八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

聖火が八ッ場ダムに来た日

 3月31日、東京オリンピックの聖火リレーが八ッ場ダムの湖畔にやってきました。
 延期された昨年は4月1日に予定されていましたから、実現すれば八ッ場ダムの運用が開始された日に重なるはずでした。

 聖火リレーのコースは、スタート地点が川原湯温泉の湯かけ広場で、ダム湖に架かる八ッ場大橋を渡り、対岸の川原畑住民センターがゴール地点でした。歩いても10分余の距離ですが、5人のランナーが引き継ぎ、アトラクションもあったため27分かけて行われました。
写真右=スタート地点となった川原湯温泉・湯かけ広場周辺。

写真下=手前が川原畑地区の代替地。対岸が温泉のある川原湯地区の代替地。

 川原湯地区と川原畑地区は八ッ場ダムによって集落すべてが水没し、地区内に残った住民は周辺の山を切り開いて造成された代替地に移転しました。聖火リレーは、両地区の代替地で行われました。
 住民がダム計画を受け入れた当初は、2000年度にダム完成の予定でしたが、関連工事の遅れによりダムの完成が遅れ、代替地への移転も川原畑地区で2007年、川原湯地区で2008年にようやく始まりました。この間、住民の多くが地区外に転出。代替地へ移転したのは川原畑20世帯足らず、川原湯40世帯足らずです。ダム受け入れ前の両地区の世帯数(1979年、群馬県調べ)は280世帯。代替地は移転住民の激減により、空き地や公園が目立ちます。

 コロナ禍が一向に収束しない中での聖火リレーには賛否があり、特に観客が“密”になることが問題視されています。
 このコースでは、最終ランナーに東吾妻町出身の俳優、町田啓太さんが登場したため、早い時間帯から若い女性ファンが大勢かけつけました。観客席は確かに“密”ではありましたが、周辺に広大な土地とダム湖が広がっていますので、全体から見れば一部の賑わいでした。上空では複数のヘリコプターが旋回し、遠くからは警備の車列ばかりが目立ちました。

写真下=川原畑地区代替地に新しく整備された「温井沢(ぬくいさわ)桜公園」。聖火リレーのゴール地点は沢埋め盛土による造成地。公山奥に伸びている沢は園や駐車場として整備されている。この日は観光客や報道の車が駐車場を利用。ダム湖は公園を下った写真奥にある。

 年度末のこの日、川原湯や川原畑の児童の通う長野原第一小学校が111年の歴史を閉じました。2002年に林地区の代替地に代替地移転第一号として新校舎が建てられてからわずか19年でした。

 聖火リレーのスタート地点となった川原湯地区では、JR川原湯温泉駅が4月1日から無人駅となりました。
 水没地にあった川原湯温泉駅は2014年に代替地へ移転。利用客の減少に歯止めがかからず、2017年には東京・上野駅発の特急草津が停車しなくなり、その後は駅員もJRではなく長野原町が雇用していました。
 小学校の閉校も川原湯温泉駅の無人化も、ダム事業が終わった長野原町の厳しい財政事情を反映しています。
 密と疎が交錯するダム湖周辺。報道では明るい話題にのみスポットがあたります。

◆2021年4月1日 上毛新聞 (紙面より一部転載)
https://www.jomo-news.co.jp/news/gunma/society/284397
ー群馬県聖火リレー走り切る 2日目は8市町村82人がつなぐ 希望のともしびは長野へー

 東京五輪の群馬県内の聖火リレーは31日、渋川市の伊香保温泉・石段街から再開し、本県最終地点となる高崎市のGメッセ群馬まで8市町村で、82人が聖火をつないだ。30日から2日間、本県ゆかりのランナー計173人が15市町村の約35キロを走り切り、希望のともしびは次の長野県へ託された。聖火は全国を巡った後、7月23日に東京都の国立競技場で開かれる五輪開会式で聖火台にともされる。(中略)

観光地に元気呼ぶ 聖火リレー県内2日目 名湯、富岡製糸場、八ッ場ダム・・・
 2日目を迎えた聖火リレーは31日、多くの観光客がある北毛地域や西毛地域を巡った。新型コロナウイルスの影響で苦境が続いてきた県内の観光産業。東京など4都県の緊急事態宣言が解除され、県の「愛郷ぐんまプロジェクト」第2弾も始まり、ようやく息を吹き返しつつある。各地の関係者は「聖火が明るい兆しになってほしい」と願いを込めた。

東京へ高まる期待 長野原一小14人 閉校の児童 共に走る 

 長野原町の聖火リレーには、31日で閉校した長野原一小の児童14人が第1走者のサポートランナーとして参加した。八ツ場ダム建設に伴い水没地区から高台に移転した川原湯温泉湯かけ広場のミニセレブレーション会場から、約100メートルを元気に走った。

 第1走者でスキーノルディック複合選手の小林朔太郎さん(20)=慶応大、長野原高卒=の後に児童が続いた。

 この日は、八ツ場ダムの水没地区にあった旧木造校舎と、高台の新校舎での計111年間の最終日。ダム建設に翻弄されて児童数の減少に拍車が掛かり、移転後わずか19年での閉校となった。

 長野原東中に進学する金子蓮矢君(12)は「小学校にはいろんな歴史があり、さみしい気持ちもあるが、(聖火リレーが)すごくいい思い出になった」と感慨深い様子だった。

 新学期からは5年生として新生校「長野原中央小」に通う八木昴志君(10)は「学校がなくなるのは悲しいけど、聖火ランナーと一緒に走っていい思い出ができた。いっぱい友達をつくりたい」と話し、新しい学校生活への期待をにじませた。

 ミニセレブレーションの開会前には同校児童を含む24人の長野原ジュニアダンスクラブのメンバーが「パプリカ」を踊り、会場を盛り上げた。(関坂典生)