことをしてほしい。堤防のかさ上げや住宅のかさ上げ、遊水池の整備もしていないのにその先の議論はできない。今回の災害後も住民からは「堤防を上げていてくれれば」「河川掘削をしてくれていれば」といった声が寄せられている。川辺川の管理をしているのは国や県だ。(国と県、球磨川流域の12市町村による豪雨被害の)検証委員会では、こういった部分を検証してもらいたい。

 ――相良村は徳田前村長が08年に川辺川ダム反対を表明し、12市町村でつくる「川辺川ダム建設促進協議会」から一時脱退したが、今回の豪雨災害後に復帰した。促進協は8月、「県や国は川辺川ダム建設を含む抜本的な治水対策を講ずるべきだ」と決議した。

 ◆それは(12市町村)共同(での決議)だから。全体でどうだろうかという発案だ。住民から「促進協に入ってほしい」と言われ、状況を説明しなければいけない(ので復帰した)。やはりダム計画に(直接)関係のある自治体は慎重だ。

 ――過去2代の村長はダム計画に反対した。

 ◆それは個人(的な考え方から)でしょう。相良村は1963、64、65年に水害があり、「これじゃあだめだ」ということで、ダム推進を議会も議決し、村長も(建設の)要望書を出した。それがずっと続いている。蒲島知事や前村長が反対したのは政治的なものもあったんだろう。

 ――ダム計画では、隣の五木村だけでなく相良村でも60戸が移転を余儀なくされた。

 ◆移転して良かったのか、そのままが良かったのか、それぞれの考えがある。ダム計画が発表されてから約50年。長い。世代も、(生活)様式も、自然も変わっている。昔のものをどうこうではなくて、新しい起点で(今の)村民の意見を聞きながら村政を進めたい。

 (ダム計画への賛否が)はっきりしている人もいるだろうが、それ以外の人が大半だ。だから(国や県には)村民が望むことをしてもらいたい。それをせずに、その先の(ダム建設の)ことを言えば、村民は違和感を感じる。(ダムで)翻弄(ほんろう)するよりも、現実にできる対策を急いでもらいたい。急がないと国や県への信用はもうなくなってしまう。

 ――復旧への国の支援はどうか。

 ◆足りていない。村では橋が流失し、農地(の被害)も大変だ。大きな水路が3カ所崩壊した。ただ、人的被害が出なかった。住民が協力して避難したのが私たちの誇りだ。浸水した高齢者施設も非番の人が対応し、利用者たちは体育館に避難した。村の職員たちが農業も復興に向けて進めている。早く住民が安定した生活ができるように頑張りたい。

◆2020年9月7日
https://mainichi.jp/articles/20200907/k00/00m/040/168000c
ーダムに沈むはずだった熊本・五木村 豪雨で論議再燃 「決めたら約束守って」ー

 2009年に建設が中止になり、7月の九州豪雨を機に再び必要論が再燃している熊本県の川辺川ダム。計画通り建設されていれば、村の中心部の大半がダムの底に沈むはずだった五木村の水没予定地を、前村長の和田拓也さん(73)に案内してもらった。

 「5、4、3、2、1、キャー!」。若者たちが絶叫しながらバンジージャンプを楽しむ橋の下には、エメラルドグリーンの川辺川が静かに流れていた。「あそこは役場。あそこには傘屋。郵便局に駐在所に神社。私の家はあの辺りにありました」。橋の近くから水没予定地を見下ろしながら和田さんが指をさす。「子どもたちも多く、にぎやかでした」

 険しい山々に囲まれた五木村で人々は古くから木炭作りや焼き畑農業などを営んで暮らしてきた。今回の豪雨でも氾濫した下流の球磨川の治水対策として1966年に巨大ダム計画が浮上すると、存亡の危機に立たされた村民は猛反発した。だが、再三球磨川の水害に苦しめられてきた下流域の強い要望の下、82年、苦渋の思いで受け入れに転じる。当時の村民の半数近い約490世帯が移転を余儀なくされた。

 村はダムの完成を見据え、「湖畔」を売りにした親水公園や民家村などの計画を立てた。ところが、09年の計画中止で前提が崩れた。はしごを外された村が新たに模索した振興策が水没予定地の「暫定利活用」だった。九州唯一というバンジージャンプもその一つで、国が設置を許可した。

 19年4月には、村が建設した宿泊施設「渓流ヴィラITSUKI(いつき)」がオープン。川辺川沿いに広いウッドデッキ付きの宿泊棟が6棟並び、家族連れらに人気だ。新型コロナウイルスが感染拡大する中でも「密」にならず川遊びが楽しめるとあって、今夏は予約でいっぱいだった。

 ただし、ダム計画はあくまでも「中止」で、計画がなくなったわけではない。水没予定地も国有だ。和田さんによると、特別な手続きで村が利用しているが、ダム計画が再び動き出せば水没地となるため、移転可能な建物としなければならないなど制約も多い。一方、正式にダム計画が廃止されれば水没予定地は財務省の管理となり、これまでのように村が利用できるかどうかは不透明という。「いずれにしても、今は中ぶらりんになっているので、どちらかに決着せないかんのは確かなんです」

 ヴィラの先に生い茂る草木の間から廃屋がのぞいていた。「かつての集落の集会所です。ダムの反対集会や住民説明会が盛んに開かれました」。メインストリートだった集会所前の旧国道はそのままやぶに突き当たり、行き止まりになっていた。無縁墓、庚申塔(こうしんとう)、イチョウの木、小中学校のプール……。かつて集落があった跡があちこちに残る。

 多くの村民が移転した高台の「頭地(とうじ)代替地」を訪ねた。和田さんもここの住民だ。整然と並んだ住宅街には水路が張り巡らされ、涼しげな音を立てているが、和田さんは先祖から受け継いだ元の土地を懐かしむ。「昔は庭先同士で『こんにちは』って焼酎を持って隣に飲みに行ったり、魚が捕れりゃあ魚を持っていったり。今はなかなか……」

 ダム論議の再燃をどう思っているのか。「やむを得ないからいいよという人もいれば、今さらとんでもないという人もいるだろう。本当にいるのかいらないのか県や下流域も含めて十分議論してもらい、決めたけれども情勢が変わった、政権が変わったからまた変えた、ではたまったもんじゃない。決めたら約束を守ってほしい」【平川昌範】

川辺川ダム中止の経緯
 川辺川ダム計画が中止されたのはなぜなのか。元々は下流の球磨川の治水対策として計画が持ち上がり、1966年に旧建設省が建設を発表。最終的に治水に農業利水と発電を目的に加えた巨大な多目的ダム計画になり、76年当時に350億円だった建設費は98年には2650億円まで膨らんでいた。

 一方、減反政策で水田が減る中、農家は「水は足りているのに水代が増える」と反発した。農家側が国を相手に起こした訴訟で2003年に敗訴した農林水産省は利水事業から撤退。発電事業者も追随し、多目的ダム計画は頓挫した。国は治水専用ダムへの変更を模索したが、ダムなどの大型公共工事への風当たりは計画時よりも格段に強くなっていた。流域住民や自治体の反対を背景に蒲島郁夫知事が08年に「白紙撤回」を表明。「脱ダム」を掲げた旧民主党政権が翌年、中止を決めた。