八ッ場あしたの会は八ッ場ダムが抱える問題を伝えるNGOです

八ッ場ダム地元の長野原第一小学校、児童減少で21年廃校へ

 八ッ場ダム事業に翻弄されてきた長野原第一小学校が廃校になると報道されています。
 八ッ場ダムの水没地には、地区全体が水没した川原湯地区と川原畑地区、地区の一部が水没した林地区、横壁地区、長野原地区がありました。水没集落の「現地再建」をめざした八ッ場ダム事業では、各地区の移転代替地がダム湖の周辺に造成されました。長野原第一小学校は水没五地区のうち、最も上流側の長野原地区を除く四地区の児童が通っています。

 長野原第一小学校のホームページからは、地域とともに100年余りの時を刻んて来た小学校の歴史が伝わってきます。
 http://www8.wind.ne.jp/kumori/ 

 水没予定地からの移転第一号として、長野原第一小学校の新校舎が出来上がったのが2002年のことでした。新校舎の整備費用は、八ッ場ダム事業により水道用水の供給を受ける利根川流域一都四県(東京都、埼玉県、千葉県、茨城県、群馬県)と国が負担しました。
 八ッ場ダム事業では、2001年に国と水没住民との補償基準の調印が行われましたが、集団移転する筈だった代替地はまだ完成にほど遠い状態でした。このため、補償基準調印後、水没住民の多くが代替地への移転をあきらめ、地区外、町外へと転出していきました。

 2007年、川原湯地区を除く三地区では代替地がようやく完成し、分譲が始まりましたが、人口減少、高齢化には歯止めがかからず、第一小の児童数も減少の一途を辿りました。
写真右=長野原第一小学校の卒業生の写真。多くの子どもたちが水没地の木造校舎から巣立っていった。

 この年、長野原町が第一小学校の統廃合を計画していることがマスコミで報道されました。バブリーなダム事業を象徴するような新築校舎はテレビでも取り上げられ、以下の記事にもあるように、ムダなダム事業批判を封じるために一旦は計画が見送られました。

◆2019年10月31日 上毛新聞
ー一小統合へ 長野原町が方針 八ッ場地元 児童減でー

 八ッ場ダム建設に伴う移転後に児童減少が進む長野原第一小(児童数17人)について、長野原町は30日、中央小(79人)と統合することを決めた。町役場で同日開かれた統合問題検討委員会で方針が示された。併せて応桑小(42人)と北軽井沢小(78人)、東中(66人)と西中(同)も統合する予定。方針通りに統合すれば、町内では小学校が現行の4校から2校、中学校が2校から1校となる。

 統合時期は第一小と中央小が2021年度、中学校は23年度を予定し、統合後は中央小、東中の校舎をそのまま利用する。応桑小と北軽井沢小は統合後の校舎が決まっておらず、24年度までの統合を目指す。

 町は今後、学校統合問題審議会の諮問を経て各校の統合準備委員会を立ち上げる。校名や通学方法などは保護者や各地区の住民の意見を聞きながら検討する。

 小中学校の統合を巡っては、ダム建設に伴い02年に校舎を移転した第一小と中央小の統合構想が07年に浮上したが、建設費を負担した下流都県の理解を得られないとして撤回した。しかし、児童減少が進み検討再開を求める申し入れがあり、町が今年1月に検討委を設置。6回の会合を重ね、保護者や生徒らからアンケートして検討していた。

◆2019年10月31日 読売新聞群馬版 紙面より転載
ー八ッ場ダム建設で移転新築の小学校統合へ 長野原町の検討委 児童減で存続断念ー

 八ッ場ダム建設に伴い2002年に移転新築された長野原町立第一小学校について、町の小中学校統合問題検討委員会は30日、児童減少を理由に、2021年度に中央小と統合し、廃校とする方針を決めた。年内にも町の審議会に諮り、正式決定する。下流の一都四県の交付金を含め、第一小の移転新築には約12億円が投じられたが、ダム建設で人口流出が進み、存続を断念せざるを得なくなった。

 検討委は萩原睦男町長を委員長に各校校長やPTA代表、町議らがメンバーとなり、今年1月から6回の会議で議論を重ねてきた。この間、小学校の統合について4回のアンケート調査を実施。その結果、保護者、町民、教職員の過半数が小中学校とも「統合が必要」と回答し、特に小学校の統合については容認派が6~8割を占めた。

 30日に町役場で開かれた最終会議で、萩原町長は第一小と中央小の統合案などを提示。異論はなく、了承された。第一小の跡地の利用策は町が今後詰める。

 最終会議では他の小中学校の統合案も示され、西中は23年度に東中に統合することが固まった。応桑小と北軽井沢小も24年度までに統合することになった。

 廃校の方針が決まった第一小は、1909年(明治42年)に長野原尋常高等小学校第一分教場として開校した。移転当時に52人いた児童は現在、17人にまで減少している。町は11年ほど前にも廃校を検討したが、移転新築から間もなかったことから、建設費を負担した下流都県などからの反発を懸念し、撤回した経緯がある。
 移転前の旧校舎跡地は、今月始まった八ッ場ダムの試験湛水で水没している。

