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鬼怒川水害訴訟第一回口頭弁論ー11/28

 2015年9月の台風の際、茨城県の流域で14人の犠牲者が出た利根川水系・鬼怒川の水害をめぐって、被災者らが8月に提訴した鬼怒川水害訴訟は、第一回口頭弁論が11月28日(水)15時45分〜、水戸地方裁判所下妻支部で行われます。

 わが国の水害訴訟は、大東水害訴訟において、1984年、最高裁が被災者住民にとって圧倒的に不利な判決を下して以来、行政の勝訴が続いています。河川行政の瑕疵を認めない司法の姿勢は、ダム偏重の河川行政が温存される大きな要因となっています。
 今年7月の西日本豪雨では、220人以上の方が犠牲になりました。その中には、堤防決壊やダムからの緊急放流により逃げ遅れた方たちもいます。時間と予算を限りなく費消する巨大ダム事業が重視されるわが国では、ダムの治水効果が過大にPRされ、真に必要なきめ細かい治水対策がなおざりにされてきました。
 「想定外」の豪雨が頻発する現在、河川行政の転換は喫緊の課題と言えます。鬼怒川水害訴訟の行方が注目されます。

★「鬼怒川水害訴訟を支援する会」の解説チラシ(右画像)。以下をクリックするとご覧いただけます。
http://urx.blue/MReh

 参考までに、この裁判についての詳しい記事を転載します。

◆2018年9月30日 Business Journal
 https://news.infoseek.co.jp/article/businessjournal_479061/?p=1
ー14人死亡の鬼怒川氾濫、国は危険性を認識しつつ放置…住民の対策要求を何度も無視ー

  鬼怒川で発生した2015年9月の水害。関東・東北豪雨により、茨城県を流れる鬼怒川が氾濫し、流域の5つの市が洪水に飲み込まれた。住民は孤立し、約4300人が救助されたが、災害関連死と認定された12人を含む14人が死亡。多くの住宅が全壊や大規模半壊などの被害を受けた。

 この水害は単なる自然災害ではなかった。住民は洪水が起きる危険性を、発生前から国に指摘していたのだ。しかし、現在も国が非を認めないため、常総市の住民ら30人は8月7日、国に約3億3500万円の損害賠償を求めて提訴した。

 今年7月の西日本豪雨、昨年7月の九州北部豪雨など、全国で水害の被害が相次ぐなかで、住民は「水害被害にあった多くの人たちのためにも、国のデタラメな河川行政の転換を求める」と憤る。現地で原告の住民に話を聞いた。

●凄まじい被害は「国による人災」

 8月7日、水戸地方裁判所の下妻支部には、提訴に訪れた住民と弁護団、それに報道陣と、多くの人が詰めかけていた。提訴を終えて、建物から出てきた弁護団の只野靖事務局長は、報道陣の取材にこう答えた。

「3年前、水害が起きた当初から、国の対応に瑕疵があると考えてきました。国の責任が大きいこの水害は人災です。その思いを強くしています」

 3年前の15年9月10日午前6時頃、関東・東北豪雨により、常総市の若宮戸地区で最初に洪水が発生した。鬼怒川の水量はその後も増え、午後0時過ぎには上三坂地区の堤防が決壊。最終的に決壊は200メートルにわたった。

 激しく流れる洪水は建物、田畑などを次々と浸水し、常総市の中心部である水海道地区にも及んだ。常総市の面積の約3分の1にあたる、約40平方キロメートルが浸水してしまった。市内では住宅の全壊が53棟、大規模半壊と半壊が約5000棟。災害関連死と認められた12人を含む14人が亡くなる甚大な被害を出した。

 この水害が、なぜ人災なのか。原告のひとりで、最初に洪水が発生した若宮戸地区で農業生産法人を営む高橋敏明さん(64)は、静かな口調ながら、怒りを込めて話した。

「若宮戸地区には自然の堤防となっている砂丘林があるだけで、本来国がつくるべき堤防がありませんでした。しかも、ソーラー発電の業者が、砂丘林を掘削して、無堤防状態になっていました。にもかかわらず、国は十分な対応を取りませんでした。そこから洪水が流れ出たのです」

●国は危険を2度にわたって放置

 写真は、現在の若宮戸地区。ソーラーパネルが並ぶ場所の付近だけ、200メートルほど砂丘林が切れているのが確認できる。ここが最初に水が溢れた場所だ。いまは水害後の工事で堤防がつくられているが、被害が出た時には、砂丘は低く削られていた。

 鬼怒川は一級河川なので、国土交通省の管理下にある。砂丘が削られた2014年3月以降、住民が国に対策を求めると、国は「その場所は河川区域ではなく、私有地なので手が出せない」という態度だった。

 しかし、あまりにも危険な状態なので、住民が引き続き対応を求めると、14年7月、国の担当者は1個の高さが約80センチの土嚢を2段積んだ。取られた対策はそれだけだった。

