「脱ダム」で凍結12年 淀川水系ダムが着工へ動き出した理由

 2000年代に一旦は中止とされた国直轄の大戸川ダム事業が再び動き出しています。
 きっかけは、大戸川ダムの建設予定地がある滋賀県の三日月大造知事が、2018年の知事選で自民党の支援を受けるためにダム建設推進に方針転換したことでした。
 滋賀県では、環境問題に取り組んできた嘉田由紀子前知事が、大戸川ダムが治水上ほとんど役に立たないことを把握し、国に先んじて流域治水を進めてきました。大戸川ダム事業の多額の負担金を支払う大阪府、京都府も巻き込み、当時の国交省近畿地方整備局と連携して、できるだけダムに頼らない治水を目指す「淀川方式」が注目されましたが、現在では淀川流域でも河川行政は後退に次ぐ後退という状況です。
 国交省近畿地方整備局の河川部長として、淀川方式を進めた宮本さんを取り上げた記事も、あわせて紹介します。

◆2021年5月31日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20210531/ddg/041/010/004000c
ー滋賀・大戸川ダム計画、凍結12年 豪雨多発考慮、再始動 治水効果>環境・コストー

 国が2009年に淀川水系・大戸川(だいどがわ)ダム(大津市)の建設計画を凍結して12年。各地で豪雨災害が相次ぐ中、凍結を求めていた滋賀、大阪などの流域自治体が建設を容認する姿勢に転じた。「環境を破壊する行為で、税金のムダ遣いだ」と脱ダム路線を敷いた嘉田由紀子・前滋賀県知事らの反対も残る中、国は4月、建設を明記した計画変更案の最終案を公表、着工に向けて再び動き出した。その背景には何があったのか。

 「良い方向に向かっている。このままダムを造ってもらいたい」。水没予定地の大鳥居地区から集団移転した住民で作る大鳥居地域開発協議会の谷一広会長(67)は話す。国土交通省近畿地方整備局(近畿地整)によると、大鳥居地区を中心に55戸約200人が1998年までに移転を完了した。谷会長は「ダムがあれば人の命が助かり、財産が守れると言うので移転した。災害が起きてからでは何のために移転したのか分からない。計画が二転三転するのは最後にしてほしい」と訴える。

 大戸川ダムは68年、治水、利水、発電の多目的ダムとして近畿地整が建設を計画したが、2003年に近畿地整の諮問機関・淀川水系流域委員会が環境重視の姿勢から「原則建設しない」と提言、05年に国が建設計画を凍結した。06年にはダム凍結を公約にした嘉田氏が滋賀県知事に初当選。国は07年、治水専用ダムに計画を変更するとして凍結を撤回したが、08年に嘉田知事や「税金のムダ撲滅」を掲げる橋下徹・元大阪府知事が京都、三重の両府県知事とともに「施策の優先順位が低い」として建設凍結を求める共同見解を公表したため、09年に国が再び凍結を決めた。

 しかし近年、大規模災害が各地で相次いだ。淀川水系では13年の台風18号で戦後最大級の水量が流れ込み、流域自治体で甚大な被害が発生。全国でも18年に西日本豪雨、19年に東日本台風、20年に九州豪雨と頻発。熊本県の蒲島郁夫知事は同年、豪雨で球磨川が氾濫し多数の住民が犠牲になったため、旧民主党政権が09年に中止した川辺川ダムの建設を容認する方針を明らかにした。

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 大戸川ダムが着工に向けて動き出した背景には、14年の滋賀県知事選で嘉田氏の後継として初当選した三日月大造氏の方針転換があった。近畿地整は16年、コストや環境影響などを検討した結果、「ダム建設がそれ以外の治水対策より有利」とする評価案を公表し、17年には県議会が早期にダムを整備するよう求める決議をした。こうした状況を受け、三日月知事は全国で豪雨が相次いでいることも踏まえ、18年に大戸川ダムの効果を検証する勉強会を設置。勉強会は氾濫の抑制などダムの効果を認める報告をまとめ、滋賀県は19年、建設を容認する方針に転換した。

 同県とともに事業費を一部負担する大阪府と京都府は建設に慎重な姿勢を崩さなかったが、近畿地整は20年7月、13年の台風18号と同じクラスの災害が発生した場合、大阪で約10兆円、京都で約3兆円の経済被害が出るとの試算を提示。その後、大阪府と京都府はそれぞれ審議会や有識者会議がダムの治水効果を認める結論を出したことを受け、「命や財産を守る大きな効果があるなら前向きに検討したい」(大阪府の吉村洋文知事)、「議論の俎上(そじょう)に載せてもよい」(京都府の西脇隆俊知事)と容認する考えを示した。

 これを受けて近畿地整は21年2月、滋賀、大阪、京都に奈良、兵庫、三重を加えた6府県と調整会議を開き、計画の変更手続きを進めることで一致。3月には滋賀、大阪、京都の3府県で住民公聴会を開き、今後6府県知事の意見を確認して計画を正式に変更する。近畿地整によると計画変更後、詳細な地質調査や設計などを行うのに4年、ダム工事の着手から完成までさらに8年ほどかかる見通しという。【諸隈美紗稀】