◆2019年11月1日 朝日新聞群馬版
https://digital.asahi.com/articles/ASMB03V5GMB0UHNB008.html
ー八ツ場ダム建設で立ち退いた小学校 21年廃校にー

  八ツ場(やんば)ダム(群馬県長野原町)建設で水没地から高台に移転した小学校が、児童数の減少に伴い、ダム完成予定から1年後の2021年3月で廃校となる見通しになった。移転新築にはダムの恩恵を受ける下流都県の負担金など計約12億円が投じられたが、ダム建設に伴い人口が流出。子どもも急減し、今春の入学者はゼロだった。

 廃校となるのは町立第一小(児童数17人)。21年4月に、西に5キロほど離れた町立中央小(79人)に統合される。小中学校の存続や統廃合について議論してきた町の検討委員会が、10月30日に方針を決めた。今年中にも町の審議会に諮り、正式に決定する。第一小の廃校後の活用方法については今後検討するという。

 町誌などによると、第一小は1909(明治42)年に長野原尋常高等小学校第一分教場として開校。54(昭和29)年に町立第一小学校として改名、独立。県内最古とされる木造校舎だったが、ダムの水没予定地にあったため、2002年に新校舎に移転した。

 移転新築には、国の補償金から約8億2700万円を町が支出したほか、国庫補助金約2億4500万円、ダムによる利水の受益者の東京や埼玉、千葉、茨城、群馬の1都4県の負担金約1億5600万円があてられた。実質的に町の負担はゼロだった。校舎は鉄筋コンクリート3階建てで、屋内プールも完備している。

 だが、少子化が進んだ上、度重なるダム事業の遅れなどを背景に学区域の住民は域外に流出。第一小は60年前には300人以上の児童がいたが、移転当時は約50人に。町は移転から5年後の07年、中央小への統合をいったん決めたが、その後、費用を負担した下流都県からの批判を危惧するなどした結果、一転して存続とし、計画を凍結した。

 現在は特別支援学級を除き、3学級編成に。こうした状況下で町の検討委は今年1月から、町立の4小学校と2中学校のあり方について協議を重ねた。3月と7月に実施したアンケートで保護者や教職員、町民らに意見を聞いた結果、大半が小中学校の統合を容認する回答だったという。

 検討委の方針は、ほかに応桑小(42人)と北軽井沢小(78人)は24年4月の統合を目指し、西中(66人)と東中(66人)は23年4月に統合するという。中学校は東中の校舎を使うが、応桑小と北軽井沢小は未定。統合後、町立小学校は2校に、中学校は1校になる。

 町教育課は「全体として児童が減っていく中で教育環境の維持が必要」と話す。広い学区域での通学方法や新たな校名なども検討していくという。(丹野宗丈)

◆2019年11月2日 毎日新聞
https://mainichi.jp/articles/20191102/k00/00m/040/065000c
ー八ッ場ダムで高台移転の小学校、廃校へ 今年の入学ゼロ、反転望めずー

 八ッ場ダムの建設に伴い2002年に水没地から高台に移転した群馬県長野原町立第一小学校(児童数17人)が児童数減少のため21年3月に廃校となる見通しとなった。同小の現校舎は下流の1都4県からの負担金を含めた約12億円で新築された。だが、児童数の減少で近くの小学校に統合されることになった。

 同町内の小中学校の統廃合を議論してきた町の検討委員会が10月30日に方針を決めた。同小は今春の入学児童はゼロ。2年生のみが単独の学級だが、ほかは複数学年が合同で学ぶ複式学級で、このほかに特別支援学級がある。今後も児童の増加は見通せないことから、町立中央小(同79人)に統合する。今年中にも町の審議会で正式決定される予定だ。

 第一小はダム建設で水没する同町林地区にあったため、02年にダム湖を望む高台に新築された現校舎に移転。当時は52人の児童がいたが、移転後、児童数が減少。町は07年に一度は廃校を決めたが、批判を受けて撤回していた。

 検討委は、同小のほか、町内の応桑小(同42人)と北軽井沢小(同78人)を24年4月に、西中(生徒数66人)と東中(同66人)を23年4月に統合する方針を決めた。【庄司哲也】

—転載終わり—

〈参考ページ〉
◆水没地から移転新築の小学校、統廃合論再燃(2019年6月17日)

写真下=2002年まで長野原第一小学校があった林地区久森(くもり)。左側の長方形の空地が学校の跡地。吾妻川沿いの国道と栄橋は、川原湯地区と川原畑地区の児童が通った通学路であった。第一小が立ち退いた後、発掘調査の事務所があった。2019年10月10日、水没直前の撮影。

写真下=水没地にあった長野原第一小学校の旧校舎。群馬県内最古の木造校舎だった。