 それからわずか1年あまり。住民の予想通り、豪雨の早い段階で、砂丘林が削られた場所から川の水が溢れ出た。洪水はあっという間に住宅や田畑を飲み込んだ。砂丘林が削られていなければ、あふれた水量はもっと少なく、これほどの被害は出なかった可能性が高いのだ。

 それだけではない。国は長い時間をかけて「鬼怒川直轄河川改修事業」を進めている。11年度の事業評価の際には、当面7年で堤防を整備をする区間と、おおむね20年から30年をかけて整備をする区間が定められている。

 若宮戸地区の砂丘林の高さは、事業で整備の基準にしている「計画高水位」よりも1メートル低い。しかし、整備計画の区間には入っていなかった。原告を支援する水源開発問題全国連絡会の嶋津暉之共同代表や弁護団が、国が提出した資料を分析すると、国は03年度に若宮戸地区で堤防をつくる詳細な設計をしていながら、その報告書がお蔵入りしていたことがわかった。

 つまり、国は若宮戸地区の砂丘林が低いことを認識していながら、意図的に堤防を整備せずに放置していたことになる。さらにその砂丘林が削られても、十分な対策を講じなかった。住民は2度にわたって国に放置されてしまったのだ。

●誰かが立ち上がらなければ

 若宮戸地区の高橋敏明さんは、砂丘林が削られた場所からおよそ800メートルほど離れた場所で、観葉植物や、花卉の栽培を行なっていた。鬼怒川の氾濫により、1500坪もあった花卉栽培の温室などの施設は破壊されてしまった。

「45年間、丹精を込めて植物を育ててきましたが、水害によって壊滅的といいますか、跡形もなくなりました。経営も危機的な状況に陥りました。皆さんに協力いたただいて、今は水害前の7割くらいまで再建できています」

 高橋さんは、法人と個人の両方で原告になっている。責任があるのは明らかなのに、非を認めない国の態度が今でも許せなかった。しかし、それだけではない。多くの被災者が国の落ち度を訴えてきたが、生活の再建に追われて、裁判まで起こそうという人は時間がたつとともに減ってきた。誰かが立ち上がらなければ、国の態度が変わることはない。そう思い、裁判を決心した。

「私たちの声を無視して、危険を放置した国に責任がないというのは、信じられません。私たちが立ち上がることによって、あきらめかけていた人たちも、また一緒に国を訴えようと、動きだすのではないかと思っています」

 実際に、今回提訴した法人と個人の30人以外にも、原告団に加わろうという動きが出ている。近く追加提訴が行われる見通しだ。

●泣き寝入りしている人のためにも

 今年7月に発生した西日本豪雨により、各地で大規模な河川の氾濫が発生し、これまでに220人が犠牲になった。

 鬼怒川氾濫と同じように、危険がわかっていながら、洪水対策がとられていなかった場所といえば、岡山県倉敷市真備町の小田川が挙げられる。小田川は過去にも繰り返し氾濫し、河川改修も計画されていたが、実施されないまま今回の水害が発生し、51人が亡くなった。

 水害をめぐる訴訟では、1984年1月に出た大東水害訴訟最高裁判決によって、その後住民側が行政を訴えてもほとんど勝訴できない状況となった。大東水害とは、72年7月に大阪府大東市で大雨で寝屋川が氾濫した水害。その判決で示されたのは、河川の管理と、改修中の河川の管理について瑕疵が認められるのは、「河川管理の一般水準及び社会通念に照らして、格別不合理なものと認められる」場合だけというものだった。

 鬼怒川水害でも、国は非を認めていない。しかし、常総市に行って見てみれば、これだけ長い流域で、周囲に多くの住民が暮らす一級河川を、自然の堤防に頼って国がまともに管理していないことに驚かされる。鬼怒川は利根川の最大の支流で、関東平野を流れる重要な河川のひとつである。社会通念に照らして、放置してきた国に責任がないとは、到底思えない。

 弁護団の只野靖事務局長は、水害訴訟の流れを変えるのも今回の裁判の意義のひとつだと、力を込めて語った。

「水害で被災した方で、裁判で行政の責任を問いたくても、できなかった方が何万人もいると思います。全国で水害が多発しているなかで、鬼怒川と同じメカニズムで被災した方もいるかもしれません。想定外の雨が降ったのだから仕方がない、という国の姿勢で済ませていたら、大きな被害が出る状況はいつまでたっても変わらないでしょう。水害の被害にあった多くの方のためにも、裁判で河川行政の転換を求めていきたいと思います」

 行政による人災を、自然災害で済ませていいはずがない。鬼怒川氾濫をめぐる訴訟では、国の河川行政そのものが問われている。
(文=田中圭太郎/ジャーナリスト)