八ッ場ダムの建設予定地は、群馬県吾妻郡(あがつまぐん)長野原町の東端にある国の名勝・吾妻渓谷です。ダムが建設されると、長野原町の東部五地区(川原畑(かわらはた)、川原湯、林、横壁、長野原)が湖底に沈むことになりますので、これらの地区は水没五地区と呼ばれたり、八ッ場ダムの「現地」といわれたりします。
五地区の中で下流側の川原畑地区、川原湯地区は、八ッ場ダムができると全戸が水没するため「全水没予定地」と呼ばれ、上流側の林地区、横壁地区、長野原地区は、吾妻川沿いの一部の家屋や田畑のみが水没するため「一部水没予定地」と呼ばれます。
当時、八ッ場ダムの完成は2000年度とされていましたので、国は代替地も1990年代に完成し、移転が完了するというタイムスケジュールと「生活再建イメージ図」を住民に示しました。
けれどもその後、八ッ場ダム事業は工期延長を繰り返し、代替地計画も大幅に遅れました。代替地の分譲手続きが開始されたのは2007~2008年でした。中でも遅れが目立つのが川原湯地区の温泉街ゾーン(打越代替地)です。温泉の泉源はダムによって水没する現温泉街にあり、ダム事業によるボーンリングで掘り当てた新源泉も代替地から離れた標高の低い場所にあります。代替地で温泉街を再建するためには、温泉をポンプアップして引き湯し、これを維持管理していかなければなりません。
代替地の分譲に当たっては、国交省が住民の意向調査を実施し、その結果をもとに代替地を整備し、分譲手続きを実施するという方法がとられました。下の図は2005年に国交省が実施した意向調査の際の資料の中の打越代替地(川原湯地区)の図面です。「切盛図」とは、切り土部分と盛り土部分を図で示したもので、緑色が盛り土部分、茶色が切り土部分です。
川原湯地区、川原畑地区は吾妻渓谷に隣接した急峻な地形で、水没線より標高の高いところには平らな土地がほとんどなく、多数の住民が移転するためには、山を切り崩し、沢に数十メートルの盛り土をする大規模な造成工事が必要でした。
このため、代替地の整備には時間と多額の費用がかかり、しかも地すべり等の危険性を孕むこととなりました。こうしたことから、当初は代替地に移転するつもりだった多くの住民が代替地以外の土地に転出せざるをえなくなりました。