本明川ダム工期8年延長 総事業費230億円増 国交省が変更案

 国土交通省は長崎県諫早市で本明川(ほんみょうがわ)ダム事業を進めています。
 本明川ダム建設事業は1994年に開始されましたが、事業は遅々として進んでいません。2018年にようやく関連道路の工事が始まり、完成予定年度は2024年度とされていましたが、いまだに本体工事着手には至っていません。

 今月4日、国土交通省は学識者懇談会で本明川ダムの事業評価を行い、同ダムの完成を8年延長して2032年度とし、事業費も500億円から730億円へと230億円増額することを明らかにしました。

 国土交通省長崎河川国道事務所のホームページに、6月4日の学識者懇談会における本明川ダムの事業評価に関する資料が掲載されています。
 新たな工期(案)によれば、関連工事の道路事業の完了は2023年度が予定されており、本体工事は2024年度から開始されることになっています。

 国交省長崎河川国道事務所HP 本明川学識者懇談会
 令和3年6月4日 開催 本明川直轄河川改修事業及び本明川ダム建設事業の事業再評価に係わる説明 資料ー2
 http://www.qsr.mlit.go.jp/nagasaki/site_files/file/03%20siryou2.pdf


 事業評価は本来は、学識者が事業内容や進捗状況を精査して、場合によっては事業中止の意見を事業者に勧告することで社会状況に合わなくなった公共事業を見直すことを目的としていますが、わが国のダム行政においては、事業者が提示した議題と結論を「学識者」が追認する形式にすぎません。

 本明川ダムはもともとは、長崎県南部広域水道企業団の水源開発も目的とした利水治水兼用の多目的ダムでしたが、2013年、同企業団が事業から撤退したため、規模を縮小した治水ダムに変更されました。長崎県南部広域水道企業団の撤退は、長崎市水道が水需要予測の見直しで同企業団から撤退し、同企業団が解散することになったからです。

 諫早市では本明川ダムと治水目的を同じくする国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防が1999年に完成しました。しかし、国交省は干拓事業を行った農水省とは協議を行わず、治水上必要だという主張を変えずに事業を推進してきました。(このページに転載している西日本新聞の記事「諫早で本明川ダム着工 治水、諫干と分担不明確 防災“御旗”の縦割り行政 」をご参照ください。)

◆2021年6月5日 毎日新聞長崎版
https://mainichi.jp/articles/20210605/ddl/k42/040/471000c
ー本明川ダム完成8年遅れ 32年度に 総事業費も230億円増ー

 国土交通省長崎河川国道事務所は4日、諫早市に建設中の本明川ダムの完成時期が当初の計画より8年遅れて2032年度にずれ込むと明らかにした。総事業費も230億円増の730億円に膨らむ見通し。

 同日開かれた今年度の学識者懇談会で報告し、承認された。工事用道路の施工計画変更や、働き方改革に伴う作業員の労働時間短縮が要因という。

 本明川ダムは1957年の諫早大水害級の水害から市街地を守るため建設を開始。16年の計画では24年度に完成予定だった。同事務所は「今後の技術進展などで1日でも早い完成に努めたい」としている。【杉山恵一】

◆2021年6月5日 長崎新聞
https://nordot.app/773733641465167872?c=39546741839462401
ー本明川ダム工期8年延長 総事業費も230億円増 国交省が変更案ー

 国が長崎県諫早市に計画する本明川ダムについて、国土交通省長崎河川国道事務所は4日、2024年度までとしていた工期を32年度まで8年延長する変更案を示した。付け替え道路の施工計画見直しなどが理由。工期延伸や事業進ちょくで判明した施工量の増加などで総事業費も現計画の約500億円から約730億円へ230億円膨らむ見通し。同日、市内で開かれた本明川学識者懇談会(夛田彰秀委員長、7人)で説明し、事業を再評価する同懇談会は事業継続を了承した。
 洪水調節など治水を目的とした同ダムは本明川上流の富川、上大渡野両町の一部に計画。総貯水容量620万立方メートル。完成後は1957年の諫早大水害相当の集中豪雨に対応できる機能を持つ。
 同事務所によると、当初はダム本体関連工事に支障が出る部分だけ先に迂(う)回路工事をし、その後、本体関連工事と並行して県道などの付け替え工事を実施する予定だった。だが、周辺に約70戸の家屋が残るため、工事中の一般交通の安全確保や騒音対策などについて最大限配慮する形で見直した。地元からも地域の実情を踏まえた整備を進めてほしいとの要望があったという。
 また、事業進ちょくに伴い、基礎掘削の施工量が約16万立方メートルから約32万立方メートルに増加することなどが判明。社会情勢の変化(作業員の働き方改革)も踏まえた。工事単価の見直し、消費税増税など社会的要因の変更も加わり、総事業費も膨らむ見通しという。
 工期などの見直しに伴い、本体工事の着手は24年度にずれ込む。堤高も約55.5メートルから約60メートルに変更する。今後、本省で正式決定する運び。同懇談会では「8年は長い」との指摘が上がった。同事務所は「残業を前提とした発注は今の時代できない。なるべく工期を短縮することができないかということを念頭に置いていきたい」とした。

〈参考記事〉
◆2018年4月22日 西日本新聞
https://www.nishinippon.co.jp/nnp/nagasaki/article/410467/
ー諫早で本明川ダム着工 治水、諫干と分担不明確 防災“御旗”の縦割り行政 [長崎県]ー

