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ダム湖観光の宿泊施設だったホテルの廃墟、火災でも撤去困難

 廃墟となっている旧・ホテル藤原郷(群馬県みなかみ町)で先月17日、火事がありました。地元紙では翌日この火事を報道しましたが、今朝の紙面でこの火災が再び取り上げられています。

 みなかみ町藤原には利根川水系の国の巨大ダムが3基あります。その中で最も古い藤原ダムは1957年に完成しました。ホテル藤原郷は1959年、藤原ダムの水没住民組織である藤原ダム建設対策期成同盟の委員長だった林賢二氏が創業しました。
 藤原ダムの上流には、その後、矢木沢ダム、奈良俣ダムが完成し、ホテル藤原郷はダム観光の宿泊施設として賑わいました。しかし、65年が経過した藤原ダムは水が濁り、ダム湖周辺にはホテル跡など廃屋となった商業施設が残るのみです。

 国会議事録を見ると、1954年8月12日の建設委員会河川に関する小委員会において、林賢二氏が全国の他のダムの水没住民代表者と共に、藤原ダムの水没補償、生活再建の問題について意見を述べている内容を読むことができます。
 水没戸数220戸を数えた藤原ダムでは、水没住民の多くが故郷を後にせざるを得ず、現地再建の成功例であったホテルも半世紀で廃業となりました。
 
  

◆2022年7月20日 上毛新聞
https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/147944
ー「心霊スポット」の廃ホテルが火災 治安や景観に悪影響でも撤去は困難 自治体は対策苦慮《ニュース追跡》ー

 6月中旬に火災があったみなかみ町の廃ホテルは、インターネット上で心霊スポットと紹介され不法侵入が相次ぎ、住民が不安視していた。こうした廃墟化した大型建築物は治安や景観に悪影響を与える一方、撤去には高額な費用が必要な上、所有者や管理者が分かりづらい場合もあり、自治体の悩みの種になっている。

 火災があったのは旧ホテル藤原郷(同町藤原)。鉄筋コンクリート3階建ての一部が燃え、けが人はいなかった。帝国データバンクによると、運営会社は団体客やスキー客の減少などで2007年に事業停止した。沼田署によると、現在の管理者は不明で出火原因も調査中という。

 ホテル跡は窓ガラスが割れ、外壁には落書きがあり、内部は壊れた家具類が散乱。こうした雰囲気からネット上には若者が肝試しで内部に立ち入り、面白おかしく紹介する動画が数多く投稿されている。近くの女性(78)は、「石で窓を割る人を見たことがある。再び火災が起きなければ良いが」と不安を口にした。

 バブル崩壊後、各地で大型宿泊施設の廃業が相次ぎ、同様の問題が起きている。栃木県日光市の鬼怒川温泉も市が昨年、地元大学と共同で管理者不在のホテルを調査したところ、3軒に不法侵入の痕跡があった。
 市は応急措置として入り口などをベニヤ板でふさいだが、担当者は「不法侵入は犯罪」と憤る。負の側面ばかりがSNS上で拡散され「風評被害につながりかねない」と懸念を示す。

 みなかみ町も対策に乗り出している。民間企業などと連携し、町内観光地の高付加価値化に取り組む一環として、旧一葉亭など宿泊施設3か所の撤去を進めている。国の補助事業として、宿泊施設1軒当たり最大1億円の補助金が支給される予定で、本年度中の撤去を目指す。
 ただ、3カ所と違って旧藤原郷は所有者が明確でなく、同じ手段が使えないという。町は「自然豊かな町を掲げているのに廃屋は自然と調和が取れず、町の価値を下げてしまう。だが、土地や建物に抵当権が設定されている場合があり、手を出すと債権者とトラブルになる可能性もあって対策が難しい」と頭を抱える。

施設管理に詳しい前橋工科大学工学部の堤洋樹准教授は、廃虚化した建物について「安全面の不安や危険性が高まることに加え、周辺環境にも悪影響が波及し、観光客にとって地域全体の魅力が減少する」と指摘。「対策に正解はなく、ケースバイケース。特定空家と同様に対応は難しいが、放置するほど問題が大きくなるため、早めの対策が必要」と強調している。

◆2022年6月18日 上毛新聞
ー廃業の「ホテル藤原郷」で火災 みなかみー
 17日午前4時50分ごろ、群馬県みなかみ町藤原の鉄筋コンクリート3階建てホテル跡(旧・ホテル藤原郷)から出火していると、通りがかりの釣り人が119番通報した。2階の床と天井計53平方メートルのほか、床に散乱していた木材、ごみなどを焼いた。けが人はいなかった。

 沼田署によると、燃けたのは食堂跡。同署が出火原因を調べている。

 ホテル跡は窓ガラスが割れ、内部は家具やごみが散乱している。近隣の女性(78)は「心霊スポットとして知られているようで、以前から若い人が集まって懐中電灯で中を照らし、肝試しのようなことをしていた。石で窓を割る人もいた。また火事が起きて燃え広がらないか不安」と心配そうに話した。

