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「鬼怒川の堤防決壊はなぜ起きたのか」(石崎勝義氏による緊急報告)

 昨年9月の鬼怒川水害を契機に、茨城県在住の建設省OB、石崎勝義さん(元・建設省土木研究所次長)がホームページ「鬼怒川・小貝川を考える」を開設し、緊急報告「鬼怒川の堤防決壊はなぜ起きたのか」を掲載されています。

 石崎さんは建設省が30年前に開発した堤防強化工法が活用されていれば、水害を未然に防げたといいます。建設省はダムやスーパー堤防よりはるかに安価で短時間にできる耐越水堤防の技術を開発しながら、なぜこれを封印してしまったのでしょうか。1970年代から1980年代にかけて開発された堤防強化工法の内容と、改革と逆流のせめぎ合いが繰り返されてきた河川行政の実態を技術者の視点から詳しく報告しておられます。ぜひ、以下のURLをクリックしてお読みください。

 石崎勝義さんのホームページ
 https://kinukokai.amebaownd.com/

 緊急報告 「鬼怒川の堤防決壊はなぜ起きたのか 第一編 消されかかっている越水堤防」
 https://drive.google.com/file/d/0B_AlPDSXInS7Ung5bFNhSzVySDg/view

 上記の報告より一部抜粋します。

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2 越水にたえる堤防の開発

 洪水の時 水が堤防を越え始めても簡単には決壊しない堤防の研究を最初に提唱したのは福岡正巳 元東大教授である。2)
 そのきっかけは新潟県の加治川で起きた水害にある。
 加治川は昭和41年(1966)の洪水で3ヶ所で破堤する大水害に見舞われる。すぐに災害復旧工事が行われたが 翌昭和42年(1967)再び洪水に見舞われ、あろうことか前年の破堤個所と同じ3個所で破堤したのである。
 翌年の昭和43年(1968)地元農民17人が 堤防の安全性に問題があるとして新潟県と国をあいてに訴訟を起こし、わが国初めての本格的な水害裁判が始まった。3)

 当時 土木研究所の所長であった福岡は 「どうすれば越水しても簡単に破堤しない堤防が作れるか」と考え とりあえず高分子材料(ポリプロピレン)の布で堤防を補強する実験を行った。そして 越流水に対し相当の抵抗を示すことを確認した。4)

 福岡は越水堤防の効果についても概算している。
 川幅 120m、水深6m、こう配 1:800、粗度係数 0.30、の河川を想定した場合 堤防強化しないときは3600m3/secの洪水で破堤して 65,000,000m3の水が堤内に氾濫の下にするのに対し 堤防を強化すればわずかに 3,240,000m3/sec しか侵入しない。これは破堤した場合のわずか5%にしか過ぎない。

 強化堤防の構造は堤防天端と裏法(うらのり:人家側斜面)の土羽土(どはど:堤防の表層の土)に被覆材を設置する。被覆材料としては越流深に応じプラスティック、ソイルセメント、アスファルト、コンクリートなど選択できるとしている。

 最後に工費の概算を行っているが 洪水を制御するためにダム 河道、堤防、遊水地、分水路などの施設費が 洪水流量1m3 当たり300万~50億円なのに対し堤防を強化する費用は遙かに安価で100万円以下である。しかも破堤による大災害を防ぐという大きな特徴を有するとしてこの方法を採用すべく研究するならば必ずや新しい治水方式が生まれるであろう、と結んでいる。

 越水堤防の研究は分野としては 土質部門と 水理部門の二つにまたがる。
 福岡は土質出身だが渡良瀬遊水地の越流堤の設計にかかわったので越流水の挙動について理解があった。
 越水堤防のような分野を超えた研究が提案されたことは福岡のような広い視野を持つ人間の存在があって初めて成し遂げられたものと思う。

 福岡の研究はまず土質部門の山村・久樂に引き継がれる。
 実物大の越水堤防の実験が 揖斐川で行われた。3)
 図―2に実験堤防の断面図を示す。高分子布を土羽土の下に置くのは福岡の実験と同じだが揖斐川の場合には堤防天端の下に水たたきを設け、越流水のエネルギーを減らす工夫がされている。
 無処理の場合には法面上部でひどく洗掘が進み のり肩から滝のような流水が落下しだす。9分経過したところで水路全体大きく破壊したため9分30秒で実験を終えた。
 これに対し高分子布を土羽土の下に埋め込んだ場合には斜面の土は洗い流されてもその位置で洗掘は止まる。越流時間を30分と長くとっても堤体は耐えられることがわかった。

 一方、河川部門による越水堤防の研究は巴川水害後の昭和51年(1976) 強力に進みだした。4)
 全国で生じた越水事例約280か所を調べたところ 越水しても破堤に至らない事例が約40%116か所あることがわかった。その越流水深(最大)と越水時間は図―3 のようであって、これをもとに耐越水化の目標を 越流水深60cm,越流時間3時間と定める。
 次に越流水を水理学的に調べ保護工に働く外力を予想する。また越水によって生じる堤体の崩壊過程を大型水路で解明する。
 これらの知見をもとにアスファルト、ブロック、防水シート、改良土などの方法を実物に近い大型水路で実験して 発生する問題点を詳細に洗い出した。
 この研究では問題が生じるたびに対策に工夫をこらし、再度の実験で効果を確認している。