 諫早市を流れる本明川の上流で3月下旬、国直轄の本明川ダムが本格着工した。総事業費500億円。1957年の諫早大水害規模の洪水に耐えうる治水を目的に83年に検討が始まったが、その後、河口では同じ目的を掲げた国営諫早湾干拓事業の潮受け堤防も完成している。経緯をたどると、住民が反対の声を上げにくい防災を前面に掲げ、国の「縦割り」で進む公共事業の実態も浮かぶ。

 巨額の公共事業計画を先に打ち出したのは農林水産省だった。水資源確保などを目的に諫早湾を堤防で閉めきる「長崎南部地域総合開発計画」が漁業者の反対で中止に追い込まれた同省は82年、規模を縮小し、高潮洪水対策を主目的にした現在の諫早湾干拓事業の実施を発表。その翌年に建設省(現在の国土交通省)が本明川ダムの予備調査に着手した。

 本明川が国の直轄となったのは全国109の1級河川の中で最も遅い。諫早市内で死者・行方不明者630人の惨事となった諫早大水害の翌58年に県から国に管理が移され、建設省は「80年に1度」の洪水を想定した河川拡幅や堤防かさ上げなどの改修工事を進めていた。

 同省がダムの予備調査に着手した当時、諫早市の土木課長だった伊藤秀敏さん(79)は「市も多くの市民も、本明川の洪水対策は河川改修で終わったと思っていた」と振り返る。大水害から四半世紀後にダム計画が浮上したのはなぜか。国は「82年7月の長崎大水害で本明川流域で死者3人などの被害が発生したため」(長崎河川国道事務所)と説明するが、この時の上流の雨量は諫早大水害時を上回っていない。

 建設省は91年に本明川水系の整備方針となる工事実施基本計画を改定。洪水の想定を他の1級河川並みの「100年に1度」と設定し、上流で1秒間あたり260立方メートル流量の洪水調節が必要とした。この調節施設として正式に位置づけられたのが本明川ダムだ。

 潮受け堤防は総事業費1527億円をかけて99年に完成。農水省は諫早湾を閉めきった調整池の水位を低く保つことで排水能力が高まり、満潮時に海水がさかのぼることもなくなったため「本明川の治水が強化された」と説明する。一方、国交省は「堤防の防災機能は干拓地周辺の高潮対策で、本明川の河川整備に影響しない」(同)。同省は2005年策定の新たな河川整備計画で上流での洪水調節が必要な流量を290立方メートルに引き上げたが、農水省との協議は「行っていない」という。
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 本明川ダムは10年、公共事業の見直しを進めた民主党政権で再検証の対象となった。この時に当初の目的のひとつだった「利水」が外れて規模が縮小されたが、ダム建設の根拠となった洪水調節流量は検証されていない。国交省が「河川整備計画の目標達成を基本にする」と議論に“縛り”をかけたためだ。

 検証メンバーは九州地方整備局長と知事、諫早市長。いわば“身内”で固めた会議は自公政権となった13年に計3回開かれ、事業の継続を決めた。この間に開かれた有識者への意見聴取でダム案に反対した森泰一郎・元長崎ウエスレヤン大学長は、今も国の姿勢に疑問を投げかける。

 「市民は防災のためならばと、自然破壊を伴う諫早湾干拓を受け入れた。本明川全体の治水を考えるならば“後出し”のダムは堤防とセットで必要性を議論すべきだった。だが国交省は『諫干は関係ない』の一点張りだった」

 ダム建設は環境アセスメント公告(14年)、水没地権者らとの損失補償基準協定書調印(17年)などの手続きを経て、今年2月に最初の工事となる道路付け替えが起工。完成は24年度を見込んでいる。

「過疎集落、苦渋のダム容認 諫早市富川、上大渡野の水没予定地 「建設見越し耕作放棄」」

 本明川ダムが建設される諫早市富川町、上大渡野町は市北部の山間地。本明川と支流沿いに集落が点在し、水没予定地には現在、21世帯が暮らす。

 「限界集落も通り越した過疎状態ですよ、ここは」。水没予定地に住む宮本幸治さん(57)は農作業の手を休めて自嘲気味に語った。周囲には田畑が広がるが「ダム建設を見越して後継者がいなくなり、ほとんどが耕作放棄地」という。集落ではかつてミカン栽培が盛んだったが、生産者の減少とともにイノシシの被害も増え、宮本さんも7、8年前から手を付けていない。ダム建設予定地の下流にある畑も工事が始まれば水路が閉じられるため、作付けは今年限りの予定だ。

 ダム建設計画が浮上した1983年以降、地元では諫早大水害の記憶が生々しかったこともあり、反対運動はこれまで起きていない。地権者や周辺住民でつくる対策協議会の会員数は現在159人。会長の藤山徳二さん(70)は「民主党政権が脱ダムを打ち出したときは『ひょっとして中止になるのでは』と心配した。住民は苦渋の決断でダムを受け入れたので、国は地域振興策をきちんとした上ですみやかに事業を進めてほしい」と話す。

 本体工事に向けて国が今年2月に付け替えに着手した県道は、江戸時代の水害犠牲者を慰霊するため岩肌に彫られた五百羅漢像で知られる富川渓谷に通じる。「付け替えで県道が拡幅されるため、観光客数のアップにつながる」と長崎河川国道事務所。一方、近くでスイトウを栽培する小野勤さん(88)は「ダム湖ができると周辺の気温が下がり、作物に影響しないか心配」と顔を曇らせた。