「ホテル藤原郷 廃墟検索地図」より
 「1959(昭和34)年10月13日、藤原ダムの竣工を機に創業した。以来、当地は「藤原湖温泉」を名乗り、藤原郷に伝わる日本武尊の開湯伝説に基づく内湯「武尊の霊泉」と、藤原湖を眺望する露天風呂「静魂」を売りとして賑わった。創業者の林賢二氏は藤原ダム建設対策期成同盟委員長、町議、観光協会長も務めた村の名士であった。」
 「この温泉偽装(温泉宿を謳いながら温泉水を使用していないと判明)によって藤原湖温泉は温泉としての存在事由を根底から疑われる事となり、2007 (平成19)年9月頃に閉館、2007(平成19)年10月18日に負債総額約1億2000万で事業停止した。」

★国会議事録より一部抜粋 1954-08-12 第19回国会 衆議院 建設委員会河川に関する小委員会 第6号

参考人(藤原ダム対策期成同盟委員長)林 賢二君
「すなわち補償の実情は、従来犠牲者の名をもつて呼ばれている通り、単なる損失補償であつて、損害に対する埋合せ的補償という姑息なる方法から一歩も脱していない。さらに最も遺憾とすることは、一時的に金銭を支払うものが大部分であつて、真に被補償者の生活再建の基盤と長期にわたつて償おうとする積極的な総合施策が立てられていないことであります。この点は、現在各地方において当面している数多くの事例が如実に示しております。すなわち一時的金銭補償のみでは、安住の地を離れた、精神的衝撃を与え、絶えずつきまとう生活不安に災いされて、生活再建の意欲すら喪失し、はなはだしきは一介の流浪者に堕していることは、国家の施策の無為無能を露呈せることはなはだしきものがあります。また被補償者の補償金の獲得をめぐつて、あらゆる悪徳手段が講ぜられ、これによつて惹起されるはげしい混乱と焦慮は、平穏な農山村の生活基盤に著しい社会不安を醸成しております。」

「○林参考人 利根川最上流に現在建設中の建設省直営工事の藤原ダムの状況につきまして御報告申し上げ、さらにお願いを申し上げたいと思います。
 水没戸数は二百二十戸、耕地四十五町歩、林野二百五十町歩であります。
 現在藤原ダムは出先関東地建の関係とそれぞれ補償の折衝をいたしております。この補償のあり方につきましては、率直に申し上げまして、電源開発あるいはそういつた関係の補償との従来からの一つの行きがかり上、補償の交渉に非常にかけひきがある。こういう点が、私たちは非常におもしろくないという立場から、現在その地区の状況を十分勘案いたしまして、私たちが常に是正し合つたところの線において補償折衝を進めているということを申し上げ、将来の補償に関係する考え方としては、ぜひ総合した——総合したということは、ただ単に金銭的な補償だけではいけないということを申し上げまして、真に水没犠牲者が、将来生活権を立て直せる意味合いの公正な補償でありたいということをお願いいたします。
 二つ目に、ダム地帯の生活設計の中心は国有林にある、このことを強くお願いしたいと思います。少くとも全国のダムの建設地帯は、御承知のように山間僻地であります。山に依存をして生活をする者が八割、九割以上であります。これらの人々がそれぞれ家を失い、耕地を失つて立ちのいて行く場所は、やはり山を求めて行かなければ、求める土地がございません。また反面には北海道に入植しろ、あるいはブラジルに行けというようなお話もございますが、一家をそれぞれ携えておる者は、そういう大英断はなされないために、必ずその山間地帯を中心として生活を立てるのが建前でございますので、この件につきましては、総体的な問題といたしましてぜひともお取上げ、おとりはからいのほどを願いたい。
 三つ目の、永久補償である水面使用権及び漁業権について一このことにつきましては、ただいまの問題と関連いたしますが、ダムの建設されますその地帯を中心として、犠牲者は将来の生活構成を立てます。そうして、そこにでき上つて来ますところの湖水を利用して将来の生きる道を立てることは当然の事実であります。その場合に、この水面の権利あるいは将来漁業によつて生きようという権利がすべてなく、現在の場合においては、犠牲者に使用させてやるというような法律ももちろんございませんし、生き方も全然ないのでございます。これは、少くともダムの問題を計画すると同時に、こういつたものを中心とする犠牲者の生き方を十分政府自体において考えていただきたい。なお、この水面使用権、利用権等は、国か一銭も金を出してやるわけではございません。この権利を地元に付与することによつて、あらゆる問題が相当前進されるということを確信しております。この件につきましては、ぜひとも強くおとりはからいのほどをお願いしたいと思います。
 四番目に、単なる金銭補償に終ることなく、将来の生きる道を指導されたいということ。これは何でも金をくれてダムの建設地帯から追い払つてしまえという行き方が、ほとんど従来の行き方でございました。それが現在すでにダムが構築されまして、その犠牲者がそれぞれの場所一移住して生活を営んでおる状態をつぶさに皆さんに見ていただきましたときに、その人たちが現在どのような生活をしておるかということは、まつたく慄然たるものがございます。ただ単に買収的金銭補償で、あとはお前たちすきにせいというような非常に不親切な問題を中心として、犠牲者は非常にあえいでおるという事態がございますので、金銭の補償というそのことだけに終らずして、必ず犠牲者はこのようにして生活を立ていという将来の生きる道をはつきりお示しになつて、さらにこのダムの問題を推進願いたい。
 以上四項目にわたりまして藤原ダムから特に御要望、お願い申し上げるわけでございます。」