■ことば 大戸川ダム
 滋賀県南部を流れる淀川水系の大戸川で国が計画する治水専用ダム。総事業費は約1080億円で、国が7割、大阪、京都、滋賀の3府県が3割を負担する。3府県の分担は氾濫が生じた場合に影響を受ける面積などにより、大阪が約58%、京都が約40%、滋賀が約3%――となっている。

◆2021年6月1日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASP506GKBP5NPTIL03N.html
ー脱ダム訴えた元官僚、職人への転身 桶づくりに思い込めー

 ダム建設を進めてきた国土交通省の元官僚が、桶(おけ)づくりの職人に転身した。森を切り開いてきた立場から一転、木のぬくもりに魅せられ、「ダムだけに頼っては人の命を守れない」と訴え続けている。

 近畿地方整備局の河川部長や本省の防災課長を務めた京都市下京区の宮本博司さん(68)。2006年に早期退職し、実家の梱包(こんぽう)資材業を継いだ。

 翌年から木の桶づくりを始めて15年。会社の隣に建てた小さな工房で、早朝や週末に木と向き合う。木肌にかんなをかける手つきは慣れたものだ。

 「ダムと桶。思えば、水をためるものをずっとつくり続けてるんだなって」

 官僚時代、苫田ダム(岡山県)や長良川河口堰(かこうぜき)(三重県)の現地所長を務めるなど、多くのダム計画に関わってきた。水没地区の住民は移住を強いられ、計画への賛成派と反対派に分断された。それぞれに悩み苦しむ姿を見て「このままダムをつくり続けていいのか」との思いが募った。

 転機になったのは、河川整備計画への「住民意見の反映」が盛り込まれた1997年の河川法改正だ。これを受け、淀川河川事務所長だった2001年、住民参加で川づくりを進める「淀川水系流域委員会」を発足させた。

 国交省を06年に退職した後、公募で委員となり、委員長に就いた。08年に流域の四つのダムについて、「ダム以外の治水策が十分検討されていない」などとして「不適切」とする意見書をまとめた。大戸川ダム(大津市)は、流域4府県(大阪、京都、滋賀、三重)の知事が反対を表明し、09年に計画が凍結された。

 宮本さんが桶づくりを始めたのはちょうど委員長の頃だ。家業はポリ容器や緩衝材などの卸業。商売には何か付加価値が必要と、思いついたのが明治初めの創業時につくっていた桶や樽(たる)の復活だった。

 さっそく職人を探したものの見つからない。官僚時代の上司に相談すると、「それなら自分でつくったらええやん」。

 すでに50代半ば。京都市内の桶職人に「死ぬまでに一つもできへんでもいい」と頼み込んで教えを請うた。のこぎりが引くときに切れることも知らず、最初の一つを完成させるまで2年かかった。自信作ができても、師匠の職人は「形にはなってるけど、凜(りん)としてないなあ」と手厳しい。それでも、桶に向き合うのは楽しかった。

 「委員会では治水のあり方を真剣に議論し、疲れもストレスもあった。それが、家に戻って木に触れていると不思議に癒やされた」と話す。

 「脱ダム」の流れはここ数年、向かい風にさらされる。大きな被害をもたらす水害が各地で相次ぎ、「ダムがあったら防げたのではないか」と必要性を見直す声が広がる。

 昨年11月、熊本県の蒲島郁夫知事は「白紙撤回」した川辺川ダムの建設を容認する考えを表明。大戸川ダムも流域の知事らが認めたり、検討したりする意向を示し、凍結から12年で計画が再び前に進もうとしている。

 宮本さんは意外だった。「東日本大震災や最近の水害で、想定を超えた津波や洪水をコンクリートの構造物で抑え込めないと思い知ったはずなのに」

 治水ダムは一定量の雨が堤防からあふれないように計画をつくる。しかし、想定外の雨では緊急放流などで危険を招く可能性もある。「ダムができれば大丈夫という考えが広がり、他の治水対策がおろそかになるのでは」と心配する。

 今年3月、流域委員会の元メンバーがオンラインのフォーラムを催した。参加した宮本さんが唱えたのは、森林の保全や堤防の強化、リスクの低い地域への住宅移転といった「流域治水」の考え方だ。「たとえ川から水があふれたとしても命を守るのが治水。そのためには川に水を閉じ込める従来の方策ではなく、流域全体での治水に変わらねば」と呼びかけた。

 官僚から桶職人へ。「大きく変わった自分だからこそ、ダムだけに頼らない治水への転換を説得力をもって訴えられる」。最近、そう思うようになった。

 宮本さんがつくる桶やおひつは、老舗料理屋や旅館から注文が舞い込むほどになった。5月、家業の社長は長男に譲った。桶づくりにいっそう専念する。(新井正之)