 もちろん実際の河川にこの研究の成果を適用した時 現場で生じるすべての現象をカバーしている保証はないが、実験のスケールが実物に近いことや、起きる現象を土質や水理の専門家が直接見て考察を加えていることからして現場に適用しても全く予想外の現象が生じるとは考えにくい。

 筆者は この研究が終了した時点で わが国の越水堤防の開発は成ったと考える。
 土木研究所が開発した堤防被覆型の越水堤防は アーマーレビ―と名付けられ、その実施の判断は河川局の事業実施部門に委ねられることになった。

2)福岡正巳「河川堤防強化による新治水方式について」昭和45年3月
3)大熊孝 「増補洪水と治水の河川史」平凡社2007年
4)山村和也・久樂勝行「堤防強化に関しての考察」昭和47年7月

~~~転載終わり~~~

 昭和40年代、新潟県の加治川や静岡県の巴川の水害を経験した建設省は、建設省土木研究所長の福岡正巳所長による「河川堤防強化による新治水方式」(昭和45年)の提唱を機に、土木研究所に堤防を越水に耐えられるようにする技術の研究・調査を依頼、昭和50(1975)年から59(1984)年にかけて調査・研究が進められました。

 土木研究所が開発した耐越水工法(”アーマーレビー”)は、兵庫県の一級河川・加古川で具体化され、1988年には建設省土木研究所、河川部河川研究室、機械施工部土質研究室によって「加古川堤防質的強化対策調査報告書」が出されています。この報告書では、アーマー・レビー工法が加古川において「十分な耐越水能力を持つことが確認された」とし、「堤防の強化は様々な方法で行うことが可能であり、それぞれの堤防が置かれた状況に応じて、無理のない方法で行うことが、均整のとれた治水安全度の向上にとって重要である」と結論づけています。

キャプチャアーマーレビー

 しかしながら、その後、全国の河川で試みられる筈だった堤防強化は、なかなか次の具体的な動きに繋がりませんでした。
 堤防強化対策は同じ治水事業でも、巨大ダム等の建設よりはるかに安価で、事業に時間がかかりません。それは流域住民や納税者にとって望ましいことですが、河川管理者である官僚組織の権益はその分、小さくなります。1984年、大東水害訴訟の最高裁判決は、河川行政の停滞を後押ししたといわれます。この判決で最高裁は、河川管理者である建設省の責任を追及した被災者の主張を退け、建設省の主張をほぼ認めました。

 1997年、河川行政の停滞打破が期待された河川法の改正が行われます。長良川河口堰の反対運動の高まりを受けて実施された河川法の改正は「住民参加」と「環境保全」を掲げ、”環境の世紀ー21世紀”に向けて河川行政に新たなうねりが起きようとしていました。

 1998年、建設省河川局は堤防強化を重点施策に掲げ、全国250キロメートルの河川整備を計画、平成12
(2000)年には同局・治水課の「河川堤防設計指針」に位置付け、雲出川・那珂川・信濃川・筑後川の4河川で計13.4キロメートルが実施されました。
 しかし、翌年、熊本県の川辺川ダムに反対する住民らと建設省が対立することとなった川辺川ダム住民討論集会において、住民側が「堤防強化をすればダムは不要」と主張したことから、実施設計までされていた堤防強化が中止され、平成14(2002)年には「河川堤防設計指針」から堤防強化に関する記述がすべて削除される事態となりました。

 改正河川法の趣旨を実現する目的で2001年に設けられた国交省近畿地方整備局の淀川水系流域委員会は、2003年、巨大ダムは自然環境に及ぼす影響が大きいことなどから「原則として建設しない」ことを提案し、堤防強化についても公開の場で活発な議論が行われました。
 その後の経緯は、建設省(国交省)の守旧派による巻き返しが功を奏したことを示唆しており、改革派官僚として淀川方式を主導した宮本博司氏は本省防災課長を辞し、国交省近畿地方整備局はかつて中止方針を出した淀川水系のダム事業を復活させようとしています。
 2008年、国交省の諮問を受けた土木学会は、耐越水堤防は実現性に乏しい、技術的に難しいなどと結論づける報告書をまとめ、河川行政の逆流にお墨付きを与えました。
 2009年に発足した民主党政権は、川辺川ダムだけでなく、八ッ場ダムを含めた全国のダム事業の見直しを政権公約に掲げましたが、国民の期待に反し、河川行政を変革することはできませんでした。

 現在、国交省は越水に耐える堤防はスーパー堤防以外にはない、という見解を繰り返しています。

 国交省は、全国の河川の中で、関東地方の三河川(江戸川、荒川、多摩川)と近畿地方の二河川(淀川、大和川)について、合計119キロメートルのスーパー堤防事業を計画していますが、事業開始から10年たつ今も整備率は1パーセントをわずかに超える程度です。このままの進捗状況では何百年たっても計画中のスーパー堤防は完成しません。また、スーパー堤防が計画されていないこれらの河川の別の区間や他の河川では、そもそも堤防強化対策がありません。
 このままでは、鬼怒川水害のような災害が繰り返されることになります。