八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

渇水の象徴、四国の早明浦ダム

 関東地方では気候変動による豪雨に振り回される今シーズンですが、四国では深刻な渇水が続いており、例年のごとく早明浦ダムの水位低下がマスコミに報じられています。
 そうした中、水没住民の心情を伝える報道がありましたので、お知らせします。動画によれば、早明浦ダムの湛水時、水没住民のほとんどはふるさとを去っていましたが、元村長のご家族は補償金を返納して、洪水で追い立てられるまで水没地に住み続けたということです。

◆2026年9月15日 高知さんさんテレビ
https://www.fnn.jp/articles/-/1116341#google_vignette
ー「見世物じゃないぞ」四国の水がめ《渇水の象徴》はダム反対のとりでだった 
早明浦ダムの底から現れた「旧大川村役場」と失われた故郷の記憶ー

 高知県の大川村。吉野川の上流にあるこの村は、現在、離島を除けば全国で2番目に人口が少ない小さな村です。しかし、かつては銅山で栄え、デパートや映画館まで立ち並ぶ「山の都」でした。

その運命を変えたのが、1960年に持ち上がった早明浦ダムの建設計画です。水没の危機に対し、村民は「ダム建設反対のとりで」として新しい村役場を建て、むしろ旗を掲げて激しい反対運動を展開しました。

しかし、国が提示した巨額の補償金は村民の団結に亀裂を生ませ、多くの人々が故郷を離れてバラバラに散っていきました。

そんな中、最後まで村に残った家族は、ダムの試験貯水と豪雨により、家財道具すべてを濁流に奪われながら避難を余儀なくされました。集落が水没した同じ年には鉱山も閉山し、かつてのにぎわいは数年で失われました。

1975年に完成した早明浦ダムは、その後深刻な渇水に見舞われるたびに、湖底に眠る旧大川村役場とともにニュースで取り上げられるようになります。

いつしか「渇水の象徴」と呼ばれるようになったコンクリートの建物は、水不足を伝えているだけではありません。

それは、村の存続をかけて闘い、愛する故郷を奪われた人々の、決して笑顔では語れない悲しみの歴史を今に伝えています。

*湖底に沈んだ旧役場の内部映像や、当時を知る関係者の証言の続きは、動画本編をご覧ください。

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(動画の字幕より一部引用)
「お金の力っていうのはすごく強くて村民を二分した一因にもなるわけで、水没補償をもらって大川村を離れていくことをよしとする人間もいる。大川村を守っていかなければという者もいる。」
「個別の交渉は4年に及び、最終的に300世帯以上に数十億円の補償金を支払うことに。」

「水没世帯が70世帯と最も多い船戸地区に対し、国は現在の大川村役場がある高台を移転先として整備しました。」
「しかし、70世帯のうち移転先の高台に上がってきたのは3軒だけ」「(他の世帯は他所へ行ってしまい)バラバラになってしまった。」

——転載終わり—–

 1984年、NHKは早明浦ダム周辺の地すべりを取り上げた特集「山は崩れる」を放映しました。
 八ッ場ダムや川辺川ダムの学習会では、「山は崩れる」のビデオを視聴しましたが、この番組以降、ダム湛水による地すべりの問題をNHKは正面から取り上げていないとのことで、建設省から圧力がかかったともいわれます。

(参考)国土交通省資料 吉野川水系直轄砂防事業
https://mlit.go.jp/tec/hyouka/public/jghks/karute/img/2021/06/21240688001/21240688001_0.pdf

「吉野川の上・中流部は、破砕作用を受けて、崩壊・地すべり箇所が多く存在するなど、荒廃が著しい地域である。」
「早明浦ダム上流域で多数の斜面崩壊が発生し、大量の土砂が貯水池に流入」

◆2026年9月17日 朝日新聞
https://digital.asahi.com/articles/ASV9J2GXZV9JPLXB001M.html
ー早明浦ダム迫る貯水率0% 過酷な「平六渇水」経て造られた水源の力ー