「川原湯温泉(長野原町) ダム湖と共に舟出」(毎日新聞)

 毎日新聞が全国版と地方版と両面で川原湯温泉を取り上げています。
八ッ場ダムの必要性とは関係なく、水没地からダム湖に移転した川原湯温泉は、これから厳しい再生の道を歩んでいかなければなりません。八ッ場ダム湖周辺はダム事業により様々な観光施設が作られ、紅葉のこの時期はさながらテーマパークのような賑わいですが、もともと観光地だった川原湯温泉は旅館も店舗もダム建設前よりはるかに少なくなり、衰退に歯止めがかかっていません。

◆2020年11月4日 毎日新聞群馬版
https://mainichi.jp/articles/20201104/ddl/k10/040/031000c
ー川原湯温泉(長野原町) ダム湖と共に舟出ー

 「八ッ場」の混乱 乗り越え
 八ッ場を訪ねる。

 吾妻川沿いに走る長野街道は、時に取材で、時に家族連れでと何度も通った道の一つだ。沿道にある八ッ場周辺の光景ほど、通る度に変化していった場所を他に知らない。そしていま、ダムは巨大な姿を明らかにし、せき止められた水は「八ッ場あがつま湖」と名付けられている。

 かつて古風な温泉街だったと聞く川原湯は、いまは湖底に沈んだ。温泉の中心施設であった共同浴場「王湯」は2014年、集落の鎮守である川原湯神社は17年にダム湖の南岸に移り、川原湯温泉が新たな歩みを始めている。

 王湯とともに川原湯で名高かった「笹湯」はこの夏に再生した。「王」と「笹」は、いずれも遠い昔に川原湯の湯を楽しんだという源頼朝にちなんだ名乗りである。幕府を創始した王と、源家の紋所「笹リンドウ」に由来する。まさに川原湯の歴史を負った両湯といっていい。

 新たな笹湯は、8月にオープンした「川原湯温泉あそびの基地NOA」の中である。NOAは、ダム湖を軸にキャンプや屋外料理を楽しめるという「地域振興施設」だ。「そこに温泉も」というのは、川原湯では当然の発想だったに違いない。

 ただ、湯を何と名付けるかについては若干議論があったらしい。NOAという現代的な施設になじむ名を求める声も少なくなかったという。だが、地域に「川原湯には王湯だけでなく笹湯もなければ」との思いは強かった。新たな集落を築くにあたって、確かな手触りのあるものを残しておきたいという心情かもしれない。

 生まれ変わった笹湯は、ダム湖に向かって長辺を広げ、外光をふんだんに取り入れた建物の中にこんこんと湧く。川原湯伝統の掛け流しである。移転で源泉が変わったため、泉質はかつての湯と異なるそうだが、身を浸す喜びは不変だ。

 話をうかがったNOAの運営会社社長で、川原湯温泉協会会長も務める樋田省三さん(54)の名刺には「ダム湖と共に舟出する」とある。NOAの名には当然、生き物を大洪水から救ったノアの箱舟の意も込められている。騒乱を乗り越え、今後も川原湯で力強く生きていく決意の表れだ。

 ダム建設の是非をここで問うつもりはない。それは時が明らかにするだろうし、川原湯の人々が責めを負う話ではないからだ。この先、ダムは無用だったとの結論が出たとしても、翻弄(ほんろう)され、曲折を強いられた人々は後戻りできない。「むしろ過去を振り払い、新たな川原湯を築いていくんです」。笹湯の中で樋田さんの言葉をかみしめた。【高橋努】

 <メモ>
 川原湯温泉あそびの基地NOA「笹湯」(長野原町川原湯223の5、0279・82・5250)。含硫黄塩化物硫酸塩温泉。入浴時間10~20時。月曜定休。現在はコロナ対策のため、キャンプ場等利用者のみ入浴可。JR川原湯温泉駅に隣接。

◆2020年11月5日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20201105/dde/012/070/012000c
ー花谷寿人の体温計 ダムと生きる湯の町ー

 吾妻(あがつま)渓谷が紅葉に彩られた。

 渓谷沿いにかつて、ひなびた共同浴場があった。「ここはなくしてほしくないね」。いずれ消える温泉を今のうちに楽しもうというファンでにぎわい、そんな会話がかわされた。

 15年くらい前のことだったと思う。群馬県長野原町の川原湯温泉は「ダムに沈む温泉街」として全国から注目された。八ッ場(やんば)ダムの建設計画が理由だった。

 状況は変わる。2009年9月、自民党から政権を奪取した当時の民主党は無駄な公共事業の象徴として、建設途中だったダム工事の中止を打ち出した。

 しかし、その方針はほどなく撤回される。政治に翻弄(ほんろう)された町では建設の賛否をめぐって住民同士が対立し、深い傷痕が残る。
    ◇
 今年、ダムが完成した。久しぶりに訪ねた。新しい道の駅はにぎわっている。お好み焼きに似た「ダム焼き」という名物も売られていた。すっかり観光地だ。

 近くにダムの資料館がある。訪れた人たちがノートに感想をつづっていた。「八ッ場ダムありがとう」という言葉が多いことに驚く。昨年秋の台風19号で、下流の利根川水系で堤防決壊を免れたのは、ダムが大量の雨水をためてくれたおかげだというのだ。

 専門家には異論もあるが、八ッ場ダム礼賛は絶えない。建設をめぐり迷走した旧民主党を批判し、完成させた自民党政権を支持するネット世論とも重なる。近年、列島各地で自然災害が相次ぎ、ダムの必要論も再燃している。

 政治が生んだあの混乱は何だったのか。

 ダムが見渡せる場所に、「やんば見放台」という看板を掲げた展望台がつくられていた。観光客の車が次々と到着する。一人が展望台でつぶやいた。「完成したら、誰もが『よかった、よかった』になってしまうよなあ」

 安倍政権も終わり、政治は八ッ場ダム問題をすっかり忘れ去ったかのようだ。しかし、現地で暮らす人たちは傷痕を抱えながら、これからもダムと共に生きていかねばならない。

 ひなびた共同浴場は高台に再建され、真新しい日帰り温泉施設になっていた。少し硫黄臭のする熱めの湯は昔と変わらない。

 露天風呂から、集落が沈むダム湖の青い水面が見えた。(論説委員)

—転載終わり—

写真下=川原湯温泉が移転したダム湖畔の打越代替地。ダム堤(写真左側)と道路でつながることになっているが、まだ道路が開通していない。

写真下=川原湯温泉は扇型の金鶏山の麓にあった。温泉街のあった所に町道の橋脚が建てられた。